「休日ドライバー」をウェブで検索してみると、どうも非難めいたものが多く見られます。一言でまとめるなら、休日ドライバーで運転がへたくそな奴らは迷惑だから運転するなということでしょうか。
こういう非難を見ていると、多様性を認められない人々の本音を垣間みるような気がします。すなわち、世の中には本当に多種多様な人々がいるわけですが、そうした人たちのここの事情を顧みることなく、自分たちの仲間として同一グループとみなせる人々を「ウチ」と称し、それ以外の人々を「ヨソ」として扱い、ヨソ者を排除する思考です。
こうした休日ドライバーを非難する人も、車を運転したての頃は初心者マークをつけて、おっかなびっくりにアクセルを踏んでいたかもしれません。そうした経験も忘れて、「自分たちこそ、道路を運転する資格がある」と言わんばかりに、運転技術の未熟な人々は運転するなというのは、こうした人々の技術の向上を阻止する思いやりのなさと、自分たちこそが認められているのだという傲慢さがにじみ出ています。ウェブで初心者や休日ドライバーを非難している人々は、いざ車を降りたら歩道いっぱいに広がって歩いて、他の人が通りづらくしているかもしれません。歩きタバコをして、周囲の人に煙たい思いをさせているかもしれません。そのような自分たちの行動を省みることなく、偉そうに非難するというのはなんだか残念な気持ちになります。
その町の運転に慣れていないドライバーが、曲がり角がわからず、ふらふらしてしまうのは、それだけ道路事情が悪いということです。町づくりからきちんと始めて、もっとわかりやすい区画整理と看板表示にすることが可能なはずです。また、運転手が危険な車線変更をしてしまうのは、死界があるからで、車側で死界を補うような工夫がなされるべきでしょう。そういう意味では、バックミラーがほとんどドアミラーになってしまい、フェンダーミラーがタクシーだけになってしまったのは本当に残念です。
全てそもそも、路上に出ているドライバーは、公の機関が課す適性試験を合格しているから運転できるわけです。もし、ドライバーの運転技術が未熟であり、道路を運転するのにふさわしくないということであれば、適性試験をもっと厳しくして、迷惑をかけないような人々のみが運転できるようにして、「ウチ」なる人々にとってのよそ者である、へたくそなドライバーを排除できるような仕組みにすべきです。
ここでも、既得権益を享受できる人と、そうでない人々の間の断絶が見いだせるような気がします。すなわち、持てるものは自分たちの利益と縄張りの確保に努め、新参者や想定外が起きるのをできるだけ排除したいという構図です。結局出る杭は打たれるのが日本社会なんですね。



