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  • 原発の安全性の主張

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    中国の原発は日本よりも安全だと主張する人がいるようです。

    中国の原発は「日本より100倍安全」
    http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2011/05/post-2082.php

    最初見たとき、「えー?本当か」と思いましたが、過去の失敗を考慮したハード面を考えると、あながち否定もできないのではという気になりました。

    というのも、今回の福島第一原子力発電所の事故でも見られるように、日本で何十年も使われている原発がもうほぼ耐久年数に達し、しかもその間安全性を高めるような工夫がされてこなかったという事実があります。某社で原子力関連の仕事に就いた友人が語っていましたが、原発業界というのは実は保守的で、今まで事故が起きていなかったのなら、下手に新技術を導入してへまをするよりは、今まで通りの動作をさせておいた方がいいという風潮があるということでした。まあ「触らぬ神に祟りなし」ということなのでしょうが、今回そのツケが来たように思えます。

    一方、中国で作っている原発は、過去の事故をふまえて設計されているわけで、当然「こうしておけばよかった」という工夫が取り込まれているはずです、たとえば、

    この炉は格納容器の上に巨大な貯水池があり、冷却システムが作動しなくなると自動的に水が落ちてくる。電源が喪失しても重力の力で安全が保たれる新発想が売り。この型はアメリカでも連邦議会で最終承認段階に入っている。

    ということですが、こうした仕掛けは過去の失敗をもとにした工夫でしょう。

    こう考えていくと、中国の原発は日本の原発よりも安全だということは必ずしも嘘ではないという気がします。

    ただ、一方でそうした設計の思いが現場の作業で必ずしも反映されないということも、今回の事故で見られていますし、製造業では設計者の意図が生産現場に反映されないということは頻繁に見られる現象です。仮にこうした発電プラントでの作業の質が、製造業の質に比例すると考えると、中国における製造業の品質は上がってきているので、原発の仕上がりも上がっていると言えるのかもしれません。

    ところが、日本の製造業で実践されている品質管理や安全管理の手法や、工学マネージメントは原発の運営に必ずしも適用されていないということが明らかになりました。この点、中国における現状がどうなっているのかは何とも言えません。作業に従事している人々や、監督者、さらには監督官庁の作業および管理体制に大きく依存するのではと思います。中国製の工業製品や農作物や、食品を見ていると、原子力発電に対して特別な管理体制がなされているとは断言できないでしょう。

    ということを考えると、設計や技術といったハードの面では、ひょっとすると日本よりも優れた安全性が考慮されているかもしれません。しかし、作業員の質や、管理体制などのソフト面では、はたして日本よりも安全と言い切れるかというと、そうでもないのではと思います。

    実際、工業製品に関しては世界でも高い信頼と評判を博しているドイツでは、メルケル首相より招集された委員会が、ドイツ国内での原発停止を決定しています。

    Panel Urges Germany to Close Nuclear Plants by 2021
    http://www.nytimes.com/2011/05/12/business/energy-environment/12energy.html?_r=1

    中国で怖いのは情報の開示性です。「安全」と言い切って何か隠していたということが一番怖いです。実は、それこそが一番の危険性かもしれません。

  • 天安門広場

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    グーグルが中国政府による検索への検閲や、人権活動家のメールアドレスに対する攻撃などに対抗して、中国市場から引き上げるかもしれないという意向を示して、話題となっています。これによって、今まで自主規制していた検索結果が表示されるようになってきていて、例えば「天安門事件」と言う検索を http://www.google.cn にて行うと、それなりの結果が出てきます。

    1989年6月4日のあの日以来、天安門広場は天安門事件抜きでは語れなくなり、戦車に立ち向かっていく学生の姿や、人権活動家の映像が、20年以上たった今でもよく現れています。それほどまでに衝撃的な事件でした。

    しかし、あの事件の前は、「天安門広場」というと、日本では主に自転車が多く行き交う場所を比喩的に表す言葉として使われていた気がします。たとえば、高校や大学の通用門の前などは、朝のラッシュアワー時に自転車が大量に行き交うわけですが、それを見て当時の人々は、「天安門広場みたいだ」と言っていました。というのも、当時中国からの記者のレポートでは、たいてい天安門広場が舞台となっており、記者が何かを語っているその背景に、無数の自転車が行き交うイメージが人々の間に強烈に焼き付いていたからです。そんなことから、無数に自転車が通り過ぎる様子を見ると人々はよく「天安門広場」と表現していました。

    ところが、1989年以降、そういう使われ方は急激に減った気がします。

    今となっては、天安門広場と言う言葉がかつてそういう用法で使われていたと言うこともすっかり忘れ去られてしまいました。実際に、中国の経済事情も20年前からは相当変わってしまって、2009年はついに自動車の販売台数と生産台数がともに世界一になったようだと伝えられています。そういうことを考えると、時間の流れを改めて実感してしまいます。