カレル・ヴァン・ウォルフレンという人は、日本 権力構造の謎を書いて、日本の官僚制を見事に解き明かしてくれていますが、そうした官僚制と民主党政権の関係についての彼の考察が下記のサイトで読めます。
日本政治再生を巡る – 権力闘争の謎
http://www.wolferen.jp/index.php?h=3&s=2&t=2
いくつか興味深い記述があるので、自分の考えを添えながら引用していきます。
民主党が行おうとしていることに、一体どのような意義があるのかは、明治時代に日本の政治機構がどのように形成されたかを知らずして、理解することはむずかしい。当時、選挙によって選ばれた政治家の力を骨抜きにするための仕組みが、政治システムの中に意図的に組み込まれたのである。そして民主党は、山県有朋(一八三八〜一九二二年、政治家・軍人)によって確立された日本の官僚制度(そして軍隊)という、この国のガバナンスの伝統と決別しようとしているのである。
おそらく、2009年に民主党が政権を取れた背景には、国民がこの明治以来の官僚制を打破したいという思いがあったということなのかもしれません。少なくとも自分はそうでした。とにかくこれで少なくとも自民党と官僚の癒着が乖離できればと思いました。
山県は、慈悲深い天皇を中心とし、その周辺に築かれた調和あふれる清らかな国を、論争好きな政治家がかき乱すことに我慢ならなかったようだ。互いに当選を目指し争い合う政治家が政治システムを司るならば、調和など失われてしまうと恐れた山県は、表向きに政治家に与えられている権力を、行使できなくなるような仕組みを導入したのだ。
つまり、明治時代に山県有朋によって意図的に官僚制度が日本の統治機構を担うように仕組まれていたということのようです。
明治時代に設立された、議会や内閣といった民主主義の基本的な機構・制度は、日本では本来の目的に沿う形で利用されてはこなかった。
アメリカに住んでいたときは、本当に地域の代表が地域内の住民の声を反映して、道を造ったり規制をしたりということが感じられましたが、日本ではそうはいかないように、既に明治時代に官僚制による統治機構が制度設計されていたということですね。
官僚制による問題点の例として、北方領土交渉についても触れられています。
彼らが旧来のやり方を変えようとしないからこそ、ロシアとの関係を大きく進展させるチャンスをみすみす逃すような悲劇が早くも起きてしまったのだ。北方領土問題を巡る外交交渉について前向きな姿勢を示した、ロシア大統領ドミトリー・メドヴェージェフの昨年十一月のシンガポールでの発言がどれほど重要な意義を持っていたか、日本の官僚も政治家も気づいていなかった。
一方、政治システムが法に基づいているのではなく、超法規的だという指摘もされています。
つまり日本の非公式な政治システムとは、いわば超法規的存在なのである。
中学生の頃、憲法九条を学んだ時、どう解釈しても武器は持てないのではないかと思ったものですが、結局超法規的な政治判断がとられれば、字面どおりの法律の解釈などどうにでもなるということでしょうか。
超法規的であるがゆえに、経済活動にもその意図がおよぶことがあり、ホリエモンの逮捕がここで説明されます。
また起業家精神自体が問題とされるわけではないが、その起業家が非公式なシステムや労働の仕組みを脅かすほどの成功をおさめるとなると、阻止されることになる。サラリーマンのための労働市場の創出に貢献したにもかかわらず、有力政治家や官僚らに未公開株を譲渡して政治や財界での地位を高めようとしたとして有罪判決を受けた、リクルートの江副浩正もそうだった。さらに金融取引に関して、非公式なシステムの暗黙のルールを破り、おまけに体制側の人間を揶揄したことから生じたのが、ホリエモンこと堀江貴文のライブドア事件だった。
起業家と同様に、非公式なシステムや体勢を脅かす政治家も検察とマスコミの餌食になることもちゃんと指摘されています。
検察とメディアにとって、改革を志す政治家たちは格好の標的である。彼らは険しく目を光らせながら、問題になりそうなごく些細な犯罪行為を探し、場合によっては架空の事件を作り出す。
この記事が書かれたのが2010年4月ということで、まだ民主党に対する期待が高かった頃だったためか、筆者はこうした日本のシステムを打破することができるという期待を民主党に寄せています。
さて、この日本の非公式な権力システムにとり、いまだかつて遭遇したことのないほどの手強い脅威こそが、現在の民主党政権なのである。
その検察の役割を確立した人物が平沼騏一郎であるとも書いています。
日本の超法規的な政治システムが山県有朋の遺産だとすれば、検察というイメージ、そしてその実質的な役割を確立した人物もまた、日本の歴史に存在する。平沼騏一郎(一八六七〜一九五二年、司法官僚・政治家)である。彼は「天皇の意思」を実行する官僚が道徳的に卓越する存在であることを、狂信的とも言える熱意をもって信じて疑わなかった。
検察官たちは法のグレーゾーンを利用して、改革に意欲的な政治家たちを阻もうとする。
今回の震災から復興して行くにつれ、当初日本は変わるかと思ったのですが、どうも震災前と全く同じような姿に戻りつつある気がして、少し怖くなる思いがしています。すなわち、今回のような大惨事が起きても、現状維持を回復する免疫システムは強力に働いているようです。
体制に備わった免疫システムは、メディアの協力なくしては作用しない。
こうしたメディアの現状は、もちろん政治への影響力も強くなっています。
有力新聞なら、いともたやすく現在の政権を倒すことができる。
日本の新聞が政策を述べずに政局に詳しいのは、元々は長い間にできあがった自民党の派閥争いへの対応からなのかもしれません。
なぜ日本の新聞がこうなってしまったのか、原因はやはり長年の間に染みついた習性にあるのかもしれない。普通、記者や編集者たちは長年手がけてきたことを得意分野とする。日本の政治記者たちは、長い間、自民党の派閥争いについて、また近年になってからは連立政権の浮沈について、正確な詳細を伝えようと鎬を削ってきた。
筆者は小沢一郎への最大限の賛辞を贈っています。
小沢は今日の国際社会において、もっとも卓越した手腕を持つ政治家のひとりであることは疑いない。ヨーロッパには彼に比肩し得るような政権リーダーは存在しない。政治的手腕において、そして権力というダイナミクスをよく理解しているという点で、アメリカのオバマ大統領は小沢には及ばない。
一方、日本の政治および外交力については影が薄いとしています。
日本の経済力はアメリカやヨーロッパの産業界の運命を変えてしまい、またその他の地域に対しても多大な影響を及ぼした。ところが、地政学的な観点からして、あるいは外交面において、日本は実に影が薄かった。
当然、国と国の関係よりも、派閥と派閥の関係の方が強く意識されてきた日本のメディアを通して、国民が地政学に関心を持てることはないでしょう。むしろネット上の方が地政学的な議論は盛んだと思います。
小沢の秘書が資金管理団体の土地購入を巡って、虚偽記載をしたというこの手の事件は、他の民主主義国家であれば、その取り調べを行うのに、これほど騒ぎ立てることはない。
確かにその通りで、本来ならば、一政治家の政治資金の流れについてこれほど時間と労力が割かれる投資対効果が説明できず、納得できません。
もし鳩山内閣が道半ばにして退陣するようなことがあれば、それは日本にとって非常に不幸である。自民党が政権を握り、毎年のように首相が交代していた時期、一体何がなされたというのか? もし、またしても「椅子取りゲーム」よろしく、首相の顔ぶれが次々と意味もなく代わるような状況に後退することがあっては、日本の政治の未来に有益であるはずがない。
結局こうした椅子とりゲームが自分たちの組織内の力関係に根ざしているものである限り、今日本が直面している少子化や、国民総所得の下落や、世界の中における影響力の低下などについては、まともな議論すらできないでしょう。
いま我々が日本で目撃しつつあり、今後も続くであろうこととは、まさに権力闘争である。これは真の改革を望む政治家たちと、旧態依然とした体制こそ神聖なものであると信じるキャリア官僚たちとの戦いである。
平時ならまだしも、こんなときでも、首相を引きずりおろそうとか、誰がどうしたとかそうした政治家の力関係ばかりが報道されているマスコミには怒りすら感じられます。地震と津波からの復興および、福島原発の今後の対応を考えれば考えるほど、そうした無益な派閥争いは実に虚しく見えます。
筆者は、日本がアメリカを必要としている以上に、アメリカが日本を必要としているという事実に気づいている日本人がほとんどいないことに常に驚かされる。
検察とアメリカについての筆者の思いは、次の箇所で断言されています。
この両者は、日本の利益を考えれば、大いなる不幸と称するよりない方向性を目指し、結託している。なぜなら日本を、官僚ではなく、あるいは正当な権力を強奪する者でもない、国民の、国民による、そして国民のための完全なる主権国家にすべく、あらゆる政党の良識ある政治家たちが力を合わせなければならない、いまというこの重大な時に、検察はただ利己的な、自己中心的な利益のみを追求しているからである。
興味深いことに、上記の記述は、堀江貴文氏の主張と通じるところがあります。
日本の新政権が牽制しようとしている非公式の政治システムには、さまざまな脅しの機能が埋め込まれている。何か事が起きれば、ほぼ自動的に作動するその機能とは超法規的権力の行使である。
日本のマスコミへの提言です。
日本のメディアは自由な立場にある。しかし真の主権国家の中に、より健全な民主主義をはぐくもうとするならば、日本のメディアは現在のようにスキャンダルを追いかけ、果てはそれを生み出すことに血道を上げるのを止め、国内と国際政治の良識ある観察者とならなければならない。そして自らに備わる力の正しい用い方を習得すべきである。
最後に日本国民へのメッセージも書かれています。
さらに政治改革を求め、選挙で一票を投じた日本の市民は、一歩退いて、いま起こりつつあることは一体何であるのかをよく理解し、メディアにも正しい認識に基づいた報道をするよう求めるべきなのである。
最後のこの部分は、実はインターネットを見ていると確実に起こりつつある動きなのではと思います。ブログや Twitter の記述では、かなりの人々が現在のマスメディアの報道のあり方に幻滅しており、「マスゴミ」という言い方が浸透しつつあります。とすれば、中東で起きた政権転覆のように、日本でも旧体制を維持しようとする勢力をひっくり返すには、ネット上のコミュニティーの存在が多大な可能性を持っているのではとも思えてきます。








