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Tag-Archive for "ガラパゴス"

人事制度のガラパゴス化 8月 27

日本企業の人事制度が、日本の大学卒業者に有利な採用を行っているため、国際的に有名で権威のある大学に行く人の数が減っているという指摘です。

ガラパゴス化している日本企業の人事制度
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/4275

実は「ガラパゴス化」という現象は、日本という国そのものの姿なのかもしれないと最近思うようになりました。日本だけが、独自の道を進んでいるという点においては、鎖国といってもいいのかもしれません。

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「日本人はバカになった」は本当か 5月 14

下記、過激なタイトルの記事ですが、実は自分が普段感じていることに当てはまるところが多いと思います。

「日本人はバカになった」は本当か
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/206

アメリカにいるとき、現場の人々の平均的な能力やスキルは日本の方が高いと思っていました。実際に、時々出張で日本に帰ると、店や役所などで、人々がてきぱきと働き、気を利かせてくれるので、そう信じていました。

しかし、アメリカから帰ってきて、間もなく一年が経つ今、どうもその考えは改めざるを得ないと思うようになっています。というのも、この記事で訴えられている基礎学力についてもそうなのかもしれないのですが、自分で考えて、自分で行動するということができない人が圧倒的に多いことに愕然とする思いがするのです。すなわち、「誰かがやっているから、自分も」という決め方をして、「自分はこうだからこうする」といった考えをする人がなかなかいないことに気づきました。

たとえば、スーパーのレジの並び方を見ると、向こうの方が空いているのにも関わらず、自分の近くに並ぶ人が結構います。信号待ちを見ていても、どう見てもどこからも何もこないことが明白なのに、赤信号をひたすら待っている人が結構います。まずいラーメン屋やレストランには、マスコミで取り上げられたからとか、有名人が行くからとか言う理由で、行列をつくって並ぶ人がたくさんいます。

あまり信じたくないのですが、こういう人々の価値基準はあくまで他人の行動であり、自分自身で決めるということができないのではと予想できます。つまり、自分で考えて自分の意志で行動するというのではなく、周りに流されて行動を決めるという態度です。

ここ最近のマスメディアの論調では、なにかと「ゆとり世代」の学力や行動パターンが非難されることが多いですが、実はそういう人々を生み出してきたのはまぎれもなく大人たちであり、この大人たちこそむしろ何も考えてこなかったためにこういう事態が起きているということを切に受け止めて、反省しなければならないと思います。そういう意味で、本記事の後半部分の、5、6、7ページは特に納得できると思いました。

何にも考えないで、過去の成功体験にとらわれて同じ思考パターンで行動し、その思考パターンからずれた行動や思想を「非常識」とか「空気が読めない」とか「世間知らず」と非難する態度が人々の間に蔓延してしまった結果が、この記事で語られている現実につながる結果だと思います。日本だけでしか通じない特殊な思考パターンと市場要求が熟成してしまい、政治、文化、技術、マスコミ、芸能などあらゆる分野でガラパゴス化が進み、世界の潮流から外れていきもはや各国からも相手にされなくなるという事態が進みつつあると日々感じられるようになってしまいました。

いくらか保守的になり内向きに閉じこもりつつあるものの、アメリカはもともと非常にオープンな国なので、世界中から優秀な人々が多く集まり、それが国力の増加にむすびついています。ところが日本の場合、元々海に囲まれて鎖国がしやすいところに、さらに上記のようなガラパゴス化が進むとなると、もはや世界中から相手にもしてもらえなくなるのではという危機感が募ってきてしまいます。

常に日本以外のどこに行っても、やっているだけのスキルを磨いておかなかければと改めて思いました。

日本製品が海外で苦戦する理由その2〜携帯電話 11月 11

会社から支給されている携帯電話がドコモの P-05A という機種なのだが、どうもやりたいことができなくて困っている。通話中にミュートをしようと思ってもできないし、スピーカーホンにしようと思ってもできない。アメリカにいる間にノキアやモトローラやアップルの携帯を合計5台使ったが、どの機種でもこれらの機能は必ずついていた。ところが、P-05A では、ミュートとスピーカーホンというビジネスで頻繁に使われると思っていた機能が見つからず、マニュアルにもそれらの記述が書いていなかった。ということは、本当にそれらの機能を搭載していないということなのだろうか。自分の認識が間違っていると思いたい。

P-05A には、「おサイフケータイ」や「ワンセグ」や「MUSIC」など、仕事では別になくても困らないような機能がたくさんついているだけに、よけいに信じられないという思いが募ってくる。

Bluetooth もついていないので、アメリカで買って、iPhone でつなげてつかっている Aliph 社の Jawbone というヘッドセットも使うことができない。

なんだか、日本列島という極東の小さな島で、ガラパゴス島の特異な種のように、ひたすら独自の進化を遂げてきている日本製品の典型的な例を見ている気がする。一昔前なら、アメリカでもパナソニックや NEC やサンヨーの携帯電話を見かけたものだが、ここ最近ではまったく見かけなくなってしまったのは、こうした独自の進化が日本以外の市場で受け入れられなかったということなのだろう。実際に、そうした日本国外の市場で売られていた携帯電話に慣れてきた自分にとっても、P-05A のような携帯はとても使いづらく感じてしまう。

iPhone に慣れきってしまったせいなのか、それとも自分が年を取ってしまったせいなのか、よくわからないが、自分の期待通りに製品が使えないというのは困ったものである。

こうした携帯電話が出来上がる一つの理由として、思いつくのは、日本のビジネス習慣で、電話会議という形態が実はそんなにないということである。すなわち、集団で同じ電話番号に電話して、会議をするというビジネスのやり方が実は存在しないのではという気がする。アメリカでは、ハワイを含めると同じ国内でも3時間以上の時差があるほど広大な面積を有するので、人々がそう簡単に顔を突き合わせることができない。そのため、電話会議の需要が多い。翻って日本は交通網が発達しているのと、何かといえば実際に人と会うことが重要とされる文化が未だに根強いので、集団で会議をするのなら実際に集合するという形がとられ、みんなで一斉に同時に電話をかけて話し合うというやりかたは実は存在しなかったのかもしれない。そのため、そのような会議形式に便利なミュート機能やスピーカーホン機能は携帯電話には必要ないものとされているのかもしれない。

こう考えると、日本のビジネス形態自身もガラバゴス化していると言える。そんな商習慣を持った国で進化した製品はやはりこれもまたガラパゴス化してしまうのかもしれない。