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  • 2000年10月28日

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    成田空港へは9時半横浜発の成田エキスプレスで行く.これに間に合うためには8時半頃の電車に乗れば良いので,8時過ぎに家を出れば良いと考えていた.ところがバス停にいってみるとバスがなかなか来ない.8時19分発となっているが,5分くらい遅れてやってきた.バスの出入り口のすぐ近くに立ち,バスが駅につくやいなやホームに駆け込むと,8時32分発の電車に乗ることができた.横浜駅で成田エキスプレスに乗り換えて成田空港に向かった.前もって切符が会社から支給されているので,非常に楽に行ける.

    成田空港で出発ロビーに行き,スーツケースをチェックインしようとすると,ルフトハンザはまだだといわれた.出発の2時間15分前なのにずいぶんのんびりしているなあと思いながら,3階の東京三菱銀行に向かった.自分の口座にシティーバンクのクレジットカードからの引き落としに必要な額が入っていなかったので,なんとか補充したかった.しかしできないという.仕方がないので,ひとまず円を換金してドイツマルクを400マルク手にいれた.今週始めはは1マルクが50.7円だったのが,今日は49.7円である.したがって,2万円を出したら400マルクと100円が帰ってきた.まあ自分の口座はひょっとしたら会社から定期代がはいる時期なので,だいじょうぶだろうと考え,その場をあとにして,もう一度4階の出発ロビーに向かった.

    この第二ターミナルは初めての利用である.勝手が良くわからない.ひとまずさっき断られたところに行くと,今度は長い列ができている.ふとみると,今週までBoeblingenから八王子へ来ていたカールステンも並んでいる.彼は一本あとのルフトハンザ航空で帰るところであった.2,3言葉をかわしたあと,列の関係で離ればなれになった.途中まで並んでいると,全日空とのコードシェアー便はとなりのBのブースになるという.そっちに急いで向かうと,がらがらである.やられたとおもいながら,ブースで狙っていた47のh, j, kの席を頼むと,すでにそれらは埋まっているという.せっかく早くつけたのにと非常に残念に思っていると,47のBなら空いているという.そこでもいいかと思い,席をそこでお願いして,チェックインを済ました.この47の列というのは非常口のすぐ近くで,足を思う存分伸せるところである.しかも,離陸と着陸の時にスチュワーデスと真向かいになる.A, B, CにくらべてH, J, Kの方が若い人が来るということも,友だちの全日空のスチュワーデスから聞いていたので,そちらがよかったのだ.

    チェックインを済ませたあと,カールステンと昼食をとり,フランクフルトでの再会を約束してひとまず飛行機に乗り込んだ.飛行機はすいているのか,真ん中が空いている.所々埋まっていて,自分の座る47のBと向こう側の47のJも埋まっている.自分の前に座ったスチュワーデスは二人,一人は自分と同じくらいの人で,もう一人はちょっとお年を召された人だった.この人がチーフパーサーかと思ったら,もっと前に座っている人がその役目を果たすようだった.

    機内では脚が伸せるので寝るときは楽である.しかし結局2時間くらいしか眠れず,あとの時間はTIMEや新聞,会社のドキュメントを読んだり,映画を見たりして過ごした.映画は丁度みたかったWhere the Heart is.というナタリー・ポートマン主演の映画だった.映画自体はハッピーエンドで終るほのぼのとしたものだったが,とくにめぼしいものはみあたらない.ナタリー・ポートマンの演技だけが光る気がした.

    フランクフルト空港では入国手続きは実に簡単なものだった.アメリカのように長い列に並ぶ必要もなく,パスポートチェックのブースをただくぐり抜けるだけでだいじょうぶだった.パスポートも中身はチェックしない.不思議な気がしながらシュトゥットガルトいきの飛行機に乗り換えるためにAのターミナルに向かった.途中の連絡通路がいろいろな色の光で照明されて,とてもきれいだったので,写真をとった.

    フランクフルト空港は食べ物をとる場所がないに等しい.あるにはあるが,本当に簡単なものしか食べられない.ためしにハンバーガーとオレンジジュースを注文してみると,全部で11マルクもする.ひとまず機内でたくさん食べたのであまり腹は減ってなかったので,満足はできたが. Herald Tribuneをよみながらシュトゥットガルトいきの飛行機を待っていると,カールステンが現れた.Stuttgartからどうやって帰るのかという話になって,彼がレンタカーでまず自分が今日泊まるホテルにいっしょに生き,それから彼がタクシーで自宅に向かうのはどうかと提案してきた.当初直接ホテルまでタクシーで行くことを考えていたが,その方がお互いのためになる.

    事実,それはすばらしいアイディアであることがわかった.Stuttgart空港でカールステンがスーツケースが壊れた旨をLufthansaの職員に伝え,レンタカーを借りて,いざ出発となると,道が暗くて良くわからない.カールステンがそっちは真っ直ぐ,そっちは右だと教えてくれるので非常に楽だった.3年ぶりくらいに左ハンドルの右側通行を体験したが,彼のおかげでどうにかホテルまでたどりつけた.

    カールステンを見送り,ホテルの部屋にはいると,非常にきれいで大きい.キッチンとベッドと机があり,一ヶ月すむには良さそうである.23平方メートルくらはあるだろうか.シャワーを浴びて寝た.

  • 2000年5月30日

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    今日もぱっと起きられなかった。7時ごろに目が醒めたが、そのままウトウトしてしまい、ようやく起き上がる気になったのはSanjayがおきてからだった。Sanjayがシリアルにブドウと蜂蜜を加えて朝食として出してくれた。なかなかうまいものである。8時過ぎに家を出て、Sanjayのオフィスに向かった。

    オフィスはLAX Business Centerというエリアにある。 このエリアにはOracleやHPなどのオフィスがある。彼の勤めるオフィスは3階立てのビルの2階にあった。夕方に戻ってこられるように彼のオフィスを確認した。

    オフィスからまずUCLAに向かうことにした。歩いてLAXに向かうことを試みるが、30分ほど歩いたところで滑走路が上を通るトンネルにさしかかった。ここを歩いて通るのは気が気でない。しかたなくバスを待ち、LAXのバスセンターに向かった。バスセンターからはSanta Monica Big Blue Busにのって、UCLAにむかうことにした。

    このバス、97年に来たときにすでに新しいものが走っていた。日本でも最近よく見かける床の低いバスが当時すでに走っていた。もちろん、今回のった3番のバスも床が低い新しいモデルである。バスはLincoln Ave.を北上し、Santa Monicaの目抜き通りを抜けると、Bundy Dr. を経て、Westwoodにはいる。

    大学院終了間際にプレゼンをしにきて以来の2年ぶりのUCLAはあいかわらず工事現場がどこかしら存在する。前回来たときにはあったテント張りのTowel Libraryはもうなくなって、空き地になっていた。Drake Stadiumが大規模に工事されている。工学部や医学部のビルが新しくなっている。金が入っているんだなあと思わせるふるまいである。

    昼食をBurger Kingでとり、その後Mission Impossible2を見ることにした。こちらに来そうそうみんながMI2のことを話題にするので、どんなものか見てみることにしたが、みんなが話題にするほどおもしろいものではなかった。確かにアクションはすごい。はじめにでてくるロッククライミングには圧倒されるし、ところどころでてくるTom Cruiseのアクションやふるまいがかっこいい。しかしあまりにもこれでもかこれでもかとでてくるので、どうも消化不良になってしまう。

    映画のあと、WherehouseでDogmaとEyes Wide ShutのDVDを買いそろそろSanta Monicaに向かおうと、バスに乗った。しかし適当に乗ったバスの行く先には “Santa Monica” と書いてあるものの、実際にはSanta Monica Blvdを通ってどんどん南に向かい、Picoまできてしまった。Santa Monicaで買い物を断念し、ここのショッピングモールをぶらつくことを思いつき、バスを下車した。

    しかしモールの中を歩いてみても、特に買いたいものもみつからないので、再びSanta Monicaに向かうバスに乗ろうと思った。とりあえずPico BlvdをSanta Monica方面に向かって歩いてみるが、なかなかバスがこない。ふとフルーツのいい匂いがしてきたので、そのにおいの元をたどるとシャーベット上のジュースを売っている店があった。ここでバナナとイチゴのミックスにビタミン粉末を入れたものを買い。再び歩き出した。するとInterstate 405の前を走るSepulveda Blvdをみつけ、「これならここから直接空港にいける」とおもい、すぐにきたCulver City Busにのった。

    LAXのバスセンターでSanjayの勤めるオフィスに行く方法を適当なバスの運転手に尋ね、そのバス停でしばらくバスを待った。時刻表には17:58となっている出発時間だったが、実際に出発したのは18:10すぎだった。おかげでSanjayのオフィスに着いたのは18:30くらいで、予定より30分ほど遅れてしまった。Joannaもまだ働いていて、彼女に別れを告げたあと、Sanjayと彼のアパートにもどった。Yuriと8時半に会う予定なので、しばらくSanjayと話をして時間をつぶした。

    約束の8:30になってもまだYuriはこない。どうやら迷っているようである。Sanjayが彼女はどんな車に乗っているかわかるかと尋ねるが、自分にはもう見当がつかない。6年前はたしかカローラに乗っていたが、今はもう別の車になっているだろうというようなことを話した。5分くらい経っても現れないので、Sanjayがもう一度確かめようと、家に電話をとりにかえった。するとまもなく一台の車が思わぬ方向から現れ、”Shuji?”と尋ねてきた。Yuriである。Yuriの乗っている車に驚いた。Acuraの30,000ドルはする車である。さすがに月日の流れを感じさせる。
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  • 2000年5月29日

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    さすがに今日はいつものようには起きれなかった。起きると既に尚子はシャワーを浴びており、自分が一番最後に準備を始めた。いそいで荷作りを終え、車に乗り込み、まずBrendaの家に向かった。

    San CarlosのBrendaの家は丘の上にあった。偉い立派な家である。外側も内側もともにすばらしい作りと装飾が施してある。よほどお金持ちなのだろうと思っていると、案の定、彼女の母親がいろいろなお店を経営しているという。実際に自分がCalvin KleinのEternityという香水がほしいと行っておいたところ、Brendaは彼女の母が化粧品店を経営しているので、頼んでみると言われていたので、店を持っているということは知っていた。しかしそんなにたくさんの店を持っているとは知らなかった。(実際には今回、Eternityの香水はなかったので、あとで免税品としてCK Oneを買ったのだが) Brendaの部屋に案内してもらい、彼女に送り続けたいろいろなぬいぐるみがベッドルームのそこらじゅうに飾ってあるのを確認した。よく見ると先日あげたBeanie Babyのさくらがガラスのケースにいれて飾ってある。よっぽど気に入られたみたいである。数年前はこの部屋もベッドだけで空っぽだったという。まるでお姫様がおもちゃ箱を引っくり返したような印象さえ受ける部屋になっている。ぬいぐるみ好きにはたまらない部屋なのだろう。

    Brendaの家を去り、朝食をとりにGood Earth Fresh Cafeに向かった。ここで会社の先輩に頼まれていたハーブティーのティーバックを買おうと考えていたが、どうもそれはおいていないらしい。缶入りのお茶はあるが、「クリーム色のパッケージに紺色の文字」という外見とは全く異なる。たぶんこれは違うだろうと思い、店員に要らないと言い、会計を済ませて出てきた。みんなの朝食をおごるつもりで、カードで支払い、レシートに自分のサインをしたが、チップの料金を書くのを忘れていたため、Mikeが払ってくれた。すっかりアメリカの生活様式を忘れてしまっているようである。

    朝食のあと、Citibankによってもらい、Brendaに買ってもらった香水の代金を下ろした。妹がメールで送ってくれたリストに従い、それぞれ一つずつ昨日買っておいてくれたので、その代金を支払った。本当に彼女は便りになる友だちである。ちょうどさっきのGood Earth Fresh Cafeで支払いをしているときに、横にいたおじさんとBrendaが話をしていて、なんかのひょうしに自分が「いい友だちを持って幸せだ」といったところ、Brendaも “Because Shuji is also a good person” とか何とかいってくれた。そのおじさんもいい人にはいい人が集まるとか何とか言っていた。それがどうかはよくはわからないが、少なくとも人によくしてもらうと自分もよくしてあげようという気にはなる。まさに、「情けは人のためならず」である。日本語の昔からの格言というのは実によく人間関係をよくするための知識を言い表しているものである。

    San Francisco International空港へはそこから10分もかからないうちに行くことができた。荷物を下ろし、彼らに別れの挨拶をして、Los Angelesへ行くためのチェックインをした。BrendaとMikeとともに写真を撮る機会がなかったのが悔やまれる。まあ9月に彼らが結婚式をあげるときに散々撮ることになるだろう。

    尚子はここからシャトルバスに乗り、San Franciscoのダウンタウンに向かうという。彼女に別れを告げたあと、金属探知機をくぐり、ターミナルに向かった。飛行機に乗る前にLAの友だち、千尋に電話をした。彼女が共通の友だちである香代子がBostonへ見送りにLos Angeles International Airportに2時頃いる予定である。千尋の携帯に電話すると、ついたらもう一度電話をくれという。電話のあと飛行機に乗り込んだ。

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    LAには一時間ほどでついた。ここで2時にJoannaと彼女のインド人の友だちに会う予定である。ふと見ると、まだ2時まで10分ほどある。Baggage Claimにいってもまだ当分自分の荷物が来る気配がないので、千尋に電話して会うことを試みた。彼女たちは香代がUnitedでBostonに向かうので同じターミナルの出発ゲートにいるという。急いで4階に向かうと、Boston行きの飛行機が出るゲートの前で椅子に座っている二人が見えた。千尋とは2年半ぶり、香代とは一年ぶりの再会である。再会を祝して写真を撮ると2時10分ほどになっていたので、Joannaのことも気になるので早々にその場を離れ、もう一度Baggage Claimに向かった。

    今度はBaggage Claimにいくと自分のスーツケースをすぐにとることができた。JoannaたちとはUnited AirlinesのBaggage Claimを出たところで落ち合うことになっていたので、外に出て待っているが、それらしき姿が見えない。ひとまず待つかと10分ほど待機していると、むこうからJoannaが走ってくるのが見えた。彼女とは昨年の秋以来の再会である。Joannaがいうには、今晩泊る僕のために、友だちの部屋を掃除していたので遅くなったのだそうだ。本当にありがたい人々である。彼女とともに彼女が降りたという辺りに行ってみるが、そのインド人の友だちの車の姿が見えない。どうやらどっかに行ってしまったようである。車の往来が激しいので、長いこと一カ所に居座れないのである。どうしたのだろうか、彼はあんまり車の運転がうまくないのでだいじょうぶだろうか、心配だ、彼の車は赤いサターンだ,などとはなしているうちに、ようやく彼が現れた。助手席の方が広いと言うことで、助手席にのせてもらい、運転席の彼と握手を交わした。彼の手のひらは汗で濡れていた。彼の名はSanjayといい、Carnegie MellonとDartomouthでComputer Scienceを学んだという強者である。現在はJoannaとともに日本企業向けのWeb Siteを構築している会社に勤めているという。

    Sanjayの家に向かおうとするが、Joannaがいうように彼の運転はぎこちない。見かねてJoannaが気をつけろなどと注意するが、どうも危なっかしい。実際にLAXのターミナル周辺は本当に車の出入りが多くて注意深く運転しないと危なくてしょうがない。ようやくLAXをぬけ、フリーウェイに乗るが、ここでも車線変更が怪しい。彼にどのくらいLAに住んでいるのだと訪ねると、昨年の2月からだというので、もう1年と3ヶ月は経っているわけである。その間ずーっと車を運転しているはずなのにこのテクニックとは、よほどこいつはComputer Nerd名のだろうと思っていると、実際にコンピュータのことになると偉い詳しい話をしてくる。これはおもしろい、いろいろ尋ねることができそうだと思うと、Joannaがコンピュータの話は家に帰って二人だけになってからにしてくれという。Joanna自身、UCLAで数学を専攻し、C++の授業などをとっているし、第一彼女、Washington UniversityでComputer Scienceを専攻していたはずであるのに不思議なものだと思いつつ、Sanjayと話題を切り替えた。

    Sanjayの家はTorranceの比較的住民の収入が高い地域にある。中庭にプールがあり、子供たちが水遊びをしている。3人でSanjayの部屋にはいると、なるほど、Joannaが掃除したと言うだけあって、大変きれいになっている。わざわざ彼女が自分のために寝袋と枕をもってきてくれている。Sanjayも彼の寝袋を貸してくれると言う。本当にありがたい限りだ。

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    しばらく休んだあと、どこに夕食を食べに行くかを決めようということになり、ふと、韓国料理がいいと思いつき、提案してみた。すると、Gardenaにあるお店がいいというので、そこであとで集合することにしようとした。が、住所がいまいちよくわからない。なにしろJoannaがうろおぼえに頭の中にある店である。さっそくNetで検索しようとするが、SanjayのLinuxからおもうようにNetに接続できない。見かねたJoannaが自分がもってきたGatewayの接続CD-ROMを試みるようにSanjayに指示し、今度はWindowsから試してみる。しばらく四苦八苦したあと、ようやく韓国料理屋、Shillaをみつけた。16944 S. Western Ave.にあるということを確かめ、そこでJoannaと彼女の妹、と会うことになった。

    Joannaが去ったあと、Sanjayとしばらくくつろいだ。

  • 2000年5月28日

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    6時ごろに目が醒めてしまった。ひとまず電話回線を借りて、メールのチェックをし、この日誌を書いた。8時半ごろになり、ようやく尚子が起きてきて、シャワーを浴びた。その間にFrancisに電話して、無事を確認し (結局彼女は昨日電話した直後くらいにホテルに帰っていたらしい) 誰かが迎えに来てくれるのでFrancisは直接集合場所に向かってくれといっておいた。つぎにByron家から電話があり、Byron自らが迎えに来てくれると言う。おそらく彼も自分のうちに集まって来る友人たちの手配で忙しいだろうとは思ったものの、”Thank you”といって、彼を待つことにした。今から20分くらいで来られると言う。しかし予定と思われる9時15分ごろになってもまだこない。もういちどByron家に電話すると、Alisonと言う女の子が9時50分ごろに迎えに来てくれると言う。そこでもう一度外に出て待っていると、熊のプーさんのTシャツを来た女の子が “Shuji?” といいながらあらわれた。どうやら彼女がAlisonのようである。彼女の車に乗り込むとけろけろけろっぴーの座蒲団やら、アラレちゃんで出て来るうんちの人形やら、かわいらしいティッシュペーパーのカバーやら、とにかくいろんな日本発と思われるっキャラクターグッズが多数ならんでいる。彼女も熱狂的なプーさんファンで、日本のいろいろなキャラクターも好きなようである。香港出身の彼女はByronの遠い親戚で、大学からアメリカに来て、いまはこのあたりで働いているのだという。

    Alisonが携帯電話で連絡をとり、集合場所はOaklandのレストランということになった。フリーウェイ110を北上し、途中でFrancisのホテルとBrendaの働いているオフィスをフリーウェイの脇に見付けベイブリッジを渡り、集合場所のレストランについた。既に7人くらいの人々が朝食を撮っていた。軽い自己紹介をしていると、ほどまもなくしてByronたちが現れた。次の目標はNapaValleyで酒を造っているというHakusanという場所だという。Francisの借りている車の方が大きいということで、彼女の車にAlison車に乗っていたAlison、尚子、そして自分の三人がFrancisと同乗し、Francisが運転、Alisonがナビをするという具合になった。

    しかしさっきMikeの家に来るときもそうだったが、Alisonはどうもあんまり方向感覚が良くないようである。最初からさっききたベイブリッジを逆走して目的地と全然違う方向に導くというおもしろいことをやってくれる。ベイブリッジがSan Franciscoに向かう車線が上、San FranciscoからOaklandに向かう方が下、という二層の構造になっているので、さっき集合場所に向かうときは下を通ってあまり眺めが良くなかった。今度は上の方を通っているので、眺めが良い。一度橋を渡り切った後、AlisonがByronに電話して全然違う方向を走っていることを確認すると、すぐまたベイブリッジを引き返し、ようやく北上した。

    基本的にNapa ValleyはSan Franciscoの北東、Oaklandから見ると真北に位置する。すなわち、Oaklandからはまっすぐ北に向かう道を通って行けば良い。ただ、途中で集合場所のHakusanに行くための曲り角が厄介である。前日に誰かがYahoo Mapで見付けたレストランからHakusanまでの道順では、右に曲がることになっていたが、そのあたりと思われる地点に行っても右に曲がる道は無く、むしろ左に向かっている。これはおかしいということで、同じ道を何度か行ったり来たりしているうちに、1時半くらいになり、もう直接次の目的地であるワイナリーに向かおうということになった。昼前には込んでいた道もこの時間になると空いて来た。

    ようやくワイナリーについて、みんなと落ち合えたのは2時くらいだった。Sharon母娘のレンタカーしているレクサスがちょうど通ったので様子を聞いてみると、Hakusanはあんまり大したこと無かったという。

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    ワイナリーでByronが受付の人に聞くと、ツアーを予約したはずなのにきちんと手配されておらず、予約が入っていないという。仕方が無いので写真を撮り、適当に試飲して、次の場所で昼食をとることにした。

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    次のSattuiというワイナリーはワインだけでなくサラダやバーガー等食べるものもおいてあった。20人近くで二つのテーブルを占領し、Byronが事前に用意した飲物と果物等をクーラーボックスから開け、みんなで遅いランチを楽しんだ。このとき既に3時すぎ。

    しかしそれにしてもByronは良く働く。二つのテーブルを行きかいして飲物やたべものを橋渡ししたり、人の分のサンドウィッチやハンバーガーを買って来てくれたりする。あんなに細い体なのに、本当に勢力的に良く動くものだ。だれかの話によると、Byronがまだ会社を移って間もないにもかかわらず、2週間も休みをとれるのは、CEOをはじめ彼の会社のお偉い方が皆Byronを気に入っているからだという。あれだけ頭が良く、性格も良く、良く働けるのであれば、それもそうだろうと納得できる。

    昼食のとき、PaulとSteveという人たちと良く喋った。彼らもやはりUCLA出身で、Paulは今現在働いているが、Steveは今再びUCLAで勉強しているという。彼らに自分の会社を知っているかどうか尋ねると、やはり皆知っているという。やはりここでも日本とアメリカでの名前の浸透度の格差を思い知らされた。どんな会社で何をしている、大学時代は何をした、などの会話をした。

    昼食の後、適当に写真をとり、その後店内で試飲をした。凄い人だかりである。やはり明日はMemorial Dayということで、多数の人々が訪れているようである。自分もいくつか試飲してみたが、その中でも渋みが少なく、かつ甘みもそれほど無いものを二つ、家族用とMike用にRiesling二つを購入した。

    このワイナリーで自分たちの番が回って来るのを待つ間に、ByronにどうやってKathleenにプロポーズをしたのかを聞き出すことに成功した。曰く、香港で山登りをして、頂上できれいな夜景を見た後、Kathleenの家に戻り、クリスマスキャンドルををともしながら二人でダンスを楽しんだ。全てがパーフェクトな状態だった。そこで、おもいつきでプロポーズしたのだという。前日のパーティーでJoyceの彼氏だというBrianという人に聞いたのだが、すでにKathleenが1993年に交換留学生としてUCLAにいるときから、Byronは彼女のことが好きだったのだという。7年越しの太平洋を隔てた恋を遂に実らせたこの二人、末永くお幸せにとお祝いしたい。

    各自、思い思いのワインを購入した後、やはり写真をとった。日本人がよく写真をとる人種だと馬鹿にされるが、結局香港人も同じである。本当に良く写真をとる人々である。

    その後、適当にドライブして写真をとり、夕食のためのレストランを探すが、さすがに14人を収容できるところはなかなか見付からない。ようやく見付かったときには既に9時をまわっていた。Mikeにおそらく夜中に戻ることになると、メッセージを残し、遅めの夕食をとった。

    夕食はCaeser’s Saladを食べた。味はこの前BrendaにつれていってもらったPomodoroの方がよかった気がする。それにしても相も変わらずサラダの量がすごい。大きめのさらにいっぱいよそってある。これだけで満腹になってしまう自分の胃袋もずいぶん小さくなったものである。夕食のあと、いよいよKathleenとByronと別れることになった。結婚式に呼んでくれたことを感謝し、9月にまた来る旨をつげ、わかれた。

    帰り道はスムーズだった。容易にさっき来るときに集合したOaklandのレストランにたどり着くことができた。が、Francisと別れ、再びAlisonの車に乗り込み、今度はAlison, Jeanie, 尚子そして自分の4人でまずJeanieのホテルに向かうことにした。しかしなかなかFremontに向かうフリーウェイに乗れない。やはりAlisonは方向音痴のようである。やっと乗れたと思ったら、再びNapaValleyに向かう方向に行ってしまうは、降りてやり直してFremontに向かおうとしたら、出口をまちがえてOaklandのわけのわからんところに出てしまうわで、なかなか目的地に向かうことができない。仕方がないので、セブン・イレブンでおまわりさんに道順を聞いた。Broadwayをずうっと南下し、5th streetで左折すれば、フリーウェイに乗れるという。行ってみると、たしかにフリーウェイはあるのだが、どうも変な方向に向かっている。いったんフリーウェイを降り、ふたたび5th street付近からフリーウェイに入ろうとするが、今度は入り口がわからない。その間に何だかやばそうな雰囲気の地区に来てしまった。警官がたくさんうろうろして、ガラの悪そうな人々が大量に歩いている。何だこの地域は怪しいぞ、などと行っている間にうまくFremontの方向に向かうフリーウェイに乗ることができ、無事Jeanieをホテルまで送ることができた。

    こうなればあとは優しいものである。Alisonも二度目は迷わずMountain View にあるMikeのアパートまで迷うことなくたどり着くことができた。Alisonお疲れ様でした。あした尚子が彼女の家にお世話になるのでその打ち合わせを軽くしたあと、彼女と別れた。

    Mikeに無事返ってきた報告をし、おみやげのワインを手渡し、シャワーを浴びて寝た。

  • 2000年5月27日

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    昨日紹介してもらったMikeのルームメイト、Jasonの声がして起きたのは10時半であった。信じられないくらい長い間寝ていたようだ。起き上がって着替えて、身支度を整え、Brendaが来るのを待った。待っている間、昨晩残しておいたドーナツを食べた。Brendaの父が「食う前まではドーナツなんてと馬鹿にしていたが、これを食べてから好きだと言うようになった」と言うのが納得できるおいしさである。一気に残されていた2個を食べた。Brendaは11時半ごろ現れ、即3人でSan Jose空港に向かった。Portlandから来る尚子を向かえるためである。

    San Jose AirportはSFOにくらべて小さいので、すぐに人を見付けられる。実際に尚子もすぐに見付かった。Baggage Claimでもすぐに彼女のバッグが見付かり、In ‘n Outというファーストフードの店で昼食をとることにした。この店はFrench Friesを生のじゃがいもからつくるので、とてもうまい。尚子が牛肉が食べられないと言うので、「テイクアウト」にして、尚子のためにMikeの家の近くのHappi Houseという日本食のファーストフードの店で尚子の分の昼食を買うことにした。Mikeの家で昼食をとり、尚子とBrendaが少しの間寝ている間、自分はメールチェックをした。とくにめぼしいメールも着ていないので、あるメーリングリストに自分が今シリコンバレーに入る旨を書こうとした。しかし登録していない、so-netのアドレスからメールを出そうとするので、弾かれる。仕方が無いので、急いでWeb browserを立ち上げ、自分のso-netのメールアドレスを登録し、再度メールを送ったら、アドレス入力を間違えて、昔のメーリングリストのアドレスに送ってしまった。

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    3時半になり、結婚パーティー用に着替えをして、身支度を整え。4時ごろにMikeの家を出て、4時半ごろにThe Great Mallについた。Receptionまでにはまだ時間があるので、モール内を尚子と二人でぶらぶらすることにした。途中で紙の毛を切りたかったが、どこもこんでいたので、ジェルをかって髪を整えた。ついでにカードを買って、今日結婚パーティーを開くKathleenとByronのために、お祝いの言葉を書いた。

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    5時半ごろMayflowerという中華料理屋に行くと、受け付けは既に始まっていた。入口でChrisにあった。彼に会うのは6年ぶりである。久しぶりの再会でもちゃんと覚えていてくれるのはありがたい。ReceptionでByronとKathleenのためのプレゼントを渡し、自分たちの座るテーブルが一番先頭から2番目の列の、左から二番目のところだった。テーブルの上には “Japan Friends” というフダがおいてあるが、実際にいるのはUCLAの友人たちである。自分の左どなりには、大阪に住んでいるときにKathleenに紹介してもらったFrancisがすわり、右側には尚子がすわった。真向かいの母娘がどうも日本語で話をしているなと思って、女の子の方を良く見るとSharonである。彼女はKathleenのルームメイトで、いつもKathleenの電話をとり、あたかも留守番電話みたいな役だった。Sharonのお母さんによると、彼女たちは福岡から来ているのだそうだ。

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    それにしても香港人も写真をとるのが好きな人達である。7時半に夕食が始まるまで、2時間半、ByronとKathleenはずーっと写真を誰かととっていた。入口付近に香港のメインの式でとったと思われる写真が並んでいたが、実にきれいに撮られている。花がフレームを形作り、花嫁と花婿の一番笑顔の美しいショットが数多くならんでいる。尚子が「香港の人って写真撮るのがうまい」と驚いていた。

    夕食はクラゲの料理から始まり、スープや豚肉、ご飯、エビ、そしてデザートがでるという、標準的な中華料理のコースだった。

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    印象的だったのは、数々のゲームと事あるたびに起きるキスの要求である。後から聞くと、この風習はアメリカにいる中国人に特有のもので、別に中国人みんなが結婚披露宴で個のようなことをするわけではないという。花婿が目隠しをして、女性何人かが花婿にタッチしたり叩いたりしてその中から誰が花嫁かを選ぶというゲームは日本でも友達がやっていたが、花嫁を花婿が抱えて会場内を走って一周するというものや、花嫁と花婿がキスをし、花婿が唇についた口紅で、中国語で結婚のときの喜びを表す漢字、「喜喜 (喜ぶが二つ並んだ漢字)」を完成させるというものなどは、はじめてみた。

    結局全てが終ったのは10時半だった。出口付近でKathleenとByronの両親が並び、最後にKathleenとByronがならび、あいさつをした。明日のNapa Valleyにいくときの交通手段が無いと言うと、まあ後で何とかしようということになり、とりあえずその場を離れた。しかしさらに我々は、Mikeの家にどうやって戻るかという問題が残っている。するとFrancisが「あたしがSFOの近くのホテルに止まっているので、途中で降ろして行ける」といってくれる。本当に皆ありがたい人達である。その申し出に甘えることにした。事前にBrendaに教えてもらった帰り方を記したメモを見せると、ちょうど来るときに通ったFreewayを通るので都合がいいと言う。とくに迷うこともなく、11時くらいにMike家につくことができた。

    もう一度明日の予定を確かめるために、Byron家とFrancisホテルに電話をするが、まだどちらも帰っていないらしい。しばらく様子を見て、もう一度電話すると、Byron家では、Byronの妹Joyce (結婚披露宴のとき、彼女は日本のアナウンサーの誰か似ていると話題になった) が出て、まあとにかく明日誰かが迎えに来てくれると言う。とりあえず都合がついたので、もういちどFrancisの泊まっているClarion Hotelに電話したが、まだ何の返事もない。11時半ごろだったので、まだ帰っていない可能性もあるが、ひとまず彼女の無事を祈って寝ることにした。

  • 2000年5月26日

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    いよいよ2年ぶりのアメリカ旅行である。前日にアメリカでお世話になる友達へのお土産として、家の目の前にある「宴」という和菓子屋さんで、せんべいや甘いものを買おうとおもいたっていたので、10時を過ぎてから買いに出かけた。音楽を聞くためのヘッドフォンと、ひげ剃りも買っておいた方が良かろうと思い、コジマで買うことにした。買物を済ませ、荷作りを済ませ、準備OK!とおもったら、スーツケースの鍵がかからないことに気づいた。先日確かめたときは、ダイアルロックがちゃんとかかったのに、今はかからない。ひとまず時間がないので成田に行く途中で鍵の付いたベルトを買うことにする。

    乗り換えが楽だろうと思い、横浜線で横浜に向かい、横浜エアシティーターミナルからバスで成田空港に行くことにした。横浜そごうで鍵つきのベルトを買い、スーツケースに巻き付けたが、いまいちしっくりこない。念のため、スーツケースがいくらで売られているか確かめると、4万円以上する。高くて話にならないので、あきらめてそのまま成田に向かった。

    久しぶりの成田空港である。検問が造られ、いちいちそこを通る人のパスポートをチェックするというのは、初めて経験した。よくよく考えると、ただ単に今まで電車で空港に向かっていたから、道路上の検問は馴染みが無かっただけかも知れない。北ウィングもだいぶ変わった。いままでは狭くていつも込んでいるイメージがあったが、いちおう海外でよく見られる空港みたいになり、人の流れもスムーズになっていた。

    時間が無いと思っていたが、結局チェックインしたのは出発の2時間前だった。3時すぎになってようやく昼飯を食い、レストランで時間を潰してから飛行機に乗り込んだ。

    ユナイテッドの座席は相変わらず狭い。まあ安いので文句はいえないと思い、狭いのをがまんしながら出発直前に成田で買った大前健一著「ドットコムショック」を読んだり、機内放送を聞いたり、このノートパソコンを開いたりして過ごした。アメリカ人のスチュワーデスがこのPCをみて、「そのパソコンはどこ製だ?SONYか?偉い小さい!」と驚いていた。

    さていよいよアメリカの地に着陸するという段階になっても、もはやかつて9年前に初めてこの地に降りたときのような感激はもう全く無い。さすがに何回も太平洋を往復していると、あのときの感動もさめきってどこかにいってしまった。

    空港についてから、Immigrationを通るときに、どこの会社で働いているのだと係員に聞かれた。おそらく知らないだろうなと思いつつ、例にいってみたら、知っているという。11月に生まれたばかりの会社だが、こちらでの浸透度は高いようである。こちらでの宣伝はうまくいっているのだろうか?それとも、ただ単に地元の企業ということで、地元の住民が知っているだけなのだろうか。しかしサンフランシスコ周辺地域でも数多くの会社が生まれ、潰れていくので、人々に知られるようになるにはそれなりの宣伝と報道が必要だろう。となると、やはり本国での宣伝と報道が、日本のそれらとはかなり違っていたということになるのだろう。

    空港の出口をでたところでUCLA時代の友達、Brendaの婚約者であるMikeが迎えに来てくれているはずである。彼らが去年日本に来たときは、自分が道順を間違えたり、切符を見間違えたりして、使えないガイドぶりを発揮してしまって、それにもかかわらずこれから3日間Mikeの家でお世話になるのは忍び無い気がする。ただただ彼らへのお土産を気に入ってくれることを祈るだけである。

    結局出口をでたところではなく、建物の中側でMikeを発見し、無事にMountain Viewの彼の家についたのは11時半くらいだった。昼飯の時間なので、荷物を降ろした後、Downtownでタイ料理を食べることにした。Memorial Day前の金曜日ということで、人通りは普段に比べると少ないということだった。それでも12時半にもなると、このレストランも人でいっぱいになっていた。

    アップル本社前
    Brendaに3時に彼女の会社に迎えに行くことになっていたので、それまでどうやって時間を潰すかを考えた。まずはApple Computer Inc.の本社が良かろうと思い、Cuppertinoにむかった。「あれだ」とMikeの指す方向を見ると、例のりんごマークが見える。さすがに建物もおしゃれな感じがする。きっと観光客のために何か売っているはずだ、かつ、マックライフ編集部の友達が一週間前にここを訪れて、買物をしているはずだ。とおもい、あたりを見渡すと、やはりSouvenior Shopがあった。マック本体や、ソフト、それにTシャツやマウスパッドなどの小物が売られている。お土産に良いと思い、マウスパッドとIDカードのホルダーを買った。

    次に自分の会社の本社を見てみたいとMikeにいった。ついでにシリコンバレー発祥の地に指定されているガレージにも行きたいといった。Mikeによると、本社は知っているが、ガレージは知らないという。まあ本社に行けば、分かるだろうと思い、いってみると、「やはり」である。”Where is the garage?”ときくと、すぐに地図を出してくれた。この本社(本当にそうなのかどうかは分からんが)、建物はそんなに立派に見えないが、内装はやはりゴージャスである。
    日本とアメリカでの格の違いを思い知らされた。

    その後例のガレージに行ってみたが、何のことは無い、ただの民家である。一応記念碑として、1989年5月19日にサンノゼ市から史跡に指定されたということを示されているのだが、それが無かったらただの普通のガレージである。どうりで地元民が知らないはずである。一応記念に写真をとって、その場を離れ、Stanford Universityにむかった。

    Stanfordでは、コンピュータ関連の本で、何か安くていいものは無いか確かめたかった。しかしとくにめぼしいものもないので、そのまま写真もとらずにその場を離れた。

    その後3時にBrendaを彼女のオフィスで拾うためにSiebelにむかった。しかし連休のある週末ということで、たくさんの車がフリーウェイを走っている。なかなか進んでくれない。途中で何度も彼女から電話がかかって来る。もっと早くシリコンバレー見物を切り上げれば良かった。Brendaに申し訳ない気がする。しかしまあこのあとプレゼントを開けば、十分な埋め合わせになると考えるのであった。

    Brendaが何をしたいかと聞いて来たので、彼らにお願いして、ショッピングセンターにつれていってもらい、明日のためのYシャツとネクタイと靴を買うことにした。靴は2足で100ドルのものをカジュアルなものとフォーマルなものをそれぞれ買った。シャツはなかなか手頃なものが見付からなかった。ある高級な店では自分が着るような数十ドルのものは見られず、数百ドルのものばかり並んでいた。ようやくNordstromで普通の40ドルくらいのシャツを見付けた。その後銀色のネクタイを買いそろえ、明日の準備は整った。

    買物が終ると、BrendaがKrispie Kreamというドーナツの店につれていってくれるという。ドーナツは日本でのミスタードーナツやダンキンドーナツでの味が気に入らないので、あまり好きになれないたべものだった。店に入って、自動的に次から次へとドーナツがつくり出されているのを見たときは、「どうせ大したこと無いんだろう」と醒めた目で見ていた。気がつくと6時近くになっており、夕食の時間ということで、ドーナツはMikeの家につくまでお預けとなっ
    た。

    夕食はイタリアンにすることに決めた。彼らのお勧めの店、Pomodoroにいって、シーフード入りのパスタを注文したが、彼らがいうほどおいしくは感じられなかった。それでも確かにアメリカの標準からすればおいしくはあるので、いちおう”Good”と答えた。相変わらず皿いっぱいに山盛りにしてくるのは変わっていない。こんなの半分くらいしか食べられんと思って、半分くらい残すと、Brendaは既に全部食い終っている。155cmくらいしかなくて、痩せているのに、良く食べるものだと感心してしまった。

    週末なので、ビデオでも見ながら夜を過ごそうと、いくつかのレンタルビデオ屋にいったが、あまりいいものが無いということで、早々に引き上げた。実際自分としては、つかれていて早く寝たいので、この判断はありがたかった。

    さてMikeの家についてから、いよいよお楽しみのプレゼントのお披露目である。まずBrendaに頼まれていた三つのパイナップルの熊のプーさんを渡し、それなりに喜ばれた。”And, there’s one more gift for you.” といって、ソニープラザの袋を取り出した。Brendaの「もしや?!でもまさかそんな」と言うような目が印象的である。”Oh, wow! What’s this?” といいながら、あたかも宝箱を開けるようかの表情で取り出して出てきたのが、日本限定販売の「さくら」
    ビニーベイビーとわかるやいなや、飛び上がるようにして喜んだ。実に嬉しい瞬間である。日曜日の朝、早くから並んで手に入れたかいがあった。その喜びようは、思い出すだけでもこっちが楽しくなるくらいである。さっそく家に持ってかえって、ガラス箱に入れて飾るという。心から欲しがっていたようなので、送った方としても、素直に喜んでもらえて嬉しいものである。

    さわぎもおさまって、Brendaが帰った後、シャワーを浴びてから寝たのは11時半くらいだった。