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Archive for 2000

2000年11月20日 11月 20

一応事務的な仕事があるかも知れないので,残るように言われていたが,いざマネージャーに電話すると,もうそれは片付いたという.完全にすることがなくなってしまった.ためしにもう一度,失敗していた測定をやってみようかとシステムをいじっていたところ,Jensがやってきて,ちょっとやり方を教えてくれと言う.ざっと流れとやり方を教えると,Jensが早速この前ネットで買ったばかりのデジカメで,接続の様子をカメラに納めていた.なかなかいいアイディアである.

さていざ例のうまく行かなかった測定をしてみると,怪しいコメントは出ているものの,何とかとおっている.これであと一つを除いてすべてがうまく行ってしまったことになる.めでたしめでたしと手放しでは喜べない状況ではあるものの,まあ当初の目的は一通り達成されたことになる.

昼休みに政治の汚職について話題になった.何でもある軍事機密をもった人たちが,FBIの手か,誰の手かはわからないが,次々と殺されているそうである.それも一見ただの事故のようなやりかたで何の罪もない人々を犠牲にしてまで抹消されているのだという.まあどこの世界でもそういう汚いものは存在するようである.

夕食はJensと遠藤さん,奥園さん,芦田さんとでBoeblingenのイタリアンレストランに行った.ここではおばちゃんが名物だそうである.なるほど,小さな店のなかで小柄な彼女の存在感は大きい.めいめいピザやスパゲティーを注文していた.自分はリゾットを頼んだが,これがなかなかよかった.米の具合いもほどよい感じである.日本以外の国でこんなにいい感じのリゾットを食べたのは初めてである.次回出張があったらまた是非来たいところである.

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2000年11月19日 11月 19

今日の予定は特に決めていなかった.一応金曜日にJensがもしいっしょに何かしたかったら,電話してくれということを言っていたので,電話してみたが,携帯も家の電話もどちらもなぜかつながらない.電話している最中に,いつかプロジェクトの打ち上げでHerrenbergにいったことをおもいだした.あのときは夜で何も見えなかったが,Jensが昼間に来るといい,ここは古い街で第二次世界大戦でも壊されなかったという説明をしてくれていたので,今日見に行くのがよかろうと思った.

朝は周りを散歩してみた.銀行にお金を下ろすのだが,その途中で教会によってみた.ここはプロテスタント系のものだが,それなりに威厳がある面持ちをしている.掲示板をみると,J.S.バッハのコンサートが土曜日に開かれると書いてあるが,もうそのときには日本に帰っているので,聞きに来ることができない.残念である.ドイツでは訪れたすべての教会にパイプオルガンが備えてあったが,一度その音色を聞いてみたいものである.

午前中はプールで泳ぐことにした.日曜日ということで,たくさんの人でいっぱいになっている.風邪がまだなおりきっていないせいか,あまり体調がよいとは言えない状態なので,ほどほどに切り上げて,サウナで汗を流した.

部屋に帰り,荷物を整理して,Herrenbergへと向かった.アウトバーンではちょっと走ると10km先という表示が出た.ということは,ホテルから15kmもないというくらいだろう.街にはいると玉ねぎみたいな形をしたドームを上にもった教会が目につく.上から街を見下ろす感じで建っている.あそこに上るにはどうしたらよいかなどと考えながら,車をしばらく走らせ,Statthalleの前の駐車場に止め,街を歩き始めた.なるほど,たしかに古い家々が立ち並んでいる.暗くてこの前はわからなかったが,たいへんこじんまりとしているが古い家々と狭く込み入った石畳の道がとても可愛らしく感じられる.その古い家を改築して,一階が店舗,その上が住居部分という作りになっている.日曜日なのにたくさんの人手がある.ここでも皆,ウィンドウショッピングをしているらしい.

やがて教会の前の広場にたどり着いた.教会はちょっと階段を登ったところにある.いってみるとこれも結構古そうである.いろいろな年号があるが,ドイツ語のなかに混ざっていて,どれが建築年だかわからない.しかしすくなくともルネッサンス期にはもう建っていたようである.まず中の講堂部分をみて,パイプオルガンがやはりあることを確認し,そのあと上の玉ねぎ部分に登ってみた.人がすれ違うのがやっとな狭い螺旋階段を登っていくと,展望部分につく.ここからみた街の眺めが最高である.オレンジの屋根と白い壁の家が辺り一面に広がっている.遠くからアウトバーンと電車の線路が走ってきて,この街に入り,再び出ていっている.何とも言えないいい眺めである.しばらく眺めを堪能したあと,教会を降りて,トルコ料理屋で昼食をとった.

小さな街なので,すぐに見学は終りである.せっかくこの辺りは温泉どころということであるのだから,違った温泉を試してみようと思い,Boeblingenにいって温泉を探してみた.とりあえずついたものの,営業時間はすでに終わっているようだ.仕方がないのでいつものMineralthermaにいき,ゆったりとくつろいだ.

ホテル部屋に帰り,近くのイタリアンレストランで夕食をとり,就寝した.

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2000年11月18日 11月 18

遠藤さん,芦田さん,水谷とともに,朝7時45分に集合し,城巡りをした.

1. Burg Hohenzollern

 Tubingenという古くからの学生街からちょっと離れたところにある。”Burg” とは、戦闘用の城という意味。日本語では「城塞」となっている。Hohenzollern家は有名なFrederick the Greatが統治していたときは、西はポツダムから東はベルリンまでの広大な地域を支配したほどの、強力な王家だったが、その家系の源泉がこの城にある。その家系は実は二つに分かれていて、Prussia側と、Swabia側に分かれる。Prussiaの象徴である鷲は、今もドイツの国旗に使われている。

 城はそのあたりで最も標高の高い山のてっぺんに建っていて、実際にそこからあたり一面が手に取るようにわかる。ちょうどこのあたりは昨日雪が降っていて、その雪がまだ残るほど寒さは厳しく、風も強い。しかし見張り台から下を見下ろせば、どこから誰がやってくるか、すぐにわかってしまう。下から攻めてきた敵に対処するための槍を放つしかけや、大砲をうてるようなしかけもあるし、敵が攻め込んでこないように跳ね橋もあちらこちらに造ってある。

 そんなわけで頑丈そうに見えるこの城も、実は造られてから三つ目のものになるらしい。一番最初のものは、11世紀に立てられたものの、1423年にのっとられた後に壊されたらしい。1454年に再建されたものの、その後一家が移り住んで戦闘上の意味をなさなくなったら、崩壊していった。1819年にプルシアの王子がここを訪れたときに再建することを決め、1850年から1867年の工事で今建っている城が完成したという。とはいうものの、彼が徹底的に中世の面影を残そうとしたおかげで、内部の様子はかなり古めかしく感じられる。

 中には一族が持っていた宝やほかの貴族からの贈り物が並べられていて、中には120個以上のダイヤモンドと8個の真珠と大きなサファイヤをもつ王冠や、ビクトリア女王から送られた飾りや孫のためのおもちゃまでおいてある。歴代の王様やその妃の肖像画も飾られている。印象的だったのは、イギリスのビクトリア女王の娘のビクトリアがHohenzollern家に嫁いで生まれた子供の絵。このプルシア王子の絵はビクトリア妃が自分で描いたのだという。

 城にはカソリックとプロテスタントの二つのチャペルがあって、カソリックのほうは、2代目のお城から残っている唯一の建物である。ツアーガイドのThomasによると、プロテスタントのチャペルのほうがきれいで華やかだというが、本当にそのとおりで、こちらのほうがやはり近代的できらびやかである。

 この城の情趣は現在24歳の青年だという。皇帝Willhelmの直系の子孫だそうだが、それにしても大変な資産を持っているものだ。

2. Schloss Lichtenstein

 Hohenzollernの城からそんなに遠くないところにある。”Schloss” もお城のひとつだが、こちらはどちらかといえば貴族が避暑に使う目的でつかわれるらしい。日本語では宮殿や王宮にあたる。ジュラ紀のころからの石がこのあたりで取れ、それが光るようにみえることから、光 (licht) と石 (stein) が組み合わさって、そういう名前になったらしい。

 もともとはこのあたりを治めたLichtenstein候がここから500mほどいったところに城をたてたが、14世紀に今の場所にWurttemberg家が建てなおしたという。Lichtensteinの町は、谷間にあるが、ここは海抜700mで、城はさらに200mあがったところにある。

 この城は基本的に中世の建築当時からずっと建っていたが、第二次世界大戦のときに連合軍の戦車が攻撃した際に塔を壊されている。「猟師達が酒を飲む部屋」というところの鏡にはその破片がぶつかったあとがある。なお、この部屋には貯蔵庫へつながる階段があり、さらにそこから隠し出口へと抜けられる。この隠し出口は外側から見ることができる。

 この城の中にもチャペルがあり、その中の一角には死者をなだめる空間があり、赤い窓から差し込む光が永遠をあらわすのだという。この前京都に行ったときに光が差し込むと七色に光る障子や緑色っぽく光る障子があったのを思い出し、あれに似ていると思った。

 この城に入ろうとしたら、休憩中となっていたので、駐車場の隣のレストランで昼飯を食べることにした。レストランに入ると力強い歌声が聞こえてくる。中高年の男性総勢20名ほどが全員青のトレーナーをきて、何か歌を唄っている。どうやったらあんな声が出せるのだろうと感心するくらい、腹のそこから声が出て、それが部屋を揺らすかと思うくらい迫力がある。しかもみんな座りながらこの声をだしている。2曲唄った後、彼らは出ていった。

 閑散としたレストランの中で、ホットワインを飲んだ。赤ワインが暖められていて、その中に砂糖を入れて飲む。もともと甘い酒だが、さらに甘くなる。しかし雪がまだ残る山のてっぺんを歩き、冷え切った体を内部から温めるにはちょうどよい。サラダと牛肉を焼いてきったものと、卵焼きみたいな色をしたパスタのようなものを食べた。

3. Schloss Hohentubingen

 Tubingenは25,000人の学生を擁するTubingen大学とともに栄える町である。人口の3倍の学生がいるというだけあって、歩いている人たちはみな若い。また、ドイツで最も古い大学であり、Eberhard候により1477年に開かれたらしい。この宮殿自体は16世紀のルネッサンス期にそれまでの城の廃墟の上に建てられたらしい。

 ローマの凱旋門を模した門や、所々にのぞく装飾は確かに中世からの古めかしさを感じさせる。しかし現在大学の民俗学、古代史や文化に関する学問の研究場所になっているだけあって、ところどころに最近造られた、もしくは補修されたと思われる箇所が多数見られる。したがって、実際に今も使われているだけあって、前の二つの城に比べると歴史的な古めかしさや博物館的雰囲気というのはなく、今も生きた感じがする。

 この城壁から見下ろせる町の様子が実にすばらしい。Neckar川が東西を流れ、その川に沿って、北側に古い家々が並び、南側はプラタナの並木道になっている。北側は斜面になっていて、古い家々の並びがそのままこっちのほうにきて、頂上付近にこの城と教会、それに旧市庁舎がある。南側も並木道の向こう側に学校や駅があり、家々も立ち並ぶ。ゲーテもこの町を愛したといい、最初の著作はここで生まれたのだという。

 この町は住むのに人気が高いというが、自分にとっては住む気にならない。こんな素敵な町が日常化してしまうことが怖い。それよりもちょっとたまに来て、町の雰囲気を楽しむというほうがよさそうである。

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2000年11月17日 11月 17

当初予定していた仕事は今日ですでに終わってしまった.課題が二つ残っているが,一つは日本でもすでに出ている問題で,こちらにいるからと言って,解決できるものではない.もう一つはどうやらそのモジュールに特有の問題らしいが,代替のモジュールがないので,これ以上調査のしようがない.

就業後は,Stuttgartに奥園さんと蘆田さんとともに買い物に行った.奥園さんの車で行ったが,会社からすぐのアウトバーンでいきなり渋滞していた.へえこんな田舎のアウトバーンでも渋滞があるんだと感心していると,奥園さんがここはミュンヘン方面に向かう車で混むのだという.実際にミュンヘンに行く道が分かれ出すと,そっちのほうばかり混んで,Stuttgart行のレーンはすきはじめた.

Stuttgartにつき,芦田さんと奥園さんはおもちゃ屋にいき,自分はスポーツ用品店で買い物をした.目当てのタオルがもう売りきれていたので,マフラーを買い,友だちへのみやげとした.その後おもちゃやに戻った.しばらく3人で店内をみた後,Koenigstrasse沿いを歩き,適当にデパートをみてまわった.途中で自分はSwatchを一つ買った.

夕食はステーキ屋で食べた.ドイツでの肉料理はだいたい塩辛いのだが,ここはむしろ薄いくらいである.適当に塩と胡椒を加え,好みの味にした.

奥園さんはStuttgartにすんでいるのでここで別れ,芦田さんと二人でBoeblingenへとかえった.

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2000年11月16日 11月 16

仕事はほとんどあしたで終わりそうな気配である.日本にいるエンジニアに聞けばかたづいてしまいそうである.

夕食はHirschというドイツ料理屋で食べた.遠藤さん,芦田さん,水谷とホテルで待ち合わせ,4人で歩いていった.ここは「鹿」というなの通り,店内には鹿の首から上の頭骨がかざられている.

料理は全体的に塩辛くなっている.どこのレストランでもそうだが,ドイツの料理は全体的に塩辛いものが多い.遠藤さんが,今なら茸が旬なので,何か茸のいい料理はないかとたずねると,椎茸のサラダと特別にメニューに乗っていないものを作ることができるという.自分は椎茸のサラダを食べ,ほかの人はスープを頼み,全員でこのスペシャルメニューを食べた.茸の風味がほどよくただよってくる.誰もがここのレストランは美味しいと言うだけあって,おいしい.

横ではアメリカ人らしい人たちが15人ほどいた.どうやら同業者みたいだが,定かではない.

Pilsを飲んで,いい具合いによったところで解散し,ホテルに戻った.

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2000年11月15日 11月 15

仕事は今週はじめのごたごたがあったものの,ようやく金曜日の状態まで戻った.うまく行けば後二日で終わるかも知れない.うまく行かなければ来週まで持ち越してしまうだろう.今の時点では定かではない.

夕食は,日本人9人とタイ料理屋に行った.ここは自分の泊まっているホテルの近くにあるのだが,わざわざHerrenbergに泊まっている人たちも来ている.何やらこのホテルに行くのに散々迷ったと言うような話をしているので,まあみんなここに来たら道に迷うものなのだと安心した.

料理はこの前のRainbow Gardenにくらべて辛めである.特にトムヤンクンが辛い.でもまあ飲めないほどではない.味も日本で食べるタイ料理屋と遜色ない.ビールとサウナの話で盛り上がり,お開きとなった.

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2000年11月14日 11月 14

仕事は進んでいない.逆に不振な振る舞いを見つけている.今週に入ってやたらといろいろなトラブルが生じている.心配である.

夕食はJensとともにBoeblingenのギリシャ料理やで食べることになった。もともと金曜日にいく予定だったが、体調が悪く、声がほとんどでない状態だったので、二人でサシで飲むのは苦しい状態だった。今回はまあ咳は相変わらず出るが話すことは問題ない。

7:50にこの前のタイ料理屋、Rainbow Gardenの前で待ち合わせることにした。5時半くらいに仕事を切り上げ、買いものをして時間を潰すことを考え、昨日いったスーパーにいき、お土産を買っておくことにした。どれにしようかいろいろと迷ったが、クリスマス前ということで3マルクくらいで売られている小さなリールの飾りを15個買った。手頃な大きさのワインも買おうと思ったが、めぼしいのがないので止めた。

7:30くらいに店を出て、すぐに待ち合わせ場所にいけるかと考えたが、やはりBoeblingenはむずかしい。途中曲り角を間違えると、一気に見知らぬ地帯にはいってしまった。どうやら住宅地らしいのだが、どこがどの方角か全くわからない。とりあえず適当に進むとStuttgartという看板が見えた。これと反対にいけば良さそうだと判断し、反対方向に向かうと、Stattmittという標識が見えてきた。このまままっすぐいけば何とか市の中心部にいけると安心し、道なりにいくと何故か突然見覚えのあるPostpladzの駐車場が現れ、車を停めた。雨の中を傘も持たずに歩いていくとJensが既に店の前で立っていた。時計を見ると7:50で、ぴったりである。

レストランはこのまえのHerrenbergの店と同じように、地下の昔貯蔵庫だったと思われるような部屋に通された。メニューを見るが、何を頼んだらいいか検討がつかない。昼間魚を食べて、失望したが、口直しにと思い、また魚を食べることを考え、挑戦してみた。でてきたものは、ニンニクの刻みがのっかっている。味付けがやはり肉料理と同じようになっていて、魚本来の持つうまみがどこにもない。魚自体は昼間のカフェテリアのものに比べて新鮮みたいだが、しかしそれにしても情けない味付けである。やはり西洋料理の魚はおいしくないという結論に達した。

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2000年11月13日 11月 13

今日は何の仕事の進展もなかった.システムに様々な手が加えられるので,一日システムに関することは何もしないで,机に座って,ネットスケープでWeb ブラウジングをし,読みたいと思っていたドキュメントを読む,ということをしていた.やむをえぬ事情とはいえ,気持がよくないものである.

今週から八王子から一人芦田さんが来ている.彼は車を運転したくないということで,会社から歩いて20分くらいのところに泊まっている.ということで,遠藤さんと交代で彼の夕食を供にすることになった.今日は葦田さんは自分とSindelfingenのドイツ料理屋にいくことになった.Marktpladtzのわきにあるこの料理屋はどちらかといえば居酒屋っぽいのりで,酒だけを飲む人もいた.実際相席になった前の席のカップルも,ひたすら陽気に飲んでいた.

チップを書くときになって,さあいくらにしようかと考えていると,彼女らに笑われた.そこに値段を書けという.そんなことは知っている.いくらチップを渡すかで考えているのだというと,そんなものはやらんでもいいという.アメリカとは事情が違うようで,こちらはそんなにチップをやらなくてもいいらしい.とりあえず5マルクくらいをやり,帰ってきた.

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2000年11月12日 11月 12

まだ調子はよくない.しかし何としてでも今日フランクフルトで行われるThe Corrsのコンサートには行きたい.洗濯物をフロントに預け,洗濯をお願いしたあと,9時半頃にホテルを出発し,81号線を北上した.前回フランクフルトに行ったときはすぐに8号線に乗り,そのあとで5号線という経路を使ったが,5号線が工事個所が多く,走りにくかったので,81号線を北上し,6号線で北西に向かい,その後6号線で北上,そのまま67号線に入り,最後に5号線でフランクフルト空港付近を通るというものである.フランクフルト空港付近では英語のFM放送が聞こえてくる.空港付近には,US AIR BASEという記述が看板にみられる.やっぱり英語があるとほっとしてしまう.

フランクフルト市内にはいるとすぐに,コンサート会場であるMesseについた.駐車場に車を止め,係の人に聞くと16時以降に止めると24時まで14マルクで止められるというので,いったん3.5ドルを払いそこを去り,マイン川の南側の博物館密集地域に行こうと思った.とりあえずここらへんの古い町並みを楽しんでから昼食をとり,その後市の中心地へいき,メッセに行こうと考えた.いざ,博物館密集地域 (Sachsenhausenというらしい) にいって車を止めてブラブラしたが,なかなかそれらしい建物はみられない.とりあえずきれいな町並みは見えるが,それほど古そうにも見えない.あきらめて,市の中心地に向かい,しばらく駐車場を探したあと,裁判所の横に車を止めた.

Citibankでお金を下ろしたあと,Zeil Strasseを歩いていき,しばし町並みを楽しんだ.途中でKebabを食べ,街のようすを眺めるが,日曜日で店がしまっているにもかかわらず,人の数が多い.どうやらウィンドウショッピングを楽しんでいる人も多く,そのためかショーケースもライトアップされている.そのまま通りを西に歩いていき,Alter Operで南西に向かった.このオペラハウスは戦後建て直されたらしいが,当初建てられた当時の威厳が保たれている.このようにドイツには戦後建て直された建物が数多くあるが,このようにちゃんと当初の通りにするところがすごい.町並みもできるだけ古いものを残すべく,外見はそのまま西,内装だけは最新のものにするというところが多い.

そのまま通りを行き,ゲーテの銅像を眺めたあと,Hauptbahnhofにむかい,そのあとKoenig Strasseをとおって北東に向かった.途中でANAとJALが隣のビル同士で仲よくオフィスを開いていたのが印象的である.この通りには三越もあるが,非常にこじんまりとしている.Koenig Strasseの終わるところはZeil Strasseと交わっており,そこから車を止めたところに戻った.

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2000年11月11日 11月 11

朝起きたら咳の状況は昨日とあまり変わっていない.手の荒れはもっとひどくなっているようである.ホテルの目の前の薬局に行き,事情をはなすとあるクリームを進めてくれた.30マルクとちと高いが,まあ試してみる価値はある.ぬってみると多少ヒリヒリするので,効いているのかも知れない.効果が現れるには3日くらいかかるが,そのころには忘れているだろうという.

現金もそろそろ無くなっているので,円からの換金はそこらへんの銀行でできないかと探ってみたが,どこも休みである.しょうがないので,Citibankにいき,200マルクをおろした.その途中で市場により,梅ジャムとアンズジャムを買った.これらはいつも朝食の時に気に入っているので,日本でも試してみたいものである.

ホテルに帰ってから再度Stuttgartにいくことをきめた.木曜日に遠藤さんと行ったときは,暗くて何も見えなかったので,もう一度新宮殿や旧宮殿をみたかった.今回も電車で行くことにした.一番いい方法は,会社の敷地に車を止め,その前にある駅から電車に乗ることである.実際に駅のホームに近いところに車を止めたが,その周辺は心持車が多くとまっているような気がした.

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