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Archive for 1998

AIRPLANE 3月 15

ロンドン時間で6時に到着予定のバスがなぜか5時前にはついた。 眠い目をこすりながらVICTORIA COACH STATIONから鉄道の駅のほうに あるいてむかった。願わくばここでもう一泊くらいしていきたい。 何しろロンドンには一泊しかしていない。

VICTORIA STATIONはまだしまっていた。愕然とした。鉄道の駅は どうやら6時くらいにならないと開かないらしい。地下鉄の駅などは、 日曜日は6時40分くらいにやっと開くという。鉄道の駅のほうが、 24時間開いていて、店なども開いているかと思ったが、その期待は 大きく外れた。COACH STATIONで寝ておけばよかった。

地下鉄の駅が開くまでうろうろしていた。眠い。しかし眠るところがない。 ぼーっとしていると怪しい宗教関係者や浮浪者がよってくる。 やがて地下鉄の駅が開くと、みんな一斉にそちらに流れていった。

PICADELY LINEのプラットホームに立つと、向こうから一人の日本人が 驚いた顔をしてやってきた。ぼーっとしたあたまでこの顔が誰かを 判別するのに2、3秒かかった。早稲田の寺島君である。なぜこんなとこに いるのかと、お互い確認しあったところ、彼はAIR FRANCEでHEATHROW AIRPORT から日本に向かうのだという。空港に向かう電車の中で、メールを書いていた。

寺島君ともう一人の連れ、小笠原君は9時20分くらいの飛行機で出発だという。 HEATHROW AIRPORTに電車がついたのは8時をちょっと過ぎたころであった。 駅につくや彼らはとびだしていき、あっという間に影も形も見えなくなった。

まったくおもしろいものである。やはりこの時期たくさんの日本人が 海外にでるため、一人くらいこうして誰か知り合いにあわないかと期待は していた。いままでずーっと知り合いにも、また知り合いを知っているという 人にもあわなかった。ヨーロッパ滞在最後の日で友人に会うとは面白いものである。

TERMINAL3にいき、はやばやとチェックインして重い荷物と別れたあと、 バーガーキングで朝ごはんを食べた。もう手元には4ポンドと少ししかない。 2ドル80セントのWHOPPERのMEAL SETは結構な出費ではあるが、しかし ここでコインを使わないことにはもう換金できないので、つかってしまう。

そのあとベンチで寝て時間を過ごし、10時半にゲートをくぐって 飛行機に乗り込んだ。GULF AIRはジャンボジェットをもっていないらしく、 いつもエアバスか、ボーイングの中型機である。今回もGULF AIRにしては 大きいAIRBUS 340だった。さすがに日本人は誰一人としてみられない。 座席にある、GOLDEN FALCONという冊子を見てみると、どうやらこの航空会社、 バーレーン、カタール、オマーンなどの国々のNATIONAL AIRLINEと 書いてあるのでその辺の国々の共同出資の会社か何からしい。今回も ドーハとアブダビに止まる。アブダビからバンコク行きの便に乗り換える。

機内で出される食事がまたいい。まず普通通り、飲み物が出されたあと、 食事が出される。羊の肉を使った料理にオリーブの料理が でてきた。それがおわると果物がでてきて、オレンジ、バナナ、 リンゴなどがえらべる。ここが普通の航空会社と違う。食事中にのんだ 赤ワインがまたおいしかった。

イギリス時間の午後6時にちょっと前にドーハについた。ここでアブダビにいく人は そのままのっていればいい。間違えてここで降りてしまう人は大変である。 これをドーハの悲劇と呼ぶことにする。英語のアナウンスが入ったからいいが、 これがもしアラビア語だけだったらと思うとぞーっとする。

ドーハでは2時間ずーっと飛行機の中で待機させられたあと、アブダビに向かった。 離陸してから10分くらいでスチュワーデスがものすごい勢いで 軽食を出し始めた。食べ終わるとあっという間に片づけ始めた。 離陸後20分くらいで着陸体制に入ってきた。結局30分くらいで ドーハからアブダビについてしまった。ものすごい速さで軽食を出した GULF AIRのスチュワーデスはすごいものである。

アブダビのターミナルがまた面白かった。ドーム型の屋根が中央で、 腰のしぼられたような柱で支えられている。その表面には六角形の 模様がついている。一階と二階には円形に色々な免税品点がずらりと 並んでいる。そこの店にはなぜか東南アジアっぽい売り子の人たちが たくさんいた。ぶらぶらと店を見物したあと、GATE1にいき、飛行機に 乗る準備をする。このゲートにPRAYING ROOMというのが設けてあった。 こんなところで何を祈るのかよく分からないが、中東の人々の 宗教心の厚さを思い知る気がした。

飛行機には結構いい席に乗れた。というのも、前の席がなく、壁になっていて、 おもいっきり脚が伸ばせるのである。楽な体制で眠りにつき、 バンコク着を待った。

おわり

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PARIS, FRANCE 3月 14

朝9時40分くらいにEUROLINEのオフィスに電話したところ、 今晩パリ発ロンドン行きのバスの席がとれた。あとはパリ見物を 楽しむだけである。どこに行こうか考えながら電話ボックスをでたら、 さっきホステルであった日本人の若者にあった。彼はこれからカタコンベに いくというので一緒に行くことにした。

カタコンベは地下の墓場である。入り口からら旋階段をおりていき、 しばらくあるくと骨の山がはじまる。おもしろいことに、頭蓋骨と 大腿骨がきれいに並べてあり、十字架やハート型の模様をつくっている。 ほとんどが大腿骨と頭蓋骨ばかりで、たまに骨盤が見られた。これらの 骨がどうやってこんな風に並べられたのか、きになる。すなわちいったん 焼かれてからこうふうに並べられたのだろうか。それともしばらく遺体を ほうっておいて、乾燥したところで骨だけ取り出してこうやって並べた のだろうか。もし焼いたのなら、こんなにきれいに骨は残らないだろう。 それにもともとキリスト教には遺体を焼く習慣はないはずである。 よってある程度遺体を分解して骨を並べたということになるのだろうか。 それにしても保存状態がよい。土がもともと石灰質で、骨を腐らせない ためだろうか。古いものは、1780年代から残っている。日本ならば、 土壌が酸性のため、こういう形で骨が残ることはまずないだろう。 1789年に埋められた骨を探したが、それらはみつからなかった。 その年の前後に埋められたと思われるものは大量にある。革命の途中 や戦争でなくなった人が多数納められているのかも知れない。

次にその日本人の彼と、昼飯を食べようということになった。 地球の歩き方に10フランでたくさん食べられるというところが シャンゼリゼ通りのクレマンシュ駅付近にあるというのでいってみたが、 その店があるという通りはなさそうだ。近くの警官に彼がきいたら、 その通りはずうっとかなたにあるという。やはり地球の歩き方は 「地球のだましかた」である。あてにならない。こういうことをやっていると 日がくれそうなので、彼に別れを告げ、自分一人でベルサイユ宮殿に 行くことにした。

セーヌ川にかかる橋を渡り、INVALIDESという駅から電車にのった。 途中で何台も観光バスが止まっていて、大きな庭と建物がある場所が みえ、おおこの近くで降りるのかと思ったら、終点までいってしまった。 目的のVERUSAILLES RIVE GAUCHE駅は枝分かれしたもう片方の終点である。 いったん枝分かれの付け根の部分にいき、乗り換えて宮殿に向かった。

宮殿はよくもまあこんだけ立派なのを建てたなと感心するくらい 気合いの入ったものだった。ルイ14世が巨額の財政をこの建設に あてただけはある。とにかくおびただしい数の彫刻と絵がおかれている。 一つ一つの柱や壁もとんでもないほど凝っている。いいかげん 見るのがいやになってくるほどたった。これだけの宮殿を維持するには 莫大なお金が必要だろう。こうやって観光客に開放して、見物料を とってそれで賄うのが一番賢いやり方なのかも知れない。

庭もさすがに整然としていてスケールのでかい作りになっていた。 しかしあまりにも人工的過ぎる。徹底的に手を加えて、人工的な 整然さを作り出している。モネが日本の庭園にひかれた 気持ちが分かるような気がした。

庭をでたあと、パリの市街地に戻った。エッフェル塔の前で電車を降り、 そのままボート乗り場に向かった。途中でワッフルみたいなのを 露店で買ったが、おいしくなかった。

ボートにのり、セーヌ川を上流に向かい、30分ほどでひきかえして くるツアーである。ガイドの女性がフランス語、英語、ドイツ語、 スペイン語の4カ国語で各名所を説明していった。さすがに 両岸には名所だらけが立ち並ぶ。大体もう訪れたものだが、 こうやって次々に見ていくと、改めてパリの町の歴史の重みと 壮大な文化遺産を目の当たりにする。ガイドによると、ルーブル 美術館の絵を一つにつき一分見ていくと、4カ月かかるそうである。 それだけ多くの文化がここにつまっている。

エッフェル塔に戻り、そのままホステルに荷物をとりに向かった。 途中で昨日と同じ中華料理屋で夕飯を食べ、荷物をとってから、 EUROLINEのターミナルに向かった。

またこのターミナルがどこにあるかがよく分からない。どうやら地下鉄の駅で 反対側の出口にでたためらしい。一つも案内表示を見つけることができず、 20分ほど重い荷物を背負ってあるくことになった。なぜかパリではこのように 一つのことをするのに偉く手間がかかる。どうもこの都市は好きになれない。 結局ぐるっと回った結果、もう一度地下鉄の駅に入ってからいくのが いいらしい。やっとのことでEUROLINEのターミナルに入った。

パリでの滞在は何だったか振り返ってみる。確かに町は美しい。人類共通の 歴史的遺産もたくさんある。女性の服も洗練されていて、見ていて 楽しい。しかしどうもパリの滞在はいまいち楽しめなかった。なぜだろう。 単に言葉が分からないことから多くのストレスが起因しているのかも知れない。 今まで色々な都市を訪れたが、どの都市でもたいてい英語が通じた。 案内の表示にも英語の表記が添えてあるところが多い。なにをするにも スムーズに行けた。しかしここだけは違った。こんなに言葉が通じないことは 今までなかった。このためにカリカリきて、ちょっとしたトラブルが起きると すぐにそれが強く印象に残ったかも知れない。

だからといって、この国にフランス語と同時に同時に英語表記をもとめる ことは不可能だろう。それだけフランスの人々は誇り高い。またそれにたる 文化と歴史を残してきた。結局訪れる人がフランス語の勉強をしてから いくべきなのだろう。自分にはもう新たにフランス語を学ぶ気力はない。 フランス語をしゃべれる人とくればまた面白いかも知れない。

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PARIS, FRANCE 3月 13

今日の朝食はフランスパンとコーヒーだった。朝食のあと、洗濯に近くのコインランドリーまでいった。コインを入れたが動かない。けっとばしてもたたいてもだめである。しかたがないので電話して文句をいおうとした。とりあえず書いてあった電話番号を見て、電話してみるが、話中でつながらない。まあしょせん通じたところで英語が通じないのがおちだろう。

どうもフランスにきて、言葉が通じないことによるのだろうが、色々な不都合を感じて、イライラする。まず英語は通じない。物価は高い。そして今日は洗濯機がこわれてお金を損した。いいことがない。こんな町はさっさと抜けるに限る。15日にロンドン発の飛行機の便を、一日早めようと考えた。そのためには GULF AIRに連絡しなければならない。それにはロンドンで予約したときにもらった紙に書いてある電話番号に電話しなくてはならない。しかしそこら辺の電話からでは電話できそうにない。そこら辺の電話というのは、テレホンカードしかうけつけない。まあ多分NORD駅にいけばクレジットカードの使える電話くらいあるだろう。ついでに EUROSTARの時刻表ももらっておけばよい。

NORD駅についた。辺りを見回すが、どの電話もクレジットカードは使えないみたいだ。しょうがないのではらをくくってテレホンカードをかうことにする。そのためにはお金が必要だ。ちかくに銀行を見つけ、クレジットカードで500フランをおろした。土産物やでワールドカップの帽子を見つけ、テレホンカードと一緒に買った。

さて予約したときにもらった電話番号に電話したい。しかしどうやって電話すればいいのか分からない。とりあえず英語の案内が書いてあるのをみつけ、国別の番号を見てみるが、UNITED KINGDOMとか、ENGLANDとか、 BRITAINという表記が見当たらない。とりあえずそれらしいのがROYALなんとかかんとかとかいてある。44という数字が見える。確かにイギリスの国別番号はそんなもんだったなと思い、恐る恐る電話してみる。一応つながった。普通の家庭の人がでたようで、フライトの変更をしたいといって何のことだがつうじなかった。しかし英語自体は通じているようなので、とりあえずイギリスにはつながったようだ。

次にもう一度注意深くダイヤルした。すると”Hello. This is BBC.” なんとかとこたえてきた。なんかおかしいなとおもいながら、フライトの変更をしたいというと、なんのことだか分からない様子だった。自分は飛行機会社に電話してフライトの変更をしたいのだというと、そこはBBCだからそういうのは受け付けていないという。自分の電話した番号を告げると、確かにそれはBBCのものだという。どうやらもともと紙に打ち込んであった番号が間違っていたらしい。しかたがないので、12とおし、オペレーターを呼び出そうとする。何いっているか分からないフランス語の返事があったあと、 HELLO? Do you speak English?とたずねると、一回目はきれてしまい、二回目は待ってくださいとか何とかいわれたあと、ちっとも返事が帰ってこなかった。

とりあえずいったん電話はあきらめて、EUROSTARの時刻表をもらった。もし明日の飛行機が確保できたら、6時18分発の列車にのれば、8時半にロンドンにつけ、いい具合に空港につける。あとは飛行機次第である。もう一度12をかけ、オペレーターをよびだした。最初にでた人は英語が話せなかったらしいが、彼が待てといって、かわりにでた女性が話せた。そこでGULF AIR の電話番号を教えてもらい、事がすんだ。

そのあとで、GULF AIRを電話した。どうやら明日の便は、ロンドン発モスクワ経由、バンコク行きというのがあるらしいが、モスクワからバンコク行きが全部埋まっているらしい。しかたがないので、明日のバンコク行きはあきらめた。こうなったら、明日の夜夜行バスでロンドンに行くのが一番おかねがかからず、よさそうだ。

さっきクレジットカードでお金を得たとき、近くに中華料理屋があったのを思いだし、ちょうど12時半でつごうがいいので、そこで飯を繰った。そのあとで、コンコルド広場の南東にあるORNGERIE美術館に向かった。

ORANGERIE美術館は、モネ、ルノアール、シスレー、セザンヌなどの印象派ばかりをあつめていて、比較的こじんまりとしていて見やすいときいていた。とくにモネの睡蓮は見逃せないという。たしかによくもまあこれだけ印象派ばかりが集まるなあと思わせるほど徹底した収集ぶりだった。まずセザンヌ、ルノアールの絵にこういう絵こそ自分の感覚に最もあうなあとしばし感銘しながら、一番奥のモネの睡蓮の部屋に行った。

この二部屋は、壁一面に、おそらく一つの絵が20mくらいでかかっている。それらが4点ずつかざられている。まさに自分が求めていた絵である。この色使い、筆の流れ、構図、どれをとってもまさにモネである。一つ一つの絵にしばし感嘆しながら、色々なことを考えた。こういう部屋でイエスやピンクフロイドの音楽をきけたら最高である。

3時を過ぎるとルーブル美術館が安くなるので、そっちにむかった。さすがに長い列ができている。この時間はだれでも26フランで入れるので、みんなおなじように安くあげたいと考えているのだろう。まず、荷物検査と金属探知機をくぐるのに20分ほどかかり、さらにチケットを求めるのに20分くらいかかった。チケットの窓口のおばさんがやたらともたもたとしている。長い列がちっとも流れないわけがわかった。

ルーブルの中は、ものすごい展示品であふれている。おそらく一つ一つじっくりみていったら一週間くらいかかるかも知れない。作品の説明が全てフランス語でしかかかれていないので、一つ一つ鑑賞することははなからあきらめて、はや歩きでざーっとみていくことにした。パンフレットを見て、はじめてここにミロのビーナスやモナリザがあることをしった。さすがにそれらの作品には多数の人が群がっていた。モナリザなどは、とくべつにガラスでおおわれたケースの中に特別な柵をあつらえて展示してある。

5時ちょっと過ぎにはもうでてきた。あらためてそのでかさを外から確かめる。それにしてもI.M.PEIの建てたガラスのピラミッドは周りの建物とあっていないと思う。ガラスのピラミッドが彼らしい、直線とガラスを基調とした作りなのに対して、周りの建物は古めかしいいかにも西洋建築といった作りである。何でこんな組み合わせにしたのか時の大頭領ミッテランの考えが分からない。

その後、RIVOLI通りをあるいていき、EUROLINEの事務所に向かった。途中でBENJAMINというなまえのカフェテリアでコーヒーとバニラアイスを頼んだ。ここでも店員はフランス語しかしゃべらず、英語がまったく通じてない。こうなるとボディーランゲージなどで通じる奴は強い。アイスクリームといっても通じず、コーヒーにクリームを入れた高い奴がでてきて、ソフトクリームをなめるしぐさをしてようやくなにをたべたいかがわかってもらえた。このバニラ、実においしい。ベルギーで食べたのも確かこんな味だった。甘みと玉子の風味が程よく絡み合い、すくうといい具合の粘性がある。その粘性が下にからみついて、実にいい感じでとけていく。日本でこういうアイスが食べられるといいのにと思った。

6時を過ぎたので、あるいてEUROLINEのオフィスに向かった。はやくいかないと、7時にはしまってしまう。6時35分くらいについて、間に合ったろうと思ったら、もう終わりだという。これがフランスである。7時にしまるというのは、7時に従業員が帰るということなのだ。くやしいがとりあえず、時刻表だけはもらうことができた。

そのままあるいてホステルに帰り、洗濯をすることにした。洗濯ものをかついで、さっきの洗濯屋にいくと、男が3人ものすごい形相でこちらをみた。一人の男がDO YOU SPEAK ENGLISH OR FRENCH?ときいてきたので ENGLISHというと、ここの機械はほとんど壊れているという。自分もここを使って金を損したというと彼らはもう3時間以上もここで悪戦苦闘しているという。その男が、別のランドリーに連れていってくれた。途中で彼は、長野オリンピックを見てよかったと話していた。さいわい彼に教えてもらったランドリーでは機械がまともにうごいてくれた。

洗濯を仕掛けているあいだ、スーパーで買い物をした。コーラとビール2本と、ヨーグルトを買い、17。5ランだった。安いものである。

いま、ホステルに帰ってきて、そのビールのうちの一つ、TOURTELというのをのんでいるが、非常にまずい。近くにいる人にきいたら、フランスのビールだという。つぎに、KRONENBOURGというのをのんでみた。これも STRASBOURGのビールだが、これはうまいと前にいたチェコ人がおしえてくれた。実際にうまい。TOURTELとは大違いである。彼によると、チェコでは PILSNER URGUELというビールがおいしいらしい。いいよい加減になったところで寝た。

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PARIS, FRANCE 3月 12

起床のあと、フランスパンとオレンジジュース、それにコーヒーの 朝食をとるが、フランスパンとコーヒーが妙においしかった。さすがはフランスである。そのあとでフロントデスクで今日の空きは あるかときくとないといわれる。部屋にかえり、荷物の整理をして、今日の宿探しに出かけた。

MONGEという場所でユースホステルがあるらしいのでそこに向かった。 いくと、ないといわれる。そのかわりにALOHA HOSTELというところを すすめてくれた。一瞬そこにいこうと思うが、遠いのでやめて、元のホステルに戻ることにした。とりあえずここに荷物を置き、 3時過ぎにまたきて、空きがあればチェックインしようと思った。

地図を見て近そうだったのでまずノートルダム寺院に行くことにした。 とてもでかい建物である。こんなにどでかい建物をたてることのできる宗教の力はすごい。

そのあと、セーヌ川沿いをずうっと歩いてみた。まったくその町並みには驚かされた。昔からの建物がでーんと立ち並んでいて、そうそうたる 形相を見せている。うるさい看板やら広告、宣伝は一切見られない。これがパリの町かと、圧倒される気持ちがした。オルセー美術館、 ルーブル美術館、PALAIS BOURBON、HOTEL DES INVALIDESなどを地図を見ながら 確認していった。まったくこんなにすごいそうそうたる建物がこれまた威厳ある古めかしい装いをして堂々とたっているのだから すごい。

やがてエッフェル塔が見えてきた。東京タワーはこれのまねだが、やはり このエッフェル塔の暗い色は町によく似合っている。しかし不思議なものである。なぜ、日本語ではエッフェルタワーや東京塔ではないのだろうか。

エッフェル塔には、2階(3階)まであるいて階段を上っていった。そこからみるパリの町はやはりすごい。堂々たる風格をしている。東京のあの ごみ箱をひっくり返したような雑然さとは大違いである。アメリカの都市と違って、道がまっすぐにどこまでも伸びているわけではないが、しかし町全体としては素晴らしい均整がとれている。途中2階で友達に絵はがきを出した。

エッフェル塔から降りて、地下鉄でCHAMPS ELYSEES CLEMENCEAUまでいった。ここが有名なシャンゼリゼ通りである。この通りには歴史に残る有名人の 名前を冠した駅や広場が多い。CHARLES DE GAULLE,FRANCLIN D ROOSEVELT, CLEMENCEAUなどは、人名そのままである。そのまま凱旋門まで歩いていき、写真をとった。

さて、れいのMIJE MAUBISSON HOSTELにもどると、やはり空きはないといわれた。しょうがないので、さっきのALOHA HOSTELにいってみると、空きはあると いわれた。そこで、ここでチェックインを済ませる。念のため、明日の分も払っておいた。一晩87フランなので、かなりやすい。

そのあと、オルセー美術館に行った。ここはもともと駅だったものを改造して美術館にし、ルーブル美術館の19世紀の作品をもってきたものである。 ここには印象派の作品がたくさんあるときいていたので、探してみるが、なかなかたどりつけない。いろいろと迷路のような館内を歩き回って、 やっとセーヌ川のほうのサイドの3階に印象派の作品を並べた場所を見つけた。やはり中でもモネの作品はおちつく。みているとその幻想的な色使いに 引き込まれそうになり、しばし歩いてつかれていることを忘れさせてくれる。ルノアールの女性画のやわらかさもセザンヌのかたい線だが柔らかい色使いの絵も皆やすらぎをあたえてくれる。やはり印象派はいい。

そのままいい気分に浸ったところで、さきほどのMIJEホステルに荷物を 取りに向かった。とちゅうでファーストフードみたいなところで夕食をとったが、そのフライドポテトが素晴らしかった。外側はパリッと揚げてあるが、内側が柔らかい。いい加減で塩がまぶしてあり、それが味を引き立たせる。 実に素晴らしい。同じフライドポテトでもこうも変わるものかと感激した。

その後荷物をとり、ALOHA HOSTELにもどった。ここは英語を話す人が 多いので助かる。本当にフランスはあまり英語をしゃべる人がいなくて、不自由である。ここのように英語を話す人が多いと、気分が落ち着くものである。同室のシカゴからきているという女の子としゃべったあと、寝た。

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BRUGGE, BELGIUM 3月 11

昨日さんざんブルージュがいいと吹き込まれたので、今日はまずそこへいこうとかんがえた。例によって朝食をがむしゃらにつめこんで、ユースホステルを後にした。昨日と置ったRED LIGHT ZONE をもう一度通ると、まだ呼び込もうとしている人がいた。朝食のときに聞いたが、彼女たちの相場は6千円だそうである。タイと変わらないことを考えるとすごく安く感じられる。

ベルギーに向かう前に、風車を見たいと思い、往復切符を買おうとしたら、小銭があとわずか足りなかった。外は雪も降っていて、かつ風車は鉄道の車内からも見えるので、あきらめてそのままベルギーに向かうことにした。ちょうどよく9時40分発の電車があったので、何も考えずにのった。

この電車、アムステルダムからパリにいくそうである。そのせいかやたらとゴージャスに見える。2等の列車でも描なり上等に見える。まあ遠くまでいくからそうなのだろうとおもい、気軽にそこら辺の席に座った。しばらくすると乗客がぞろぞろと来て、その中の一人がそこは俺の席だという。しかたがないので隣の車両にいった。

しばらくして、オランダとベルギーの国境付近に来たとき、切符の点検に来た。ポケットを探ると、財布が無い。さてカバンに入れたかと思うと、この中にもない。これはさっき座っていた席で落としたに違いないと思ってとりに行こうとすると、二人の女の子が届けにきてくれた。 You found this between the sheets?ときくと、首を縦に振った。実にありがたいことである。きのう二人に財布をなくしたというはなしを聞いたばかりだけに、本当にありがたく思った。

さて車掌さんがもう一度来て、切符を見せると、この電車は特別料金がいるという。どうりで車内のつくりがちがっていて、乗客も親切な人がのっているわけだ。もうオランダのギルダーはつかってしまったので、ベルギーのフランでその料金を払った。まあさっきの財布が見つかったことを考えると、安いものである。この料金で財布が帰ってきたとおもえばよい。財布には岡ねと共和銀行、住友銀行のキャッシュカード、バッグの鍵、日本とカリフォルニアのそれぞれの免許証、国際学生証、フェルミラボの ID、ノースウエスト航空のワールドパークス会員カード、それにクレジットカードが入っていた。このうち再発行の難しいカリフォルニアの免許証とクレジットカードをパスポートいれに入れた。

ANTWERPでこの電車に別れを告げ、つぎのブルージュ行きの電車を待った。その間にせっかくベルギーに来たのだからと、ワッフルをたべてみたが、あまりおいしくなかった。もう一度どこかでチャレンジしようと考えた。

そのあと、ブルージュまで70分ほどでついた。荷物をコインロッカーに置き、町まであるいていった。この町の中心までの道のりがまた面白かった。石畳の狭い道路の両わきにレンガ作りの家々が並んでいる。それは本当に中世の普通の町はたぶんこんな感じだったのだろうなという思いにさせる。途中で聖堂によりながら、鐘の塔に向かった。

鐘の塔からは鐘をついた音楽が聞こえてくる。その音源に向かって階段を上っていったが、さすがに一気に上ることは難しい。階段の幅がだんだん狭くなり、足の疲れと相まって、上にいくほどのぼりずらくなる。ここでいきなりモンスターが現れたらそれこそドラゴンクエストのようだとかんがえながら、それでも一気に上りあがった。やはり苦労して上っただけあって、見晴らしはすごくいい。赤い屋根の家々があたり一面にみえる。先ほど訪れた聖堂やほかの教会も見える。そばでは鐘がガンガンなっている。風が強く吹き荒れていて、結構寒い。これを作り揚げた人々はすごいものである。そう思いながら階段を降りていった。しばらく降りると、上からすごい勢いで降りてくる音が聞こえてくる。何だろうと思って止まって道を開けると、さっき鐘の音楽を奏でていたひげのおじさんである。さすがにリズムよくすたすたと降りていった。

下り終わった後、聖マリア教会に行く途中でFRITUUR MARCというコーヒーショップで休憩した。ここでコーヒーとワッフルと、アイスクリームのバニラとストロベリーを食べたが、アイスクリームが今まで生涯食べたものの中で、一番おいしかった。まずクリームの粘着性が何ともいえない。水飴のようにとろける感じで、舌に載せたときのとけ方が素晴らしい。バニラは玉子とバターの風味とクリームのやわらかさが程よくミックスされて、舌にのせると甘さがじわーっとひろがっていく。ストロベリーのほうもこの甘さにいちごの風味がうまく加わり、実に絶妙な味わいを醸しだしている。次にワッフルだが、これもまた程よい甘さが心地好い。バターの風味が口の中に広がり、かむとちょうどいい歯応えでかみ切れる。そしてまた柔らかな甘みが広まっていく。上にまぶしている、よくヨーグルトについて来る砂糖がまたいい具合にアクセントを与えている。実に素晴らしい。ついてきたチョコレートは少し甘すぎた。

教会に行く途中で美術館がある。そこによってしばし絵画鑑賞をした。すばらしいのは、このブルージュで活躍した画家達の作品ばかりを集めて、展示してある点である。

その後はいよいよパリへ出発である。まずベルギーのローカルな鉄道で LILLEまでいった。そのあとでフランスの鉄道でパリに向かう分けである。 LILLEで両替をして、一番安いチケットをくれと頼むと、なんと TGVのものだった。8:01に出発して、9:02にパリにつくという。 TGVは黄色いものとばかり思っていたが、これは灰色を基調にした色だった。ホームには別れを惜しむカップルが何組も見られた。車内外とも洗練されている。新幹線と違って、広告が一切無い。揺れは始めは感じられず、新幹線よりもいいかと思ったが、高速運転になるにつれて、左右に激しく揺れ出した。この揺れは新幹線よりもずっとはげしい。出発してから10分ほどしてからこの揺れがピークになったあと、しばらく小康状態が続いている。音がうるさいと感じるのは気のせいだろうか。窓から過ぎ去っていく光をみていると、たしかに速いが、新幹線との違いはあまり感じられない。ただ単にくらいからだけなのかもしれない。おそらく周りは田園地帯なのだろう。ひょっとすると音がうるさいのも、日本に比べて騒音対策という問題が生じないからかも知れない。

周囲には出張帰りと思われるビジネスマンがおおくすわっている。スーツの着こなし方が実にかっこいい。というよりもこういう人たちのためにこういうスーツというものは作られていると考えたほうがいいだろう。さっそくモバイルギアをとりだし、DISCMANで音楽を聞きながらこれをうちはじめると、彼らが興味深く見ている。ちょっと優越感にひたれるひとときである。

パリのNORD駅について、地下鉄にのろうとした。自動発券機にコイン7フラン分を入れてあと1フラン足りないので、やっぱりやめようとしたら、入れたお金は二度とかえってこないらしい。大変不便な自動発券機である。画面はタッチパネル方式で、色々な種類の切符がかえるらしいが、扱えるお金はコインだけで、しかもいれたらもどってこない。クレジットカードが使えるらしいので、入れようとしたら入らない。そこで下にあったもう片方のすりっとにいれたら最初はすんなりはいった。しかしそのあとが入り込まない。しばらく置いておくとそのまま食べてくれるのかと思ったら、そうでもないらしい。そして差し抜こうとしたら、抜けない。手でひっかけようとするが、やればやるほど中に入る。しょうがないのでカバンから耳かきをとりだし、ほじくることにしたが、それでもはいらない。一人の英語をしゃべれる女性が現れ、そこはクレジットカードを入れるところではないと教えてくれたが、もう遅いのである。彼女が改札の内側に誰か職員がいたら、助けるようにいってあげるといってくれた。ありがたいことである。しばらく奮闘してると、4、5人の若者のグループが現れ、何をしてるのかとフランス語で尋ねてきた。何をいっているのか皆目見当もつかない。しかしとりあえず英語で事情を説明すると、つたない英語でその中の一人がそこはクレジットカードを入れるところじゃないという。そんなことはわかっているのである。しばらくそういう会話をしていると、制服を着た職員が現れ、外側のカバーを開けてくれて、カードをとってくれた。結局この機械ではクレジットカードで買うことはできないので違うのでやれといわれた。そこでちがうのでやろうとするが、やはりできない。むかついたので、あるいて目的とするホステルまでいくことにした。地図で現在地と目的地を確かめた。およそ1.7mくらいである。これなら歩けると思い、思い荷物をかたに背負ったまま歩くことにした。

表にでてみるが、エッフェル塔らしきものが見えない。あれが見えれば方角が分かるのだが、これではどこが北でどこが南だか皆目見当がつかない。とりあえずいまの位置を確かめて、しばらく歩いてみた。その後もう一度今の位置を標識で確かめ、地図を広げると、どうもまともな方向に歩いているらしい。周りにちらほらホテルが見え、そばをタクシーが通り過ぎるが、全て高いのでそういうものには極力見ないようにする。

往来の人通りがずいぶん少ない。店もどこも皆しまっている。エッフェル塔はまだ見えない。パリというのはつまらん町だと思いながら、通りすがりの人たちの顔を見ていく。確かに皆、男も女も少女マンガにでてきそうな顔をした連中がたくさんいる。東アジア各国の少女マンガのコンプレックスの発端はここかと改めて思った。

たいした距離ではないと思ったが、なんだかんだと、一時間くらいかけてユースホステルのあるあたりについた。さすがにこの距離を思いにもつを背負ってあるくのはつらい。いいかげん肩が痛くなり、足もだるくなってきた。はやく荷物をおろして寝たい。しかし目的のホステルにいってみると、かたくしまっている。これはまいった。さすがに気が滅入ってしまった。近くに公園を見つけ、しばらくぼーっとやすんだ。さあどうしよう。確かこの辺りにはあと2件ホステルがたまっているはずだから、どれか一つくらい空きはあるだろう。そうおもい、ほかのところを尋ねてみることにした。

別のホステルの前に行くと、ひげをはやしたおじさんが凛として何かをよんでいる。なんかおっかなそうな顔をしている。とりあえず呼び鈴を押して入る。空きはあるかときくと、ないといわれた。電話をして確認したあと、別の一件があと一つ空きのベッドをもっているという。そのあとでおまえはAMERICANか、CHINESEか、それともJAPANESEかとたずねられ、日本人だというと、芥川龍之介や三島幸夫、川端靖成などの文学作品が好きなのだという。

さっそくいわれたホステルに行った。何やら古い教会の真横にある。400年前までこの場所は教会用の宿舎に使われていたらしいい。何とか落ち着くことができ、寝ることができた。

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AMSTERDAM, NETHERLANDS 3月 10

起きてシャワーを浴び、朝食をとる。食パンにハムとチーズをはさんでたべる。合計6枚とゆで玉子一つをむりやり食べた。

その後チェックアウトして、いったん荷物を中央駅のコインロッカーに置いた。まずDAMRAK通りをくだっていき、DAM広場に来た。ここで無数の鳩にまみれながら宮殿の写真をとった。それからANN FRANKの家に向かった。ここはいまは博物館になっていて、当時の様子をできるだけ保ちながら、彼女の日記の一部をパネルやWIN95で紹介している。資料を見ていると、外から子どもたちの笑い声が聞こえてきた。ANNがいたころはこのような笑い声がきかれることはけっしてなかったのだろう。彼女は自分の母親が病死し、父親も行方が分からず死んでしまったと思い込み、希望を失い、イギリス軍による開放の一カ月前に亡くなってしまった。もしそのとき父親が生きているということをつたえきいていたら、今年69歳のおばあさんになっているわけである。あるいは昨日自分の隣に座った老婦人がANN FRANKだったかもしれないわけである。

いまCELINE DIONの曲をBGMに、カフェでLATTEをのみながら、これを書いている。前の広場を行き交う人々の表情は平和そのものでる。14世紀にこの町が造られてから、600年のときが流れている。この平和を得るためにどのくらいの人々がアンのような悲劇を迎えなければならなかったのだろうか。ここに世界中から集まる人々が互いに憎しみあい、戦うことが考えにくくさえなっている。

それにしてもこの町は自転車が多い。国土の大半が海面かというこの国がもっとも深刻に地球温暖課の問題をとらえているらしいが、人々はそうしたことに配慮して自転車を使っているのだろうか。そういえばここを隈無く走る路面電車も電動であり、二酸化炭素を出さない乗り物である。

カフェをでてからVAN GOGH MUSEUMまで歩いていってみることにした。適当な方向にあるいていったら、HEINEKEN BREWERYに出くわした。さてここはどこだろうと、広場のようなベンチで腰掛けて地図を広げた。すぐそこにみえる四つ角を右に曲がってしばらくいき、教会が見えたら左に曲がればいいことが分かった。立ち去ろうとすると、そばのベンチに腰掛けていたおじさんが、”Did you find your way?”と気にかけてくれた。どこにいっても困っていると気にかけてくれるヨーロッパの人々は親切である。

ちょっと遠回りしたが、1時ころにVAN GOGH MUSEUMについた。前でホットドックが売られていて、あまりおなかはすいていなかったが、食べてみることにした。パンとソーセージしかないものを渡されて、それに自分でマヨネーズやケチャップや玉ねぎやピクルスや、そのほかよく分からないものも混ぜて掛け合わせる。パンとソーセージがとてもおいしく、ほかの物とよくからんでいい味わいを出していた。

VAN GOGH MUSEUMでは同じ会社に内定している友達、深見さんと2時に待ち合わせていた。何処で会うか指定していなかったのが気になるが、とりあえず暇なので、はいってみることにした。あるいは中でばったり会えるかも知れない。荷物とコートを預け、まずは1階(日米でいう2階)にいき、ゴッホの絵を鑑賞した。ゴッホは始め聖職者になりたかったらしいが、20代半ばから絵を描き始めたらしい。初期のころは、ミレーの影響を強く受け、農民をテーマにして、暗い色調で描いていた。それが弟のTHEOとフランスに移って印象派達の影響をうけてから、あのような個性的な色使いと筆使いマスターしたのだという。その前後での絵の様子ががらりとかわるのが面白い。

その上の階はなぜか日本の版画が展示されていた。19世紀半ばの江戸時代の人の版画がずらりと並べてあった。あんなにたくさんの版画をいっぺんに見るのは日本国内外あわせて初めてだった。

一通り見終わってからロビーに行った。しかし2時を過ぎてもまだ深見さんは現れない。2時20分を過ぎてもまだ現れない。ひょっとしてこれは外にいるのかなとおもい、外をのぞいてみるとめがねをかけた東洋人の女の子がきょろきょろあたりを見回している。おおあれに違いないと思い、近寄ってみると、まさに深見さんだった。とりあえず自分が変なところにいたことをあやまり、また、久しぶりの再開を祝して中に入った。

深見さんはちょうど南フランスのゴッホゆかりの各地を訪れてきたばかりで、「ここもいった」「あそこもいった」と絵にかかれた風景をさしては喜んでいた。彼女はもともとかなりのゴッホファンだったらしく、日本でゴッホ展があると必ず行くという。ひまわりの絵は何点かあるとか、安田火災がこのゴッホ美術館の運営にかなりのお金をだしているとか、いろいろと教えてくれた。

その後歩いて彼女の泊まっているユースホステルに向かった。ここはちゃんとしたユースホステルであるため、建物も設備も整っている。日本人が多いなと思っていると、深見さんが以前フランスのユースホステルで知り合ったという、関西の女の子がいた。二人は再開を祝し、お互いのその後を話していた。

荷物を整理して、二人の話を聞くと、結構いろいろと困ったことに出くわしているらしい。深見さんはこちらにくるときの飛行機でコンタクトレンズをなくしたり(だからめがねをかけていたのだ!) 財布をなくしたり、また、関西の女のコも財布をなくしたりしていた。彼女の場合、もう残金がほとんどなく、関西空港から滋賀の自分の家にかえるお金も乏しいくらいだそうだ。これから自分がベルギーに行くというと、余分に買った一日乗車券があるので、それを買ってくれないかという。 2千円でいいという。計算してみるとお買い得であり、人助けにもなるとおもい、買うことにした。

三人でいろいろとぶらついてみることになった。アムステルダムのちょっと怪しい飾り窓のついた地域は女の子だけでは行けないので、いっしょに行きたいという。ユースホステルからすぐのこの地域は合法とされている売春が盛んに行われている。狭い路地裏にいくつものドアが並び、ガラス窓の向こうはベッドがある。カーテンを閉めて即座にはじめられるようになっているらしい。結構美人でスタイルのいいお姉さんが通行客を招いている。

この場所から一本表に出たところが昨日とまったコーヒーハウスのあるとおりである。ここも結構怪しい店が建ち並び、怪しいおもちゃが買える店などもある。その中の人つに入り、いろいろと見物した。日本製のものが結構あった。

アムステルダム中央駅で写真を撮り、その後その前の大きなとおりを歩いていると、Sex Museumというのを見つけ、またとない機会だと、 3人ではいることにした。しかし中はあまりにもそのまんまにあからさまにそれ関係のものが展示してあり、ちっとも興奮しない。もういいやと、適当なところで出てきた。

ユースホステルに帰った後、二人にベルギーではブリュージュに行くといいとふきこまれた。ここの鐘の塔に登ってあたりを見回すとすごくいいということだった。明日早速行くことに決めた。

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AMSTERDAM, NETHERLANDS 3月 09

昨日10時前に寝たのでさすがに6時くらい起きてしまった。ねようとしてももう寝られない。それでもふとんにはいってぼーっとしていると、あちらのベッドで寝ていたイラン人だけどドイツに住んでいる若者が起き出して身支度をし始めた。6時半くらいになり、いい加減起きて彼と少しはなしをして、アムステルダムの話を少しきいた。彼によると、アムステルダムの宿は、コーヒーショップなどの上で10人くらいと一緒に寝るのをいとわなければ、やすいのが見つかるという。セントラル駅でいろんな人がビラを配っているので何枚か集め、一番よさそうなのを選べばよいと教えてくれた。

シャワーを浴び、身支度を整え朝食をとりに行く。昨日とほとんど同じメニューを食べようとしたが、あまりたべられない。食欲があまりないのである。それでも食べられるだけ食べておいた。食堂から見える景色は最高だった。この眺めを間近に見ながら散歩してみたい。そう思うと部屋にかえり、カバンに荷物をつめ、チェックアウトして、もう一度ライン川の川衿を歩いた。本当にきれいな眺めである。朝日のもと、木々が輝き対岸のいえいえが美しく並んでいる。気がつくと粉雪が降っていた。

その後10時16分の電車でアムステルダムに向かった。みんな適当な席に座っているようなので、自分も適当な席に座ると、途中でまたおばあさんがのってきて、そこは私の席だという。こんどはあまりしゃべる来にもならなかったので、OH SORRYといいながら、隣の席に移った。

さてアムステルダム中央駅についた。まずは宿を探さなければならない。うろちょろしていれば、誰かがビラを配っているからそれらをうけとって、適当に気に入ったものに入ればいいという、今朝聞いたアドバイスの通りまずはうろうろとあるいてみることにした。するといわれた通り、何人かからビラをもらうことができた。結局一番最初にもらったところに泊まることにした。傍らで二人のアメリカ人の女の子がやはり自分が一番最初に案内された、桑野信義みたいな男に様子を聞いていた。

一人でその宿と思われる場所のほうにあるいていくと、さっきの桑野信義もどきが寄ってきて、俺の案内した場所に泊まるのかと聞いてきた。そうだというと、ついてこいという。この男、マイアミ出身で、この前の冬に一度一週間帰ったらしいがそれ以外はずうっとこちらにいるという。ビラにさっき彼が書き込んだ通り、一晩13ギルダーかと尋ねると、いや、それは米ドルでの値段で、実際には30ギルダーだという。それならほかのところと変わりはない。ではあんたのところの売りは何かと尋ねると、清潔で、安全で、ちゃんとした朝食がついて、便利な場所にあることだという。階下は居酒屋になっていて、いつでもビールがのめるという。実際行ってみると、地上階がアイリッシュパブになっている。その上の寮のような場所に行くと、確かに清潔ではある。ベッドもロンドンに泊まったときの、木造のミシミシ揺れるようなものではなく、しっかりした鉄パイプのものである。共同のシャワーとトイレもきれいに掃除されている。まあまあ良さそうなのでそこに泊まることにした。荷物をおろしながら掃除をしていた白人の若者と話をした。彼はオランダでずっと住んでおり、いまはここで働いているという。もくもくとまじめに掃除している姿は印象的ですらあった。普通、アメリカだとこういう風に掃除をしているのはたいていメキシコ人であるが、ここではそういうふうな人種による職の区別はそんなになさそうである。隣の部屋には日本人が二人いて、片方は少ししゃべれるが、もう片方はまったくしゃべれないがおまえはちゃんとした英語をしゃべるとか、ここの宿から右に行き、少し行ったところでさらに右はRED LIGHT ZONEだから気をつけろとか、そういうことをはなした。ふと気がつくと、先ほどのアメリカ人の女の子二人が自分のとなりのベッドに来ていた。結局彼女たちもここに泊まるらしい。

洗濯物がたまっていたので、洗濯に行くことにした。宿をでて右に曲がり、しばらく行くと洗濯屋があるのでそこでお願いした。 6kgで14.5ギルダーという。ついでだと思い、シャツとズボンもあらうことにした。行く途中は実に怪しげな店がならんでいる。SEX SHOPとかそんなような名前の店が何軒か並んでいる。世界中でこのような店の並びははいまのところ歌舞伎町とか、大阪のお初天神や道頓堀あたりか、あとはニューヨークの42番街くらいでしか見たことがなかったが、ここではそれらよりもさらに露骨なのがならんでいる。

その後、しばらくアムステルダムの町をぶらぶらしてみる。まずお金を換金しに中央駅に向かった。東京駅がこの中央駅にならって作られたというだけあって、よくにている。写真をとった後、駅からずっとまっすぐ伸びているDAMRAKをすこしあるいてみた。それにしても太陽がまぶしい。湿度がなく、乾燥しているからだろうか、やたらと太陽の光が強く感じられる。この太陽がでているうちにと、アムステルダムの運河を巡るツアーに参加した。12ギルダーを払い、背の低いボートに乗り込む。ツアーは中央駅の説明から始まり、色々な名所を尋ねていく。オランダ語、ドイツ語、フランス語、そして英語で各地の説明をしていく。よくみると、運河の端にほとんど民家の部屋がのっかったような船がたくさん見られる。アムステルダムの町は昔から住むところが不足がちだったが、その傾向はいまも変わらず、いまだに船の上に住む人たちがいるのだという。主にレンガ作りの家々の並びに挟まれた運河をボートはすすんでいくのだが、最初は14世紀くらいから造られたOLD CITY CENTREをめぐり、その後JORDANという17世紀くらいから造られた場所を通っていく。途中でアンネ・フランクの家の横を通った。明日行ってみようと決めた。

アナウンスによると地盤が柔らかいので、こうした家々の骨組みは実は木でできているらしい。ここいらは海面よりも1m下がっていて、 SCHIPOL空港などは5mも海面下にあるのだという。

ツアーの後、自分の足で町を歩いてみる。店がかなりたくさんある。物価は日本とほとんど変わらないか、少々安めなくらいである。色々な店がほとんど無秩序に軒を連ねている。この雑多感がまた面白い。そうした店が古いレンガ作りの家の中に軒を構え、それらの建物がやはり古くからある教会や広場と共に素晴らしい状態で保存されている。住宅地不足なら、こういう建物を壊してもっと高い建物を造ってしまえばいいことがだ、そうしないところが偉く感心させられる。

6時には洗濯屋がしまってしまうというので、散歩もほどほどにして戻ることにした。きちんとたたまれてまだ暖かい洗濯ものを受け取り、自分のベッドに戻ると、結構たくさんの人たちがすでに寝ている。自分もまだ体調が優れないのでしばらく寝ることにする。

10時前におき、さきほどの洗濯屋の少し先にある中華料理屋で夕飯を食べた。こういう体調のときに中華料理はもっとも日本食に似ているのでありがたいものである。満腹になったところで、宿の階下のアイリッシュパブにいき、サッカーの試合を見ながら、 MURPHY’Sをのんだ。その後寝た。

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KOELN, GERMANY 3月 08

6時ごろに眼が覚めた。その後1時間ほどベッドの中で寝ようとがんばるが、眠れない。鼻の奥の痛みはなくなっている。そのかわり、鼻がつまっている。ちょっと体もだるい。しかし熱があるわけではないようである。シャワーを浴び、身支度を整え、朝食をとりに階下へ降りる。朝食をとる前に今晩も泊まるためにチェックインの手続きをした。昨日部屋が一緒だった彼によると、いま、KOLN MESSEで材料工学か何かの集まりがあり、ほとんどのホテルがうまっているという。ドイツに十何年かすんでいる彼がようやく見つけたもっともやすい宿がこのホステルというのだから、ここに泊まらざるを得ないだろう。

この朝食が実に素晴らしかった。さまざまなコーンフレーク、多種類のジャム、ヨーグルト、パン、ハム、チーズ、ゆで玉子、そしてコーヒーと紅茶がとり放題である。とりあえず栄養をつけるためにも、また、昼飯代をできるだけ浮かすためにも食べられるだけ食べた。ここのホステルに泊まってよかったと心のそこから思った。

その後地下鉄でケルンの町の中心に向かった。まずINFORMATION にいき、地図を手に入れ、インターネットカフェがあるかどうかたずねた。あるにはあるが、今日は休みだという。とりあえず場所を教えてもらい、つぎに聖堂に向かった。

改めてその聖堂のでかさにおどろいた。高さが115mあるそうで、壁一面に、彫刻が施されている。第二次世界対戦で町のほとんど全ての遺跡や建物が壊されたのだが、奇跡的にここだけは戦火を免れたそうである。中に入ると、日曜日ということもあって、厳粛な雰囲気の元にお祈りが行われていた。

その後、ローマ時代からあるという壁を見に行く。ところがそこら辺と思われる場所にいってもなかなかその壁がみあたらない。地図を見ながらよくよくまわりをみると、さっき薄汚い壁だとおもいながら通り過ぎた壁がそれらのようである。これらの壁はあまりにもあたりまえのように町の中に入り込んでいて、それが2千年の時を隔てて存在してきた壁とはおもえない。それこそ何十年か前に立てられたといっても不思議ではない。いちおう記念碑のようなものは見えるが、ほかにそれが重要なものであるかを示すものとか、特別な施しは何もなされていない。まわりにも、住民の姿が見られるだけで、観光客は自分一人である。記念に写真をとって、町の中心に戻ることにした。

町の中心は人どりは結構あるのだが、何となくひっそりしている。よくみると、ほとんど全ての商店がしまっている。日曜日にはドイツの店はみんな閉まってしまうというのを聞いたことがあるが、どうもそれは本当のようである。飲食店と蚤市みたいな店しか開いていない。しかし人通りが結構多いのはなぜだろうか。よくみると、犬をつれて歩く人がたくさんいる。地下鉄の中でも店の中でも平気で連れて歩いている。その犬達もよくしつけられていて、決して人に向かって吠えたりしない。ちゃんと行儀よくふるまっている。ドイツ人は子供よりも飼い犬を厳しくしつけるという話を聞いたことがるが、犬に関しては本当のようである。

あるきつかれたので、Breite StrasseのCafe Cremerというしゃれたコーヒーハウスでコーヒーを一杯注文した。 MILCH KOFFEEを飲んだが、イギリスで注文したCOFFEE LATTEによくにている。店内には若者の姿は見られず、中年以上の人たちが多く見られる。大きなケーキをほおばりながら、会話を楽しんでいる。皆があまりにもおいしそうにケーキを食べているので、自分もためしてみることにする。近くにいた店員に”Could you bring me a menu please?”ときいたが、困った顔をしている。その店員が別の店員とうちにmenuは置いてあるかというような会話をしたあとで、 “NO, we don’t have it. We only have those.”といって、ケーキの並んでいるショーケースを差した。さっき店に入ったときにもってきてくれたあのカードをもってきてくれればいいのだが、それを英語でいったとしても通じない。シャープの電子手帳にこういうときにドイツ語でなんといえばいいかを教えてくれる機能があるが、こんなときに限って電池がなくなって使えない。ドイツだから、おそらくこういう電子手帳のためのボタン電池も店に行けば置いてあるのだろうが、日曜なのでしまっている。しょうがないので自分でケーキを選びに行き、イチゴがたっぷりのったものを注文し、コーヒーをもう一杯注文した。

このケーキがまた非常にうまい。いちごがまずおいしい。いちごはビタミンが豊富で、いまの自分のこういった状態のときにはうってつけであるが、栄養分がたっぷりつまってそうなおいしさである。そのいちごがゼリーとからんでパイ生地のようなものの上に乗っている。周りにはアーモンドがまぶしてあり、その一切れの横に生クリームが添えてある。そのクリームにいちごをつけて食べると実にうまい。生クリームのほどよい甘さが心地いい。アメリカでこういうものを食べるとめっちゃくちゃに甘いのだが、こちらのは程よい甘さである。なるほど、アメリカ人のあのデブの多さはこの甘さの違いに由来するのかもしれない。実際にこちらの人たちはみんなおおきなケーキの一切れをおいしそうにほおばっているが、太った人はそんなにいない。町中でもデブな人はめったに見られず、みんなスタイルがいい。というわけで、生クリームの最後の残りまであじわうことができた。

店をでた後歩いていると雨が激しく降ってきた。どこかで雨宿りしたい。聖堂の近くにたどりつくと、ローマ時代の遺産を残した博物館があるのを見つけて入った。もっていたカバンを預けなくてはならないらしい。しかしみんなコートも預けている。とりあえず貴重品はコートのポケットの中に入れてもちあるきたい。よこにやはり同じようなことを考えているらしい女の子が英語でそれができるかどうかを自分に聞いてきた。そばにいた働いている人に聞いても英語が通じないようである。身ぶり手振りでやり取りするとどうやらカバンだけを預けるのは大丈夫らしい。預けた後で、電池がないが何とか表示できるというような状態の電子手帳でこういう場合を何というか調べてみた。 Konnen Sie nur dieser Tasche aufbewahren? らしいが、定かではない。

中の展示物はまさに地元でとれたものである。大英博物館にもこのような展示物はあったがこちらはまさに地元にあったものを展示しているという点で、より本物臭い気がしてくる。しかし展示品の説明は全てドイツ語で書かれているのでなんのことだかさっぱりわからない。ローマ時代の彫刻や食器、装飾品、当時の町並みの再現の模型、壁や床のモザイクが展示してある。かなり精巧に彫られた彫刻がこの地で2千年近くも前に彫られているのが印象的である。

その後外へ出るとやはり雨が強い。ライン川沿いをしばらく歩き、適当なパブに入った。ビールが4種類あり、 Ganser kolsch, Kostrisser, Kilkenny, bitburgerとある。手始めにGanser Kolschをのんでみる。さらりとしていて、どこか Heinekenににたあじわいである。これが細長いグラスに200mlほどいれられてでてきた。少ないと思うが、すぐによいが回ってきた。アルコール度は高いようである。ラジオがなっていて、MS-DOSやら BILL GATESやらE-MAILという声が聞こえてくるが、なんのことだかさっぱりわからない。ドイツ語でWWWを発音する声が聞こえる。URLをいっているようである。かかっている曲は懐かしいものばかりである。店内を見回すと、イギリスのパブよりもシンプルである。ビールとカクテル用の酒がおいてあるくらいである。しかしいやというほどkostrisserのコースターが置いてある。これにはsind 1543とかいてある。興味深いのでこれものんでみることにする。今度はワイングラスみたいなグラスに店員が泡が収まるのを確かめながら200mlほど注いでいく。この黒ビールはさきほどのGanser Kolschよりもさらに軽い。苦みもそれほどない。しかしこれもアルコール度はつよそうである。のみやすいからとがぶがぶ飲むとあっという間に寝てしまいそうだ。というわけでビールを飲むのはこれくらいにして、雨がやむのを待って出かけることにする。

そのままユースホステルにかえってきて、部屋に戻るとカーテンが開いている。そこから見えるライン川の景色が実に美しい。しばらく川べりを散歩してみることにした。ライン川のゆっくりした流れとともに、時間もゆっくりと流れていくような気にさせられる。この川に沿って、二千年以上もさまざまなドラマが繰り広げられてきたわけである。南のほうを見やるとさっき行った大聖堂が見える。かわにはひらべったい船がゆっくりと両方向に走っていく。川岸には犬をつれて散歩している人が結構たくさんいた。日本の典型的な川にありがちな、コンクリートむき出しの土手と違い、ここは一面が緑におおわれている。本当に美しい。日本にもこういう美しい景色があったはずだが、いつからそれがコンクリートだらけで、汚水が流れる醜い姿になり果てたのだろうか。

しばらく散歩した後、帰って少し寝ることにした。いい加減疲れがピークに達しているらしい。8時前まで2時間ほど寝た。おきてからGROUND FLOOR(ドイツでも地上階を1階とは呼ばないらしい)にいき、夕食のピザを食べることを考える。さっきフロントデスクでいわれた場所に行くと、ブンデスリーガの試合が放映されている。眼鏡をかけてみていたので、どこのチームか確かめることはできなかった。青いチームと白いチームがやっていた。注文をしている途中で青いチームが点をとり、ゴールシーンを見損なった。さてこの試合であるが、中盤でのプレッシャーがやはりものすごい。ボールをもつやいなやすぐに一人か二人体を寄せてくる。そこで各選手は2タッチか3タッチでボールをはなさなければならない。そのボールコントロールがまた正確であり、パスのボールもJリーグのシュートくらいに速くて重い。それをまた受けた選手が正確にコントロールする。実にハイレベルな試合である。日本のJリーグのチームでは歯が立たないだろう。代表チームでもまともな勝負にならないだろう。それくらいハイレベルである。そういう試合を90分間続けるのだからまったくすごいことである。エキサイトした選手が何人か出て、イエローカードが3枚くらい、レッドカードが1枚でた。結局試合は青チームがそのまま逃げ切った。

試合を見ながら飲んだBITBURGERのよいがまわってきて、そのまま自分の部屋に戻るとすぐに寝てしまった。

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AMSTERDAM, NETHERLANDS and KOELN, GERMANY 3月 07

COACHは8時半ごろアムステルダムに着いた。結局隣に座った日本人とはひとこともしゃべらなかった。とにかくつかれていて、鼻の奥からのどにかけてもいたく、しゃべるきにならなかった。着くやいなや、運転手が”Be careful at the Central Station. If you turn around, you’ll lose your luggage.”といった。どうもアムステルダムのセントラル駅のスリ・置き引きのひどさは本物らしい。下車してバスのオフィスに行き、ドイツ行きのバスの時刻表をもらう。全てオランダ語で書かれているのでよくわからないが、まあ料金と目的地と出発時間だけ分かればいい。

駅に着くと、ずいぶんとひっそりとしている。これがかのセントラル駅だろうか。人影もまばらである。階下にコインロッカーがあるのを発見し、そこにでかい荷物を置いた。その後駅の窓口にいき、ケルン行きの電車の料金を尋ねた。学生割引+週末割引で115ギルドになるという。3時間ほどで行けるらしい。バスだと往復4時間かかるが 70ギルドほどで行ける。どっちにしようか迷うが、とりあえず後で考えることにして、アムステルダムの空港でローマから大阪行きの飛行機に乗り換える友達にあおうと考えた。空港までの切符を買い、電車に乗ろうとするが、どうやって乗ればいいか分からない。そもそも改札らしきものもなく、どの電車がSCHIZOL空港駅に行くのかもわからない。しばらくみまわしてみると、AMSTERDAM CENTRAL STATIONという表示がみえた。どうもこのプラットホームから乗ればセントラル駅に行けるらしい。セントラル駅に行けば空港へのいきかたも分かるだろう。それにしてもここは何という名前の駅なのだろう。いろいろとわからないことだらけであるが、とりあえず来た電車に乗り込んだ。

電車はやがて地下に潜り込んだ。どうもこの電車はMETROという、地下鉄らしい。切符はオランダ国鉄のものらしい。オランダ国鉄と METROが重なるのはこの辺ではAMSTELという駅だけみたいだ。ということはさっきバスが着いたのはAMSTELという駅みたいだ。なにもかもがあやふやなまま、セントラル駅についた。結局切符をもっているかどうかは何もチェックされなかった。余裕で無賃乗車ができそうである。

さて今度は空港行きの電車に乗らなくてはならない。しかしどれに乗ればいいかわからん。各電車の行き先が成田空港の出発便を表すパネルみたいにずらーっとならんでいるが、その中にVIA SCHIZOLというもじをみつけて、これだろうと見当をつけ、電車に乗り込んだ。電車には大きなかばんをもった人がたくさんいたので、どうもこれでいいらしい。

空港へは一駅目で着いた。ローマからの便は1時間ほど到着がおくれるらしい。大阪行きの便はキャンセルされている。普通乗り換え客は税関の外にでてくることはないが、このキャンセルされた便の処理のために友達がでてきて、チケット発行窓口であえるかもしれない。あるいはその前に到着ゲートでまっていればあえるかも知れない。そのどちらで待っていてもあえそうな気配もない。しょうがないから INFORMATIONにいき、名前を呼び出してもらう。しかし何の反応もなかった。どうやら聞いていなかったようだ。合計で3時間ほどねばったがけっきょくやはり税関をくぐらなければならないらしい。あきらめてAMSTEL駅に荷物をとりに帰ることにした。

このころまでに、ケルンに行こうときめていた。というのもバスは朝の8時半に出発する便しかないが、電車ならほぼ1時間おきにでるからだ。荷物をとり、切符を買って、例によって地下鉄に乗ってセントラル駅に行く。

セントラル駅はさすがに人が多い。まわりにもたくさんの看板やら何やら観光客向けと思われる店やらがある。とりあえず何時発の電車をどこで捕まえればいいか分からないので、INFORMATIONにいって、たずねてみた。すると3時に出ると行って、時刻表と、どのプラットホームから出るかを書いた紙をくれた。

3時ちょうどきっかりに電車は出発した。電車はとてもきれいである。車内の幅は新幹線と同じくらいであるが、通路をはさんで二席ずつの配置なので、二等とはいえども快適である。バスよりも快適な旅が楽しめる。しばらくして車掌が切符を点検しに来た。適当な席に座ったが、別にそれで構わないようである。

30分ほどでユトレヒトについた。すると一人の老人がやってきて自分の席はここだという。よく見るとそういうメモを持っている。あわてて隣の席に移動し、彼女に事情を説明すると、納得してもらえたようである。この年で英語をしゃべるとはさすがである。

車外には田園風景が広がる。時々風車も見える。あちこちに水路があり、まさにオランダにいるという気分になってくる。所々にサッカー場も見える。しかし雨が降った後で、水たまりがあり、使われている様子はなかった。

ドイツに入る前にもう一度、今度は老女性の車掌が切符の点検にきた。すらっと背が高く、帽子と制服を着ているその姿はなんとなくかわいらしい。よく考えると日本でこのくらいの年齢の女性がこうして働いている姿はあまり見られない。

ドイツに入ると田園風景が少なくなり、住宅地が増えてきた。ドュッセルドルフにつくと、日本人の女性が二人入ってきた。斜め前の席に座って自分は田園都市線沿いにすんでいるとか、中央線沿いにすんでいるとか、埼京線はすごく込むとかそういう話を始めた。電車がケルンについて降りてからもああこの階段と通路の様子は東京駅か新宿駅みたいだと話している。確かにそうである。しかし線路が何本もある以上、構造的に人の流れを制御するにはこういう作りが一般的になるのだろう。彼女たちはもう一年くらい日本にかえっていないとかいう話をしていたので、こちらに来ている留学生らしい。だいたいこういうところに留学生を送り込む大学は見当が着くので、どこの大学に行っているのかを聞こうと思ったがやめた。

ケルンの駅はものすごい人でごった返していた。土曜の夕方みんなどこかにでかけるからであろうか。現地住民と思われる人、観光客、軍人、そしてサッカーのサポーターがうろうろしている。昔土曜日の午後、6時から東京12チャンネルで三菱ダイヤモンドサッカーでたとえばFC KOLN対BIERUN MUNCHENなどという好カードをみることがあったが彼らはそういう試合を支える人々である。ああ生の試合が見たい。

しかしまず宿を確保しなければならない。LONELY PLANETにのっているユースホステルに電話すると、空きがあるから来てチェックインすればいいという。そこでいこうとするが、どの電車にどこで乗ればいいかがわからない。まどぐちでBOLTENSTERNSTRASSEにいきたいというと、そこから16にのればいいとおしえてくれ、ついでに切符を買うこともできた。

ユースホステルは住宅地の中にある公園の一角にあった。えらいデラックスなつくりである。10階建てくらいの高さで、中は新しく清潔できれいである。チェックインをして部屋に入ろうとするが、5分くらい奮闘しても鍵を開けることができない。となりのひとをノックして呼び出し、あけてもらった。部屋の中もやはりきれいである。この旅行でいままで泊まった場所の中でもっともきれいである。とりあえず荷をおろして食事に出かける。

ケルンの街に戻るが、めぼしい商店が見つからない。しょうがないのでマクドナルドで食べることにした。ここ3日間くらいずーっと昼と夜はハンバーガーを食べている。風邪をひくわけである。帰りがけに駅の中の小さなスーパーで野菜ジュースとリンゴを買った。

さて部屋に戻るとイラン出身でドイツにすんでいるという若者が部屋の鍵を開けてくれた。彼に一応鍵の開け方を教えてもらったが、まだのみこめない。とにかく自己紹介をして、いくらか話をしたあと、野菜ジュースを飲み、リンゴを食べ、シャワーを浴びて、さっさと寝ることにした。

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LONDON, ENGLAND 3月 06

起きてシャワーを浴び、ホテルのパンを食べる。ただ単に食パンとマーガリンとジャムがあるだけであるが、ただなのでがまんしてたべる。

その後、KENSINGTON PALACEをあるいてみる。人影もまばらである。マラソンしている人、写真をとる観光客、どこかに急ぎ足でいくビジネスマンの姿などもみられる。いったんKENSINGTON PALACEの南西の端までいく。

そのままPALACEとHYDE PARDのわきのみちを東に向かって歩いてみた。一日おきにBACKINGUM PALACEで兵隊の交代がみられるらしい。まあ今日やっていなくてもとりあえずPALACEの姿をみて楽しむことはできる。11時過ぎにつくと、もう人だかりができている。こういうとき背が高いと便利である。日本人の観光客の後ろについて、交代の様子をみていた。しゃきっしゃきっとした動きが印象的である。子供のころ、よく見たおもちゃの兵隊は赤い服に黒のズボン、それにあの黒いふさふさした帽子だが、この人たちはグレーのコートを着ている。あるいはその下におなじみの服を来ているのかもしれない。

見物しながらこの儀式は何の意味があるのだろうかと考えた。もはやこれは観光客集めの演技にしかなっていない。たとえばこのバッキンガム宮殿めがけてどこかの国が陸から攻めてくることはありえない。そのまえにどこかでやられているはずである。いま見物に来ている全ての観光客がかばんの中に武器をもっていて攻撃を仕掛けたらどうなるだろうか。まずそういうことはありえない。それよりもこのバッキンガム宮殿を攻めたところでどうにもならない。重要人物は別のところにいるはずである。そうすると本当にこの兵隊交代の儀式は実用的な意味はないと言える。まあしかし見ていて面白いものではあるのでありかつこれだけ多くの観光客を集められるのだから、それ自体存在価値のあるものであるかもしれない。

その後、大英博物館まで歩いていってみることにした。しかしおなかがすいたので昼食をとることにする。ぶらっとBARにたちより、MURPHY’Sのビールとツナとキュウリのサンドイッチを頼んだ。1時過ぎなので、昼休みのスーツ姿の人たちが沢山見られる。みんな飯は食わずにビールばかりのんでいる。午後の仕事に差し支えはないのだろうかと思うが、概して白人はアルコールに強いらしいので、ビール500mlほどではたいした影響を与えないのかも知れない。みんなひっきりなしによくしゃべっている。しばらくしたら、相席になった二人の女性の元にえらいでかいサラダとフランスパンがとどけられた。まあでかいといっても葉っぱとその受け皿がでかく、中身はそんなにないようである。彼女たちはワインをのみながらこのサラダを食べている。まわりをみてもビジネスマンばかりで観光客の姿はどこにも見えない。普通の服でこうやってモバイルギアで入力している自分の姿は彼らにどう映っているのだろうか。

地図を見て自分の位置を確認しながら歩いていき、大英博物館には2時半ごろについた。2ポンド以上の寄付をしてくれというような箱がおいてあったが、お金がないので無視して何も払わずに入った。中も外も所々工事していたがその資金や、展示品の扱い、職員の雇用、その他もろもろで沢山の費用がかかるのだろうが、基本的に入場料を無料にしている点が素晴らしい。中にはたくさんのヨーロッパ人、遠足の子どもたち、そして日本人がいた。展示品は圧倒的に古代エジプトやギリシャの彫刻が圧倒的に多くあった。紀元前数百年も前にもうあれだけ人間の体に忠実な彫刻をするとはほんとうにすばらしいものである。階をあがっていくと、インドやアジア各国の仏像や彫刻も見られるようになるが、それらの全ての源流がそうしたギリシャの彫刻である。文化の流れを一気に見てとれるようで面白い。外に目を引いたのは、16、7世紀くらいにつくられて、いまもなお動いている時計である。中にはカレンダーがついたものや、アラームがついたものである。このころのヨーロッパの技術水準の高さを思い知らされた。一通りの展示品を見たあと、ロゼッタストーンを見るのを忘れていたのを思いだし、もう一度初めに見たエジプトの彫刻やレリーフのセクションをおとずれた。

この博物館は5時できっかり閉まってしまう。しばらくあるいてみて、そのままかえろうかと考えたが、つかれたので地下鉄でQUEENSWAYまでかえった。博物館にいる間に鼻の奥が痛くなってきた。ついにつかれがたまって風邪の菌にやられたのだろうか。

QUEENSWAYにもどり、マクドナルドで夕飯をとった。しばらく休憩した後、宿に戻り、かばんを背負い、VICTORIA COACH STATIONに向かった。その後バスに乗りこむ。今度は運ちゃんがちゃんと目的地を確かめなが荷物をバスに入れてくれた。

バスに乗り込んで、しばらく刷るとDOVERのフェリーポートに来た。ここでバスから降りる。フェリーの中をうろついてみるが、そのでかさにおどろいた。DUTY FREE SHOPやらレストランやら、 PUBやら、なにもかもある。しかし財布の中にはもうすでに小銭がいくらかしかなかったので、何も買わず、適当にあいている席をみつけて寝ていた。のどは相変わらず痛い。

フランスのカレーにつくと、パスポートのチェックがあった。バスに乗ったり降りたりという繰り返しが何回かあったが、これがけっこうきつかった。かなり疲れているらしい。バスが発信した後、車が右側通行になっているのを確認して、フランスに来たことを実感しながら寝た。

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