iTunes Store(Japan)

  • AMSTERDAM, NETHERLANDS and KOELN, GERMANY

      0 comments

    COACHは8時半ごろアムステルダムに着いた。結局隣に座った日本人とはひとこともしゃべらなかった。とにかくつかれていて、鼻の奥からのどにかけてもいたく、しゃべるきにならなかった。着くやいなや、運転手が”Be careful at the Central Station. If you turn around, you’ll lose your luggage.”といった。どうもアムステルダムのセントラル駅のスリ・置き引きのひどさは本物らしい。下車してバスのオフィスに行き、ドイツ行きのバスの時刻表をもらう。全てオランダ語で書かれているのでよくわからないが、まあ料金と目的地と出発時間だけ分かればいい。

    駅に着くと、ずいぶんとひっそりとしている。これがかのセントラル駅だろうか。人影もまばらである。階下にコインロッカーがあるのを発見し、そこにでかい荷物を置いた。その後駅の窓口にいき、ケルン行きの電車の料金を尋ねた。学生割引+週末割引で115ギルドになるという。3時間ほどで行けるらしい。バスだと往復4時間かかるが 70ギルドほどで行ける。どっちにしようか迷うが、とりあえず後で考えることにして、アムステルダムの空港でローマから大阪行きの飛行機に乗り換える友達にあおうと考えた。空港までの切符を買い、電車に乗ろうとするが、どうやって乗ればいいか分からない。そもそも改札らしきものもなく、どの電車がSCHIZOL空港駅に行くのかもわからない。しばらくみまわしてみると、AMSTERDAM CENTRAL STATIONという表示がみえた。どうもこのプラットホームから乗ればセントラル駅に行けるらしい。セントラル駅に行けば空港へのいきかたも分かるだろう。それにしてもここは何という名前の駅なのだろう。いろいろとわからないことだらけであるが、とりあえず来た電車に乗り込んだ。

    電車はやがて地下に潜り込んだ。どうもこの電車はMETROという、地下鉄らしい。切符はオランダ国鉄のものらしい。オランダ国鉄と METROが重なるのはこの辺ではAMSTELという駅だけみたいだ。ということはさっきバスが着いたのはAMSTELという駅みたいだ。なにもかもがあやふやなまま、セントラル駅についた。結局切符をもっているかどうかは何もチェックされなかった。余裕で無賃乗車ができそうである。

    さて今度は空港行きの電車に乗らなくてはならない。しかしどれに乗ればいいかわからん。各電車の行き先が成田空港の出発便を表すパネルみたいにずらーっとならんでいるが、その中にVIA SCHIZOLというもじをみつけて、これだろうと見当をつけ、電車に乗り込んだ。電車には大きなかばんをもった人がたくさんいたので、どうもこれでいいらしい。

    空港へは一駅目で着いた。ローマからの便は1時間ほど到着がおくれるらしい。大阪行きの便はキャンセルされている。普通乗り換え客は税関の外にでてくることはないが、このキャンセルされた便の処理のために友達がでてきて、チケット発行窓口であえるかもしれない。あるいはその前に到着ゲートでまっていればあえるかも知れない。そのどちらで待っていてもあえそうな気配もない。しょうがないから INFORMATIONにいき、名前を呼び出してもらう。しかし何の反応もなかった。どうやら聞いていなかったようだ。合計で3時間ほどねばったがけっきょくやはり税関をくぐらなければならないらしい。あきらめてAMSTEL駅に荷物をとりに帰ることにした。

    このころまでに、ケルンに行こうときめていた。というのもバスは朝の8時半に出発する便しかないが、電車ならほぼ1時間おきにでるからだ。荷物をとり、切符を買って、例によって地下鉄に乗ってセントラル駅に行く。

    セントラル駅はさすがに人が多い。まわりにもたくさんの看板やら何やら観光客向けと思われる店やらがある。とりあえず何時発の電車をどこで捕まえればいいか分からないので、INFORMATIONにいって、たずねてみた。すると3時に出ると行って、時刻表と、どのプラットホームから出るかを書いた紙をくれた。

    3時ちょうどきっかりに電車は出発した。電車はとてもきれいである。車内の幅は新幹線と同じくらいであるが、通路をはさんで二席ずつの配置なので、二等とはいえども快適である。バスよりも快適な旅が楽しめる。しばらくして車掌が切符を点検しに来た。適当な席に座ったが、別にそれで構わないようである。

    30分ほどでユトレヒトについた。すると一人の老人がやってきて自分の席はここだという。よく見るとそういうメモを持っている。あわてて隣の席に移動し、彼女に事情を説明すると、納得してもらえたようである。この年で英語をしゃべるとはさすがである。

    車外には田園風景が広がる。時々風車も見える。あちこちに水路があり、まさにオランダにいるという気分になってくる。所々にサッカー場も見える。しかし雨が降った後で、水たまりがあり、使われている様子はなかった。

    ドイツに入る前にもう一度、今度は老女性の車掌が切符の点検にきた。すらっと背が高く、帽子と制服を着ているその姿はなんとなくかわいらしい。よく考えると日本でこのくらいの年齢の女性がこうして働いている姿はあまり見られない。

    ドイツに入ると田園風景が少なくなり、住宅地が増えてきた。ドュッセルドルフにつくと、日本人の女性が二人入ってきた。斜め前の席に座って自分は田園都市線沿いにすんでいるとか、中央線沿いにすんでいるとか、埼京線はすごく込むとかそういう話を始めた。電車がケルンについて降りてからもああこの階段と通路の様子は東京駅か新宿駅みたいだと話している。確かにそうである。しかし線路が何本もある以上、構造的に人の流れを制御するにはこういう作りが一般的になるのだろう。彼女たちはもう一年くらい日本にかえっていないとかいう話をしていたので、こちらに来ている留学生らしい。だいたいこういうところに留学生を送り込む大学は見当が着くので、どこの大学に行っているのかを聞こうと思ったがやめた。

    ケルンの駅はものすごい人でごった返していた。土曜の夕方みんなどこかにでかけるからであろうか。現地住民と思われる人、観光客、軍人、そしてサッカーのサポーターがうろうろしている。昔土曜日の午後、6時から東京12チャンネルで三菱ダイヤモンドサッカーでたとえばFC KOLN対BIERUN MUNCHENなどという好カードをみることがあったが彼らはそういう試合を支える人々である。ああ生の試合が見たい。

    しかしまず宿を確保しなければならない。LONELY PLANETにのっているユースホステルに電話すると、空きがあるから来てチェックインすればいいという。そこでいこうとするが、どの電車にどこで乗ればいいかがわからない。まどぐちでBOLTENSTERNSTRASSEにいきたいというと、そこから16にのればいいとおしえてくれ、ついでに切符を買うこともできた。

    ユースホステルは住宅地の中にある公園の一角にあった。えらいデラックスなつくりである。10階建てくらいの高さで、中は新しく清潔できれいである。チェックインをして部屋に入ろうとするが、5分くらい奮闘しても鍵を開けることができない。となりのひとをノックして呼び出し、あけてもらった。部屋の中もやはりきれいである。この旅行でいままで泊まった場所の中でもっともきれいである。とりあえず荷をおろして食事に出かける。

    ケルンの街に戻るが、めぼしい商店が見つからない。しょうがないのでマクドナルドで食べることにした。ここ3日間くらいずーっと昼と夜はハンバーガーを食べている。風邪をひくわけである。帰りがけに駅の中の小さなスーパーで野菜ジュースとリンゴを買った。

    さて部屋に戻るとイラン出身でドイツにすんでいるという若者が部屋の鍵を開けてくれた。彼に一応鍵の開け方を教えてもらったが、まだのみこめない。とにかく自己紹介をして、いくらか話をしたあと、野菜ジュースを飲み、リンゴを食べ、シャワーを浴びて、さっさと寝ることにした。

  • LONDON, ENGLAND

      0 comments

    起きてシャワーを浴び、ホテルのパンを食べる。ただ単に食パンとマーガリンとジャムがあるだけであるが、ただなのでがまんしてたべる。

    その後、KENSINGTON PALACEをあるいてみる。人影もまばらである。マラソンしている人、写真をとる観光客、どこかに急ぎ足でいくビジネスマンの姿などもみられる。いったんKENSINGTON PALACEの南西の端までいく。

    そのままPALACEとHYDE PARDのわきのみちを東に向かって歩いてみた。一日おきにBACKINGUM PALACEで兵隊の交代がみられるらしい。まあ今日やっていなくてもとりあえずPALACEの姿をみて楽しむことはできる。11時過ぎにつくと、もう人だかりができている。こういうとき背が高いと便利である。日本人の観光客の後ろについて、交代の様子をみていた。しゃきっしゃきっとした動きが印象的である。子供のころ、よく見たおもちゃの兵隊は赤い服に黒のズボン、それにあの黒いふさふさした帽子だが、この人たちはグレーのコートを着ている。あるいはその下におなじみの服を来ているのかもしれない。

    見物しながらこの儀式は何の意味があるのだろうかと考えた。もはやこれは観光客集めの演技にしかなっていない。たとえばこのバッキンガム宮殿めがけてどこかの国が陸から攻めてくることはありえない。そのまえにどこかでやられているはずである。いま見物に来ている全ての観光客がかばんの中に武器をもっていて攻撃を仕掛けたらどうなるだろうか。まずそういうことはありえない。それよりもこのバッキンガム宮殿を攻めたところでどうにもならない。重要人物は別のところにいるはずである。そうすると本当にこの兵隊交代の儀式は実用的な意味はないと言える。まあしかし見ていて面白いものではあるのでありかつこれだけ多くの観光客を集められるのだから、それ自体存在価値のあるものであるかもしれない。

    その後、大英博物館まで歩いていってみることにした。しかしおなかがすいたので昼食をとることにする。ぶらっとBARにたちより、MURPHY’Sのビールとツナとキュウリのサンドイッチを頼んだ。1時過ぎなので、昼休みのスーツ姿の人たちが沢山見られる。みんな飯は食わずにビールばかりのんでいる。午後の仕事に差し支えはないのだろうかと思うが、概して白人はアルコールに強いらしいので、ビール500mlほどではたいした影響を与えないのかも知れない。みんなひっきりなしによくしゃべっている。しばらくしたら、相席になった二人の女性の元にえらいでかいサラダとフランスパンがとどけられた。まあでかいといっても葉っぱとその受け皿がでかく、中身はそんなにないようである。彼女たちはワインをのみながらこのサラダを食べている。まわりをみてもビジネスマンばかりで観光客の姿はどこにも見えない。普通の服でこうやってモバイルギアで入力している自分の姿は彼らにどう映っているのだろうか。

    地図を見て自分の位置を確認しながら歩いていき、大英博物館には2時半ごろについた。2ポンド以上の寄付をしてくれというような箱がおいてあったが、お金がないので無視して何も払わずに入った。中も外も所々工事していたがその資金や、展示品の扱い、職員の雇用、その他もろもろで沢山の費用がかかるのだろうが、基本的に入場料を無料にしている点が素晴らしい。中にはたくさんのヨーロッパ人、遠足の子どもたち、そして日本人がいた。展示品は圧倒的に古代エジプトやギリシャの彫刻が圧倒的に多くあった。紀元前数百年も前にもうあれだけ人間の体に忠実な彫刻をするとはほんとうにすばらしいものである。階をあがっていくと、インドやアジア各国の仏像や彫刻も見られるようになるが、それらの全ての源流がそうしたギリシャの彫刻である。文化の流れを一気に見てとれるようで面白い。外に目を引いたのは、16、7世紀くらいにつくられて、いまもなお動いている時計である。中にはカレンダーがついたものや、アラームがついたものである。このころのヨーロッパの技術水準の高さを思い知らされた。一通りの展示品を見たあと、ロゼッタストーンを見るのを忘れていたのを思いだし、もう一度初めに見たエジプトの彫刻やレリーフのセクションをおとずれた。

    この博物館は5時できっかり閉まってしまう。しばらくあるいてみて、そのままかえろうかと考えたが、つかれたので地下鉄でQUEENSWAYまでかえった。博物館にいる間に鼻の奥が痛くなってきた。ついにつかれがたまって風邪の菌にやられたのだろうか。

    QUEENSWAYにもどり、マクドナルドで夕飯をとった。しばらく休憩した後、宿に戻り、かばんを背負い、VICTORIA COACH STATIONに向かった。その後バスに乗りこむ。今度は運ちゃんがちゃんと目的地を確かめなが荷物をバスに入れてくれた。

    バスに乗り込んで、しばらく刷るとDOVERのフェリーポートに来た。ここでバスから降りる。フェリーの中をうろついてみるが、そのでかさにおどろいた。DUTY FREE SHOPやらレストランやら、 PUBやら、なにもかもある。しかし財布の中にはもうすでに小銭がいくらかしかなかったので、何も買わず、適当にあいている席をみつけて寝ていた。のどは相変わらず痛い。

    フランスのカレーにつくと、パスポートのチェックがあった。バスに乗ったり降りたりという繰り返しが何回かあったが、これがけっこうきつかった。かなり疲れているらしい。バスが発信した後、車が右側通行になっているのを確認して、フランスに来たことを実感しながら寝た。

  • LONDON, ENGLAND

      0 comments

    今日は朝食をHIROにつくってもらった。ベーコンを食べてみる。からい。ひとこと声を出したら「すみません」とあやまられた。そのあとでしばらくしてから味が出てきた。確かにおいしいことはおいしいのだが、どうも塩味がきつすぎる気がした。

    そのあとでそのままキッチンでHUSSAINというケニアからきたという人とはなしをした。ケニアは結構経済と民主政が発達しているらしい。ほかの国より豊かなようで、中古の車なども日本と同じくらいの値段で買えるそうだ。

    さていよいよロンドンに向けて出発である。9ポンドでロンドン行きの COACHのチケットを買い、ついでにAMSTERDAMゆきのバスのチケットも27 ポンドで購入しておく。

    発車してからすぐにPIZZA HUTでグーリットのポスターが飾っているのを発見した。彼が両手で「ほれ」というかんじでピザのひときれをこっちに向かって差し出している。さすがイギリスである。こういうところにオランダのサッカー選手をもってくるところが渋い。

    ロンドンへの道のりは、来るときと同じように田園風景の中をずうっと走っていくものだった。今日は張れているので何もかも美しく見える。しばらく走っていると、田園の面積が減り、建物の数が多くなってくる。住宅地が多くなり、それとともに信号の数が多くなってきたと思ったら、窓から見えるビルボードに LONDONの字が見えるようになった。いつのまにかロンドンにはいったらしい。しかしいつまでも住宅地のようなところをとおっている。いつになったらVICTORIA COACH STATIONにつくのかとおもったら、もうすぐで着くと言うアナウンスが入った。

    それにしても美しい町並みである。住宅地と思っていた家々は、実は単なる家の形をしたオフィスだったり商店だったりする。しかもそれらに看板や商店名がない。あったとしても探すのが大変なくらいに小さい文字で目立たなく書かれている。日本でもよく頑固な店の主人が「自分のところには広告など出さなくても客自らが探し出して来る」というようなことを言っていたのを聞いたことがあるが、それに近い発想なのだろうか。古いがしかし決して汚くはない、むしろおしゃれな感じの家がびしっと統一観を伴ってならんでいる。そうした家々の線が並ぶ中に小さな公園があり、ある英雄か誰かの銅像を建ててある。なんと洗練されていて成熟した町並みなのだろうかとすっかり感心させられた。数百年間にわたって市民が自分たちの手で政治の権力を手にし、その権力を活かして活動してきた結果が、この美しい町並みなのである。

    バスを降りてから、宿をどうするか決めなければならなかった。 LONELY PLANETの宿のセクションに大英博物館の近くに安宿があるのを見つけ、そこに電話すると、空いているからいつでも来いという。しかしいくには鉄道のVICTORIA STATIONに行かなくてはならない。そこであるいてそっちに向かっていると、一人の黒髪を茶色に染めたいかにも日本人臭いにいちゃんが英語で話しかけてきた。宿があるのでそこで泊まらないかといっている。聞いてみると、10ポンドで大英博物館に近いところにとまれ、しかもここから無料でバスで連れていってくれるという。10ポンドという値段は LONELY PLANETにもなかったので、これはいいとおもい、さっそくその話にのることにする。

    バスを待っている間彼と話したところ、かれはBOO YOUNGという、韓国の学生で、現在イギリスで勉強しているのだという。どうりできれいな英語をしゃべるわけだ。お金がなくなったので、こうしてユースホステルのために働いているのだという。待っている間、ほかのそうした一員と思われる人が彼と話をしていた。やがてバスが来て、彼らは去っていき、バスの運ちゃんと自分だけになった。ここがHYDE PARKだとか、ここがダイアナ妃のすんでいた KENSINGTON PALACEだとかいうことをおしえてもらった。

    ユースホステルはQUEENS PARKという一件よさそうなホテルの一室か何かのようで、QUEENS CABINという。レセプションでSAMという、若いころのリンゴスターみたいな顔をした若者が”WELCOME”とむかえてくれた。かなりアクセントの強い英語だが、なぜかかっこよく聞こえる。部屋に入ると6畳くらいの部屋に2段ベッドが三つおいてある。よくまあつめこむなあとおもわせる。しかしこれで一晩で60ポンドが稼げるのだから、結構いい商売かも知れない。

    荷物をおろして、まずテムズ川のボートツアーに行こうと思った。ちょっと西にあるくとQUEENSWAYという道があり、そこにQUEENSWAYという駅と、 BAYSWATERという駅がある。そのせいかこの通りは非常ににぎわっている。レバノン料理屋、中華料理屋、インド料理屋などの各国の料理屋や、アラブ系の人が経営するみやげもの屋がある。その一つに立ち寄ると、ダイアナ妃、エリザベス女王、ブレア首相、そしてチャールズ皇太子の顔だけのはがきやら、Tシャツなどがある。ここにSPICE GIRLSのグッズが色々とおいてあるのに驚いた。どうやら彼女たちはイギリスでかなりの人気をはくしているようだ。

    おなかがすいたので、出かける前にBURGER KINGで昼食をとった。その後 BAYSWATER駅に行き、まず1ポンドで路線図を買った。来れは小さく折り畳んでも路線の概略が分かるし、ひろげると地上の様子も分かるという、すぐれものである。タイで教えてもらったA TO Zの地図はごちゃごちゃいっぱい書いてあり過ぎてわかりずらいが、こちらはシンプルで分かりやすい。つぎに切符を買おうとするがどうやって買えばよいかがよく分からない。じっと立ち止まってしばらく様子を見る。人がいるブースと自動販売機がある。ブースだとゆっくり考える時間がとれないので自動販売機の前に行く。しばらく見つめていると、まず大人の片道/往復あるいは子供、老人の片道/往復を選ぶ。つぎに切符の種類を選ぶ。行き先を選ぶか、一日フリー乗車券か、そのほかを選ぶわけである。その後お金を払う。とりあえず一日フリー乗車券を買ってみる。カードを差し込んででてきたのをとりだすと、改札のゲートが開く。そこで左側のWESTMINSTER方面行きにのる。

    待っていると赤と青と黄色の塗装をしたBENETTONみたいな色あわせの電車が来た。中も外もなかなかきれいで、乗り心地もよかった。

    WESTMINSTERからはボートツアーの波止場があるのでそれをさがそうと辺りを見回した。するとでかい時計があるのを発見した。よくみると写真などで見られる例のBIG BENである。そういえばここはあの議会やウエストミンスター寺院のあるところである。そこら辺の写真を適当にとりまくりつつ、イギリスに来たことを改めて実感する。

    波止場からボートがでたのはBIG BENの時計が3時を指したときからだった。よく学校であるようなチャイムがうやうやしくなりおえたと思ったら、出始めた。

    テムズ川から眺める町の様子もなかなかである。次から次へと名所が紹介される。ST. PAUL’S CHURCH, LONDON BRIDGE, TOWER GATE, そしてLONDON TOWERである。本当にこれでもかというくらいに見せ場がたくさんある。

    船から降りると、ちょうどいい具合にLONDON TOWERの入り口があったので入ってみることにした。なんの予備知識もなく入ってみたが、ここでまた新たに驚愕と感動を覚えた。

    まずその歴史の深さである。ノルマンディーウイリアムがこの地を征服し、城を建てたのが始まりだそうであるが、そのときの石造りがそのまま残っていて、その上に時代をおって次々に石がつまれていっている。城壁には色々な展示物がおいてあり、歴史の勉強をすることができる。城壁は迷路のように入り組んでいて、ドラゴンクエストの城の中に入り込んだ気分になった。

    もっとも感動したのはJEWELS AND CROWNSのセクションである。代々伝えられてきた王冠や杖、剣、勾玉、衣装などがならべてあり、さらに大英帝国の威信をみせつけるかのようなきらびやかな宝石や金食器がならべられている。それらが着けられる様子として、エリザベス女王の戴冠式のビデオが上映されており、これに感動させられた。いまの姿からは想像できないくらい若くて美しい(いまの自分と同い年である)女王が一つ一つの衣装をまとっていくごとに普通の女性から女王に変身するかのようである。こういう戴冠式はドラゴンクエストでしかみたことがないが、やはり本物は違うものである。この古式ゆかしい儀式が見られるのはいつであり、そのときに王位を継承するのは誰であろうかと疑問をもった。また、これよりも古い日本の皇室に対して、我々もこれに対抗するものがあるという誇りから、積極的な印象をもつようになった。

    中のWHITE TOWERは工事中であまりおもしろくなかった。本来はここに武具が展示されるようである。

    かえりがけにあまりのも感動したあの戴冠式の様子をもう一度見たいと、ビデオを買ってしまった。よくよく考えたらイギリスのビデオは PAL方式で、日本ではそのまま見ることができないのではあるが。

    その後地下鉄でOXFORD CIRCUSにいって、SELFRIDGEをめざす。このデパートで7時に友達と待ち合わせの予定である。彼らとはメールで連絡しあい、ここであおうと行うことに決めた。お金がないのでWENDY’Sで夕食をとった。会話の内容はここに来てまでモバイルギアやら衛星を使った通信の話やら、パソコンを作る話やらで盛り上がった。

    彼らと別れた後、地下鉄で宿に戻り、さっさと寝た。

  • BRISTOL, ENGLAND

      0 comments

    7時に起きた。シャワーを浴びて朝食をとる。今日もベーコンを焼き過ぎた。明日はHIROが焼いてくれると言う。9時から彼の授業があるので 8時50分ごろ寮をでて教室に向かう。自分はコンピュータセンターでメールのチェックをする。なんとかして日本語を読めるようにしようとするがやはりむりである。1時間ほどでそれらの作業を終えて、街にでた。まず電話ボックスを見つけて日本の実家に電話をする。つぎにロンドンの友達が泊まっているホテルに電話をするが、すでにでかけたらしい。とりあえずメッセージを残しておく。その後にぎやかな町並みをみながらぶらぶらした。POST OFFICEをみつけ、ダイアナ妃の切手を買う。旅行会社でヨーロッパ旅行のパンフレットをもらう。その後、教室に戻った。

    教室と言っても普通の民家のようである。単に昔からある普通の家の中を改装しているらしい。表にはちゃんとPOLITICSと書かれている。しばらくするとHIROがクラスメートをつれて現れた。このクラス、タイ、中国、アフリカ、日本、そしてイギリスの各学生が集まり活発に意見を交換するそうで、なかなか楽しそうである。会話をしていると、今日11時半から学費値上げ反対のデモをすると、拡声器を通していいながら歩いていく女の子二人が来た。どうも恥ずかしそうにやっているみたいである。皆でその様子を笑いながらみて、方々に散っていった。

    寮にかえってお茶をしてからMANOLLOというスペイン人の学生と共に散歩に出かけた。近くのつり橋に連れていってくれるという。つり橋に行く途中、古い家並みや教会の写真をとってその景色を楽しんだ。

    つり橋は19世紀に設計されたものらしい。ここの眺めは壮大である。片側には崖が見え、もう片方には岡が見える。HIROがあれが典型的なイギリスの光景だと言った。

    つり橋をみてからパブに入った。自分はMURPHY’SのビールとFISH AND CHIPSを注文した。中は古い味がよくしみだしてきているような内装をしている。昼休み中と思われるビジネスマン達がビールを楽しんでいる。出てきた料理は魚のフライとフライドポテトとグリーンピースでこれが典型的なイギリスの料理なのだそうである。なぜかイギリスではフライドポテトをチップスというらしい。魚のフライもまあまあおいしかった。

    そのあとはHIROの友達の元をいろいろと回りながら時間を過ごした。彼は本当に色々な友達をもっている。彼らの出身国もばらばらである。こうした人々と話すというのは、やはり大学にこないとできないことである。

    洗濯を終えて、HIROのつくった豚の生姜焼きで夕食をとり、 VICTORIAというところでMANCHESTAR UNITEDとAS MONNACOのサッカーの試合をみた。やはり日本の試合とは違う。コンパクトにまとまった中盤、激しいプレッシャー、正確なパスとトラップ、多彩な戦術、そして観客の反応などはやはり日本とのレベルの違いを感じる。

    寮にかえってきて、フランス出身のFREDの部屋で音楽をガンガンにかけながらパーティーが始まった。こういうときにやはりスペイン人はにぎやかだ。ラテンの血が騒ぐのだろうか。FREDも陽気に音楽をかけ、踊っている。楽しいひとときを過ごしたあと寝た。

  • BRISTOL, ENGLAND

      0 comments

    7時ごろに起きた。ベーコンを焼いたが焼き過ぎた。それではイギリスのベーコンの本来の味が出ないとHIROにいわれた。このベーコンの上に玉子を焼いたものをのせ、マスタードを塗ったパンにはさんで食べた。マスタードが非常においしかった。

    しばらく寮の中で時間を過ごしたあと、HIROが授業に出かけた。その間隣のコンピューターセンターでメールのチェックをした。

    昼食は大学の食堂でとった。メニューはアメリカのカフェテリアとたいしてかわらない。ごはんを炒めたものと、チリソース、フライドポテト、サラダバー、フライドチキンなどがある。

    午後からは町の中をぶらぶらした。BRISTOLはイギリス南部において、ロンドンに次いで2番目の街と言うことで、結構栄えている。こじんまりとした町でありながら、必要なものは何でもそろいそうである。ぶらぶらと散歩して寮にかえり、夕食をとるとすぐに眠くなって寝てしまった。

  • BRISTOL, ENGLAND

      0 comments

    さて今日からヨーロッパ旅行である。LONDON郊外のHEATHROW空港につくが、ここは確か故ダイアナ妃の名前をとってDIANA AIRPORTにしようかという噂が流れたところであったと思う。到着するとWelcome to the United Kingdom, European Union, and European Economic Organizationとかなんとかいうアナウンスが聞こえてきて、ヨーロッパに来たと言う実感が沸いた。まず、日本円3万円を換金する。1ポンド210円という。たしか2、3年前は 140ポンドくらいだったと思う。二つの市場の強さの反映があらわれているのだろう。でかいバッグを引き取り、タイで買ったビールをこのバッグにいれようとしたら、鍵をなくしていることに気がついた。しかたがないのでまず税関等をくぐり抜け、空港のINFORMATIONにいって、鍵を開けてくれる所はないかときいた。するとおじさんみずからが開けてくれるようだ。奥に行って、ドライバーか何かをもってきて、ひょいと鍵がかかっていた輪っかを壊した。とりあえずこれであけることはできる。ありがとうといって、つぎにBRISTOLにいる友達の元に電話をしようとする。

    この、外国で電話をしようとするのが大変厄介である。まずコインをそろえなければならない。ここではクレジットカードでかけようと思う。次に与えられた電話番号をためすがつながらない。そこでオペレーターに聞く。するとはじめの44はいらず、0をその代わりつければいいと言われて、あたえられた電話番号は日本からの国際電話の番号であることをおもいだした。電話すると、アメリカ英語臭い声で答えがかえってきて、HIRO IS NOT IN HIS ROOM. Maybe he is in the bathroom to take a shower.とかなんとかいった。時間は8時ちょっと前なので、朝起きてシャワーを浴びるにはまあちょうどいい時間である。自分の名前と今の場所、そしてあとでもう一度かける旨を告げ、とりあえずきった。それからどうするか考えた。これから LONDONにいこうか、BRISTOLに直接行ってしまおうかと悩んだ。まず近くのバスを扱っている窓口に行って聞いてみると、BRISTOLに直接行くバスは確かにあるという。そこで直接行くことを決意する。その前に GULF AIRの帰りの切符を予約することを思い付き、出発ロビーの窓口で予約した。

    その後、この第3ターミナルから第2ターミナルにあるCENTRAL BUS STATIONにいき、BRISTOL行きのバスのチケットを24ポンドで購入した。 10時10分発のものだったが、10分ほどおくれてきた8時45分発のバスに乗ることができた。

    英語が通じることは素晴らしいことである。ここまでスムーズにことが運んだ。こちらの意図がスムーズに通じ、それに応じた対応をしてもらえる。タイではこっちの言うことが向こうに間違って伝わりストレスがたまったが、この英語の本国ではそういうことはない。

    バスからはイギリスの田園風景を楽しむことができた。本当に絵に描いたような風景が辺り一面広がる。どんよりとした雲の下に穀物や芝生が植わっており、農家の軒先と納屋と共に牛や馬がちらほらみえる。アメリカの NEW ENGLANDにいくとこういうような風景がみられるが、こっちのほうがより本もの臭く見えてしまう気がする。

    BRISTOLには2時間ほどでついた。降りると11時ちょっと前である。とりあえずHIROのところに電話し、自分はいまBRISTOL BUS STATIONにいると伝言を残した。おなかがすいたので何か食べようとする。GULF AIR で5時ごろに朝食を出されただけなので、当然であろう。近くのサンドイッチ屋で食べようとすると、中で食べるのと外で食べるのとでは値段が違うという。どっちが安いかを確認し、外で食べることにする。ベンチに腰掛けてサンドイッチを食べてると、HIROがいきなりあらわれた。タクシーを拾って迎えに来たと言う。ようやく一安心である。

    このBRISTOLという町は古くからUNIVERSITY OF BRISTOLを中心に栄えてきたらしい。狭い道(といっても日本よりは広い)に小型車が沢山駐車してあり、それをはさむようにして家々が並んでいる感じである。坂道が多く、道はくねくねして今どこにいるのかすぐに分からなくなる。まあイギリスの古い町並みをこうやって堪能するのも面白い。

    まず寮に荷物をおろした。そのあとHIROにつれられて図書館やコンピュータセンターに行った。コンピューターセンターには486DX2 66MHzのマシンに WINDOWS3.1がのっている。懐かしい画面である。NETSCAPEをたちあげるとなかなか起動しない。メモリが足りていないようだ。スワップしまくりである。 TELNETで自分の大学のホストにつなぐと、反応はまあまあ悪くないので、 NETSCAPEのこの遅さはマシンの性能によるものとおもわれる。HIROいわく、こういうものを買いかえる金がなかなかまわってこないらしい。アメリカのように学費が高いが、最新の設備を享受できるのもメリットであるし、ここのように国立大学で最新の設備はなかなか入らないが、学費が安いのもメリットではある。

    スーパーにいき、買い物をして食材をそろえた。寮の学生は普通自分で毎回食事の用意をするそうである。自分も何カ月ぶりかで肉じゃがをつくることにした。夕食をスペイン人、ドイツ人、スリランカ人とでとったが、肉じゃがは好評だった。

    その後、HIROの友達のスペイン人3人と飲みに出かける。学校で酒が飲めるらしい。イギリスではPINT(パイント)という、 500mlくらいのグラスにビールを入れて飲むのが普通らしい。みたことのないビールがいっぱいあった。KRONNONBERGとか言うのを頼んだ。ドイツのビールで、独特の濃さがある。スペイン人達と陽気に話していると、ときどき汚い日本語をしゃべってくる。スペイン語の発音が日本語に近いからか、それほどくせがなくきこえてくる。自分もスペイン語の汚いことばを教えてもらったが、すぐに忘れた。隣の部屋ではサッカーの試合を20人ほどがみて、熱中していた。うらやましい光景である。日本でJリーグがこういう風に人々の生活に溶け込むのはいつの日だろうか。

    そのあと別のパブにいった。古い建物の中はあたかもコーヒーショップかなにかのようだ。イギリス人達はこういうところで陽気にビールを飲みながら会話を楽しんでいる。酒を飲んで酔っ払うことが目的ではなく、本当に会話を楽しむのが目的なようである。合計で1リットルほどしか飲んでいないがそれでもこれだけ飲むのはひさしぶりで、夜中に2回トイレのために起きることになった。

  • Bangkok, Thailand

      0 comments

    6時半にバスはカオサンロードについた。とりあえず荷物を置いておける 宿はないかと探すがどこにもない。しかたがないのでとりあえず BUDDY BEARで朝食をとることにした。

    朝食をとりながら昨日言われたことを思い出して、例のマッサージ屋に いってみようと考えた。ここなら洗濯、シャワー、そして荷物の問題がかたづくかも知れない。今度は今日の予定をどうするかである。 とりあえず地図をみながら、WAT PHOがちかいのでそこへあるいていくことを考える。

    マッサージ屋にいってみると洗濯は1kgあたり20バーツで、 シャワーは20バーツで浴びられ、ただで荷物を置いておけるという。さっそく洗濯2kgをおねがいし、シャワーを浴びて身支度をした。

    WAT PHOに歩いていく途中でバンコクの都会としての威厳のようなものを 感じとることができた。広い道路と整備された歩道、および公園、そのとなりのGRAND PALACEなどは東京の丸ノ内や日比谷辺りをほうふつさせる。 このバンコクという都市が比較的新しいからであろうか、全体的な道路や建物の配置が東京に比べて計画的に配置されている気がする。

    WAT PHOに入ると、台湾からと思われる観光客に出くわした。どこの 国でもおばさん達が集団で仏像を拝みに来る姿は何か共通したものをかんじる。ここの寺では涅槃仏、つまり寝ているブッダの像がみものである。 高さ15mで長さが40mはある壮大な像が金箔でおおわれている。足の裏にはブッダの108の状態を表しているという。仏像の裏側に回ると、 ちゃりんちゃりんと音が聞こえてくる。何かと思うと、一つ一つの器にみんなが小銭を落としていっている。後で聞いた話だが、こうやって お土産を残していくことによって、その人に福がもたらされるのだという。その後その本堂をあとにして、境内をうろついてみる。いくつかの仏塔が みえる。近づいてみてみると、タイルの張り方が汚い。でも遠くからみるときれいに見える。こういう細かいところにこだわるかどうかも一つの 国民性の現れなのかもしれない。さらにまわると、マッサージ場や何かの講義を行う教室もみられる。ここはタイ中のマッサージ修行者や 仏教に関することを学びたい人が訪れるらしい。

    WAT PHOを離れ、しばらく歩きながらこのあと何をするかを考えた。 確か博物館がそんなに通くないはずだからいってみようと思う。すると博物館のとなりの大学の前で人のよさそうなおじさんに 話しかけられた。博物館にいこうとすると、今日は 日曜日だから休みだといわれた。(それにしてはなぜあんなにたくさんの周辺に泊まっていたのだろうか)さらに、 今日は仏教の特別な日で、前の広場でお祭りがあるという。そのうえで、 少し大学の中で話をしないかという。まあいいかとおもい、つきあうと、彼の名前はTOMといい、陸軍に所属している。また、この大学で エンジニアリングを勉強しているともいう。今は休みで、 今夜からオーストラリアにいき、そこで一カ月滞在するという。彼にいましがたWAT PHOにいってきたというと、それならあと、 STANDING BUDDHAとSITTING BUDDHAもみなくてはならないという。確かにそれもそうだと思っていると、さらにCHAIYOという店で 販売促進をやっていて、今日が最終日だからいってみるといいという。そこでは宝石の加工のしかたや本物と偽物の区別のしかたを教えてくれる という。彼はこれらの個所をメモにタイ語で書いてくれた上、 TUK TUKには実は政府公認のものとそうでないものがあり、公認のものに たのめばそれらを20バーツでまわってこれるという。大学の前にとまっていたTUK TUKをみつけて前の窓にTHAI航空のマークが張ってあるのを 確認し、さらにナンバープレートが白地に黒で書かれていることを確認した。TOMは運ちゃんに先ほど書いた3カ所をまわるようにいい、 去っていった。

    さてまずは最初のSTANDING BUDDHAである。賛同にはたくさんの出店が並び、 境内には沢山の人だかりができていた。どうやら今日が仏教の特別な日というのは本当のようだ。境内では坊さん達のお経がスピーカーを通して 流れわたっていた。STANDING BUDDHAは20m位の高さでそびえ立っていた。これも金箔で塗られている。ほかに見どころはないようなので、何枚か 写真をとって次の目的地に向かうことにした。

    TUK TUKのなかではタイがーウッズに少しにた運ちゃんが片言の英語を 話してくる。しかしこっちから話すことは分からないようだ。それでも寺を見に行くときになると、TAKE YOUR TIME, I’M WAITING FOR YOUなどといえるのである。日本人にはこのTAKE YOUR TIMEという表現を 知っている人があまりいないので、不思議に感じる。

    次のSITTING BUDDHAでは人影はほとんどみられない。本堂も閉ざされ、 座っている仏像などみられない。本堂の前にRECLINING, SITTING, そして STANDING BUDDHAがそれぞれ作りかけの状態で配置されてあるだけだ。 アイスクリームを売っていた女の子に先ほどのメモ帳を見せながらここでいいのかと尋ねると、彼女はここでいいといい、さらに近くにいた 修行僧のような少年に同意を得た。ありがとうといい、お礼に10バーツでアイスを買った。このアイス、ココナッツの味と そこに沈んだ米とが上手くからんでいい味わいを醸し出していた。 再び本堂に戻って、とりあえず写真でもとるかと思って、すきまからカメラを差し込むと、タイがーウッズ運ちゃんが現れ、今日は 休みだから、別のところに行こうという。

    その別の寺でもやはり人影が少ない。境内に入り、靴が脱いであるので 靴を脱いで建物中に入ろうとすると、ある人から靴をもってこっちにおいでといわれた。このCHAING MAIからきたというおじさんは、家族を引き連れて 寺にお参りに来ているのだと行う。彼はこの寺には108体の仏像があるという。彼はもう家族を連れていかなくては行けないといい、去っていったが、 そのとたんに別のちょっと濃いめの顔をした若者がきれいな英語で話しかけてきた。まず土足で廊下にあがっていることを注意し、 ここは観光客が来るようなところじゃないのに何で、おまえはここに いるのだと言う。通りすがりの人にすすめられたのだと言った。すると今度はなぜおまえはアメリカ訛りのアクセントで話すのだと聞いてくる。 アメリカで留学していたからだと答えると、彼はイギリスで一年留学していたという。そこで先ほどのメモ帳を見せたところ、どうしてこれらの場所を 知っているのだとまた聞いてくる。とくに3番目のPROMOTIONをしている店のことをみるや、自分は昨日ちょうどそこで買い物をしたところだと、 そのレシートを見せながらいってきた。レシートには英語で指輪、ネックレス、あと一つ何か忘れたがそれらのセットが購入されたことを 示す記述があった。彼はこの店は一年に一回一般客向けに販売促進期間(PROMOTION) を設け、一人に一セットに限り販売するのだと言う。店の信用を確かなものに するために厳密に身分や所得、ほかのセットを今年一年買っていないかをチェックされる。そしてこのセットを個人で楽しむことを目的と して購入することを条件とし、投機目的で買ってはいけないことになっているといった。しかし彼はそうやって手に入れたセットを香港辺りで売るのだと言う。 このPROMOTIONで売られる値段には195%の税金が含まれておらず、かつそれを今度はタイの外で売るときにはその税金が含まれた値段でひきとって もらえるのだという。通りすがりの何にも脈絡のない二人からこのようなことをいわれると、結構信じてしまう。運ちゃんに頼んでいってもらうことにする。

    さていよいよその販売促進期間最終日の店である。入るとさっそく 日本でいそうな顔をした若い店員が現れ、どうしてここを知ったのだ、おまえはメンバーかと聞いてきた。いやそうではなく、ただ単なる 通りすがりの人に聞いてきたのだとこたえ、辺りにある生地をみながら日本だとスーツがなかなか見つからないから、とりあえずここにみに来たのだと いった。なんだかんだと話をするうちに、宝石の話になり、2階で本物と偽物の宝石の見分け方を教えてくれるという。

    ここから宝石に関する講座である。彼いわく、宝石には三つの重要な 要素がある。まず一つ目が硬さで、ダイヤモンドを10とすると、ルビーが9、サファイアが8、ガラスが5で、硬いほど価値が高いと いう。次に混合物の話をしてくれた。とりあえず天然物は混合物が入っており、人工のものは入っていないということを知っていたが、 わざと逆に言ったら、ちゃんと説明をしてくれた。天然ものに 混合物が入っているから値打ちがあがるのであり、人工物とは傷の入り方や裂け目、不純物が違っているのだと言う。光の反射を 防ぐために結晶の下のほうのとがった部分からみることを教えてくれ、傷や裂け目、濃くなった細かい部分がある天然物とそうでない人工物とを 比較することができた。また水の中に沈めて反射を抑えて みることによってもこれが容易に分かる。三つ目は色である。濃い色がまんべんなくついているといいらしい。 天然ものの二つの石を見せてくれ、片方は色が薄いので値打ちが低いが、もう片方は色が濃いので高いという。

    またなぜこういう販売促進をするのかと言うと、ディーラーの独占を 抑えるためであり、会員や普通の客にいくぶんかを売って保持してもらうことでディーラーからの価格のコントロールを防げるのだと言う。 そのために、5店側でも1年に一人1セットに制限しているが、 そのかわり195%の税金ははずして売っているのであると言う。ほかの国で売ろうとすれば、その税金が加わった値段でさいていでも 売れると言う。

    ここまで説明してくれた上で、彼はさらに自分のパスポートと クレジットカードを見せてくれという。これは店の信用を保つためのものであり、店側の厳しいチェックを通ったもののみが買うことが できるのだという。宝石商との関係はないか、1年に一人1セットという制限を超えないか、財政的な問題はないかを確認するのだと言う。 正直に自分の財政状況を伝えると、手ごろなネックレスをすすめてくれ、とりあえず今これを買えば会員になれるし、かつ投資の面からも これをもっておくのはいいことだと言う。すっかり彼の言うことを 信じた自分はとうとう買ってしまった。よくよく考えると浅はかなことである。確かにこの店員の言うことは、物理的にまったく正しいことだったし、 通りすがりにであった二人が偶然的にこの店のことを知っていたということから組織的ないかさまに巻き込まれたとは考えにくい。しかしそれにしても 自分はだまされやすいかもしれないと肝に命じておかなければならない。

    この買い物が終わったあと、運ちゃんはまだ別の寺にいくといいと言って 連れていってくれたがあまりおもしろくなかった。カオサンロードにかえってきて、お礼に奮発して50バーツを払うと嬉しそうに彼は去っていった。

    時計をみるともう1時半である。しばらく通りをぶらぶらして、適当な 旅行会社で4時発の空港行きのミニバスの予約をした。ビールをのみながら昼食をとるともう3時を回っていた。そこで 急いでマッサージ屋にかえると、まだ洗濯物はできていないらしい。30分のマッサージをお願いしてその間にできていることをねがった。 今回のマッサージは肩と背中と腰を重点的にやってくれた。つかれが一気にとれる思いがした。階下に降りてみると、もう洗濯物は きちんと畳んでおいてあった。荷物の整理をして、短パンから長ズボンにはきかえて、旅行会社に向かった。4時きっかりにバスに乗り込み、空港に 向かう。

    空港でチェックインをしたあと、イギリスにいる友だちにかってきてくれと 頼まれたSINGHA BEERをかうことをかんがえた。DUTY FREE SHOPにいくと ないといわれたが、階下に小さなスーパーがあるからそこにいけばいいと いわれた。いってみるとそこはFAMILY MARTで店員のエプロン店内の様子も 日本と同じようだった。4本のビールを買い、むりやりバッグに詰め込んだ。

    さて、いよいよ搭乗である。GULF AIRとはいったいどんな航空会社なのだろうか。 日本に就航していないのでまったく聞いたこともない。イギリスの友だちがアフリカ出身の友だちに聞いたら、いい航空会社だという。実際に のってみると、機内はアイボリーホワイトを基調にしたいかにも 中近東っぽい塗装がしてあり、清潔である。機体も新しそうだ。とんだ後ででてきた食事もなかなかよく、なによりも座席が座り心地が いい。FLIGHT ATTENDANTSの服装も男性はグレーと黒のストライプのジャケット、女性は何だかよく分からない民族衣装でこれもまたいい。 何よりも雰囲気がエコノミークラスでもえらい人になったような気分にさせるような心地にさせる。すっかり気に入ってロンドンへの眠りについた。

  • Ko Samui, Thailand

      0 comments

    7時過ぎに眼が覚めた。シャワーを浴び、朝食をとりに浜辺のレストランに きてみる。今日は風と雲が多い。この文書を書きながら、紅茶とお粥の朝食をとる。AMERICAN BREAKFASTやCONTINENTAL BREAKFASTという メニューもあったが、これらをここまできてとるきにはならない。しかも100バーツ以上かかる。日本にいるときから、朝飯にご飯やお粥を食べる ことになれているので、自分は問題ないが、欧米人はやはり高くても自分たちの様式で朝食をとろうとする人が多いのだろうか。メニューには コーンフレークや、フレンチトースト、スクランブルエッグなど、欧米のホテルで出てきそうなものがある。

    食べ終わってからビーチに横たわりながらこれを書いている。 これはあたかもTHE NETで出てきた光景のようである。SANDRA BULLOCK が浜辺でPOWER BOOKをたたいていたシーンを思い出す。映画をみながら こんなことができたらなあとおもっていたことが、今現実になっている。おもわず電話回線はどこかと探したくなる気持ちが分かる。

    今、時刻は9時15分をまわったところである。だいぶ雲がなくなってきた。 風も穏やかになってきた。浜辺での人影もだいぶ増えてきた。青い空、白い雲、エメラルドグリーンの海、波の音、白い浜辺、 椰子の木など、本当に南国の楽園に来たという実感を改めてもつ。

    時々物売りの人々やマッサージのおばさんがやってくる。だいたいは NOといえば、立ち去っていくが、たまにしつこいのもいる。このマッサージおばさんもそうで、とてもしつこい。きのうからずーっと”YOU WANT MASSAGE?”と話しかけてくる。しつこいので余計やってもらう気になくなる。実際に45分で200バーツと、高い。

    午後二時にフェリーにのって、SURAT THANIにむかう。船は恐ろしいほど 込んでいる。でもなんとか座る席を探すことができた。となりにイギリスからきたという女性が座っていた。右手の中指の爪が半分かけていたので、 つめ切りで切って形を整えていたら、BODY SHOPでかったというローションをとりだし、これを塗れという。実際つけてから30分くらい経つが、 やわらかくなってきたきがする。この女性、自分が明日からイギリスにいくというと、いろいろとヨーロッパ旅行についてのアドバイスをしてくれた。いわく、 イギリスでは最低でも1週間いたほうがいい、そのあと、ロンドンからパリにEURO LINEで向かい、パリで2日ほど過ごせ、パリとロンドンでは ボートセイリングをするといい、ロンドンではVICTORIA STATIONで 一つの大きなチケットを買いそれでヨーロッパを電車でぶらぶらしたらいい、 飛行機はつまらんからつかうな、イギリスについたらTIME OUTという 新聞をかって、イギリス滞在中のスケジュールを決めるといいなどと、 教えてくれた。友だちがBISTOLにいて、彼の元を尋ねるのだというと、BRISTOLは小さくこじんまりとしていて、美しく、いいところだ。 みんなお互いのことを知っているなどと教えてくれた。彼女はイギリスのテレビ局で働いており、広告や番組の美術を担当、いろいろな 小道具を作っているのだという。クリスマス前はやたらと忙しかったが、1月2月は天候も悪く、急に暇ができる、そこでヨーロッパの人々は みんなほかの国に出かけるのだということを教えてくれた。イギリスでは各自最低5週間は休みをとらなければならないということも教えてくれた。 いろいろと面白い情報を伝えてくれたものである。

    船から降りて、バスでSURAT THANIのバス・ステーションに向かった。 みんなつかれているようで、たっている人も含めて寝ていた。SURAT THANI のバス・ステーションで次のバスを待っている間、食事をとり、何人かの 日本人と話した。どうもこの帰りのチケットを買ったときの料金が一致しない。自分の場合は300バーツだったが、400バーツ払ったという 人もいる。一方、行きのチケットは180バーツですんだというのだから、まったく分けが分からない。

    7:30にバンコク行きのバスにのって今日一日が終わった。

  • Ko Samui, Thailand

      0 comments

    7時過ぎに起きた。まずはNA THONGの港にある旅行会社の事務所に行って、 かばんをチェックしなければいけない。いってみるとあった!というわけで問題解決!タイの人々、本当にありがとう!その場で帰りの切符を予約 しようとした。カオサンロード出旅行会社の中国系のおじさんにいわれたときは、往復での料金だった。今もっている切符の半券を見せて、俺は往復の 料金を払ったといってもきいてくれない。ぼったくられたのだろうか?それともCHUMPONGでそのままバスにのり続けた人だけが帰りの切符を もらえたのだろうか。まあそれはともかくとして、明日土曜日の日程で帰りの切符を購入し、CHAWENGに戻った。戻ったあとは日焼けで一日をおえた。 実際に今日一日でかなり日焼けした。体中が痛い。焼きすぎたかもしれない。

    泊まっているところが、CHAWENG GARDENというところにある部屋で、前の ビーチにはトップレスの女性が何人かいた。ああいう姿で横たえられるのは、ヨーロッパの伝統なのだろうか。そうだとしたら、彼女らはどこの国の出身 なのだろうかなどと考えていた。

    しばらくシドニーシェルダンをよんで、ぼーっとしていると、HIといって、 昨日の例のドイツ人あらわれた。彼を最後にみたのはフェリーの中でだったが、まさかこんなところで会うとは思ってもみなかった。彼の名前はガリフとかなんとか いうらしい。とにかくGの音とRの音が聞こえた。さっそく彼にああいう風に寝そべっている女の子達がどこの国の出身かわかるかときいてみた。 3人で寝そべっていた女の子達をイギリス人といい、横に一人でいた女の子をフランス人かイギリス人かもしれないという。姿だけではおんなじ 白人でしかないので、こちらはまったく見当もつかない。しばらく後に自分が海で水浴びしているときに、横にいた女の子に話しかけた結果、彼女は オランダ人ということが分かった。

    夜、食事をとっていたら、柳生弘ににたおじさんに「日本人の方ですか」 と話しかけられた。このひと、何回もここと日本を往復していて、今回はもう滞在が3カ月ほどになるという。すっかり日焼けしていて、その姿は 現地のタイ人と見紛うほどである。おもしろいとおもった。

    部屋にかえってからしばらく寝た。起きたら11時になっていたので、 ちょっと辺りをうろついてみることにする。道路をしばらく歩いてみると、 JOH DAH BARという店が見えた。昼間、ガリフと寝そべっていると、 なんにんかのにいちゃんたちがとおりすがりにビラを置いていった。その中の一つがこの店のものだった。いってみればガリフがいるかも知れないと おもって、その浜辺のバーにいくと、BGMがガンガンなっていて、数組みのグループがゆったりと会話を楽しんでいた。ガリフの姿は見えない。 とりあえず席について、MARGARITAをたのんだ。星が美しく見え、波の音が心地好く聞こえる。海から吹いてくる風が焼き過ぎた肌を冷やしてくれるかの ようである。いい酔い加減になったところで部屋にかえることにした。

  • Koh Samui, Thailand

      0 comments

    7時にカオサンロードを出発したバスは、CHUMPHONで停車し、 KOH TAOにいく客を別のバスにのせる。これがややこしい。なんの説明もなく、行きなり自分の周りの乗客がぞろぞろと降りていき、 荷物をもって別のバスに乗り込んでいく。夜中の3時を過ぎていて、かなり眠いのだが、とりあえずこれについていかなくてはと思い、 バスを降りる。しかし自分のバッグが見つからない。バッグをおろしていた人に自分のバッグがないというと、何もいわずに指を差した、 とにかく指の向いているほうにあるバスに乗り込めというのだろうか。ぼーっとした頭でそのまま乗り込んだ。これがまずかった。

    そのバスはそのまま15分ほど走ったあと、港についた。比較的きれいな 英語でさあついたとか何とかいうのが聞こえた。そこでおりてみると、やはり自分の荷物がない。そこで今は果物を切って乗客にわたしている、 さっききれいな英語をしゃべった現地の女性にその旨を伝えると、これはKO TAOにいくための港で、あんたの荷物はKO SAMUI方面に 行っているはずだ、あんたはKO TAOにいきたいのかといわれた。冗談じゃない。荷物をほうって行きたいところと違う島へ行けるか! あくまでKO SAMUIに行きたいのだというと、この女性が今来たバスでとりあえずCHUMPHONGの駅まで自分を運んでくれるよう、手はずを ととのえてくれた。

    CHUMPHONGで職員のような人にことのいきさつを伝えると、電車で SURAT THANIにいきなさいといわれた。90バーツほどを出して、電車が来るのを待った。しかしなかなか電車はこない。切符をみると、 3:19分発で、5:55分にSURAT THANI着だということだ。しかし時計をみるともう4時半を過ぎていた。ようやく電車が来たのは5時5分前だった。 時刻表が全然役に立っていないようだ。

    電車にのるが、地理感覚も、時間感覚もまったくないので、電車が止まるたびに 近くの乗客にSURAT THANI?と尋ねてみた。しばらくすると、それをみかねた少年達が、ついたら教えてくれるようなことをいってくれた。ありがたい。

    実際この電車、夜行にもかかわらず、子供から年寄りまでさまざまな人が のっている。床に転がって寝てるおばさん、座席に寝てるおじさんや少年、座りながら寝てる軍服姿の若者、新聞を読んでいる人、本当にさまざまだ。 しばらくすわっていると、白人男性が声をかけてきた。英語の訛りでこいつはドイツ人かなと思って、WHERE ARE YOU FROM?とたずねると、GERMANYという 答えがかえってきた。彼の場合、寝台車を予約したのだが、駅員が間違えて一カ月先の日にちで予約してしまい、今日のベッドがすでに誰かによって 寝られてしまっているというのだ。これから自分はドイツにいくが、ブンデスリーガの試合はみられるかなどということをきいたりしていた。

    車中からやがて夜が明けていくのをうらめしくおもってみた。 あのままバスで寝てればこんな目に遭わなかった。お金も損をしなかった(たかが300円ほどではあるが)。ましてやあのかばんも戻ってこないかも しれない。物をとられたらまずいので、おちおち寝ることもできない。マイナスに考えれば考えるほどやなことが思い浮かぶ。 そこで夜が明けてすっかり明るくなった辺りを見回して、窓からの 光景を楽しむことにした。草木がうっそうと生い茂り、ときどき森林地帯のようなところも通る。水牛が水浴びしている。社会かなんかの教科書で 南の地方の人々の生活とか何とかいうタイトルで写真になっていそうな様子である。

    電車はやっと8時前にSURAT THANI駅についた。ここからバスにのって、 港に行くらしい。適当な係員にもっていたKO SAMUI行きのチケットを みせるとあのバスにのれと指を差される。のってみたが、なかなか 港につかない。地図でみたときは駅から海岸までそんなに通くないのになぜ?ひょっとしてまた間違えて今度はPHUKET行きのバスにのったかとおもい、 隣に座っていた日本人の学生みたいな人に確認してみた。結局バスは1時間半くらいかかって9時半に港についた。確かにKO SAMUI行きの フェリーの表示が見える。おお!やっとここまできたか!と少し感動したがそれもつかのま、すぐにそこら辺に立っていた係員の人に自分のバッグが どっかへいってしまったと伝える。すると、親切にどこかに連絡して別の誰かに名前とバッグの特徴を携帯電話を通して伝えられるようにしてくれた。 「明け方の眠いときにバスに乗り換えたりするから、こういうことはよくある」などといわれてなだめられた。するとあと数分でフェリーが出航するという。 やばい。とおもったら後ろからバイクにのった別の係員があらわれ、のせてくれた。さっきのバッグの手配をしてくれた、井原にちょっとだけにている にいちゃんは走ってフェリーまでむかっている。人々の親切のありがたさを感じたひとときだった。

    フェリーにのってみたら、なぜか日本語の標記がある。「非常出口」 「男子便所」などである。どうやら日本のフェリーのお古らしい。実際にタイにはたくさんの日本製品がみられる。車などは95%以上 は日本車と思われるくらいだ。このフェリーもそうした日本からの輸入品の一つらしい。

    フェリーがSAMUI島につくと、例の井原にいちゃんが、明日の朝あそこの 旅行会社の事務所にバッグがあるかどうか確認しにこいという。彼は、このあとCHAWENGの浜での宿探しにも辛抱強くつきあってくれた。 350バーツとここらへんではかなり安いほうの宿が見つかって、チェックインの手続きをしていると、別の二人の旅行者のための宿探しに出かけてしまった。 彼にこの場を借りて感謝したい。ありがとう!KHAWP KHUN KHA!

    さあいよいよビーチである。白い砂浜、エメラルドグリーンの海、そして青い空 が見事なグラデーションをつくっている。海に入って陸のほうをみると、バンガローと椰子の木と青い空、それに白い雲が絵にかいたようにはまっている。 とりあえずバッグがないことは忘れてここでの滞在を楽しもうと思った。

    思ったよりこのビーチ、日本人がみられなかった。それよりも圧倒的に ヨーロッパ人で占められているようだ。小麦色に日焼けした人々が砂浜に寝そべって、本を読んだり、ぼーっとしたりして、おもいのままに 時を過ごしている。トップレスでうろついている女性も若い人からおばさんまでいる。日が沈むまで自分も日光浴を楽しんだ。