「ギーク」すなわち IT オタクと、「スーツ」すなわち企業幹部などの経営戦略立案に携わる人との間の議論はいろいろとなされていますが、この両者を兼ね備えたような人材の育成について論じた文章が公開されています。
「ギーク・スーツ」の育成メカニズム
http://www.nri.co.jp/opinion/chitekishisan/2009/pdf/cs20090407.pdf
この文章自体は、主に教育機関と企業での人材育成制度やシステムについて述べていますが、なるほど、ギークとスーツについてこういった論じ方もあるのかと思いました。ただ、なんとなく生真面目で面白くない文章だと思いました。そもそもスーツを着た人々が「ギーク・スーツ」とかしこまって論じているからこうなるのかもしれません。
シリコンバレーに住んでいて思ったのは、エンジニアが非常に厚遇されているということです。自分の腕に自信のある人が集まり、彼らが面白いこと、関心のあることをとことん追求していくそのエネルギーは凄まじいもので、個々人のベクトルがスーツを着た人のうまい舵取りによって、その組織全体と強いてのコアコンピテンシーを確立していき、利益に結びつけていくと言うプロセスが、エンジニア、経営者、投資家、および彼らを取り巻く地域の人々によって見事に構成されています。エンジニアの意見がきちんと尊重され、それなりの待遇と報酬が与えられ、社会的地位と尊重も高いと感じました。
そのプロセスの中で、できるエンジニアはビジネスセンスを磨いていくし、優秀な経営者はオタクな知識も身につけていくということで、ギークとスーツの間の壁が非常に薄いと思います。つまり、お互いがプロフェッショナルの見地から、自らの足りない部分を求めあうという体勢が出来上がっています。自らの足りない部分はこのようにして人に頼ってもいいし、場合によっては学校で勉強し直しにいくと言うこともできます。
一方、日本の場合には、エンジニアの待遇が余りにも低いのには驚かされます。本文でもあるように、「きつい、きびしい、かえれない」という 3K 労働条件が有名になってしまっていますが、一方でこうしたエンジニアの舵取りを経営陣がうまくできていないということもあります。すなわち、なんでこんなところにリソースを注いで、誰も使わないような機能を必死になって実装するのだろうかと思うようなプロジェクトが実行されてしまったり、市場調査とマーケティングの機能をおざなりにするために、せっかくの技術が日の目を見ることなく世間から忘れ去られる運命に葬り去られてしまうということが多々あります。
日本に帰ってきて仕事をして一年以上経って、感じるのは、スーツを着た人々が実は大して仕事をしていないのではと言うことです。会議のための会議を開催したり、挨拶だけのためにわざわざ人にあったり、形式を整えるために書類を書き直したりと、なくてもいい仕事をやっている人が非常に多いのにはあきれる思いです。よりによって、こうした人々が、ギークを扱う立場にあったりして、その結果目もあてられないようなエンジニアの冷遇が出てきてしまうのかと感じるようになりました。
本論文で述べられている制度的な充実の必要性も重要だと思いますが、一方で、スーツな人々とギークな人々の間の現在のギャップに対する世間一般の認識、および両者の自らの仕事に対するプロフェッショナルとしての意識、さらにはスーツとギークの間の力関係の是正がなされないことには、「ギーク・スーツ」なる人々は生まれにくいのではと思います。