先日のニースでのフィギュアスケート世界選手権で、テレビ出演していたようです。
女子の演技で優勝したコストナー選手の採点が終わった直後に移ってました。終わりから7秒付近に見えます。
先日のニースでのフィギュアスケート世界選手権で、テレビ出演していたようです。
女子の演技で優勝したコストナー選手の採点が終わった直後に移ってました。終わりから7秒付近に見えます。
ニューヨーク・タイムズで、スポーツで優秀な成績を収めるようになった日本人女子選手のことが書かれています。
Japanese Women Kick and Punch Out a Space for Themselves in Sports
http://www.nytimes.com/2011/08/22/sports/japanese-women-kick-and-punch-out-a-space-for-themselves-in-sports.html?_r=1
先月ワールドカップで優勝したなでしこジャパンのことはもちろん、明日火曜日からパリで始まる世界柔道選手権大会のことにも触れられ、日本女子のメダルラッシュに沸くのではないかと期待されています。
記事にもあるように、1980年代は山口香さんの活躍が目覚ましく、漫画 YAWARA! の主人公のモデルにもなりました。その後その主人公モデルと田村亮子選手のイメージが重ねられ、田村選手が活躍し、谷選手になって出産を経てもメダルを取り続けていることも書かれており、現在では政治家として活躍しているということも触れられています。
また、卓球の愛ちゃんや、ゴルフの宮里藍選手のことも言及されています。
21世紀になってからのスポーツ界での女子選手の活躍は目覚ましいもので、オリンピックのメダルの数は、女子が46と、男子の37を上回っているということもこの記事で知りました。
また、日本人女性のスポーツ界での活躍ぶりについても、欧米で何冊かの本が出ているということも今回改めて認識しました。
個人的な感想ですが、仕事でも若い世代での女性の活躍が目立つように感じています。陰鬱とした日本の世の中を変えていくのは、こうした女性のパワーではないかとも思います。
すっかり世代交代が行われていることを象徴するかのような試合だった。昔からおなじみの選手である、中村俊輔は出ず、稲本は出場していたがきらりと光るプレイが特にあったわけでもなかった。後半になって、選手交替が進むにつれて、展開が面白くなってきた。中村憲剛がボランチでいい展開を見せていたし、今野の左サイドでのあがりもよかった。シュートを決めた本田も一本目のフリーキックはすばらしかったし、動きもよかった。
今回、森本のデビュー戦ということで初めて彼のプレイを見たのだが、非常に期待の持てる選手だと感じた。15歳でJリーグデビューという史上最年少記録を打ち立ててから、だいぶ時間が経っている気もするが、その間に十分に経験とトレーニングを積んできたのだろう。ゴール前で落ち着いてトラップして、180度反転してシュートするプレイは従来の日本人選手には見られなかった芸当で、そのボールタッチの柔らかさと冷静さは代表初プレイとは思えないくらいだった。さすがに世界最高峰のリーグで活躍するだけのことはある。
Jリーグができたおかげで、クラブチームのジュニアチームの活動が充実してきて、有能な選手が中学や高校の部活に所属するよりも、そういったクラブに所属することが多くなった。そのため、以前なら、高校サッカーで全国デビューして、名を知られるようになり、プロデビューするというのが多いパターンだったが、今では高校サッカー出身の代表選手が相対的に少なくなってきている。セルジオ越後氏は毎年高校サッカーがつまらなくなっていると嘆いているが、それは当然のことだろう。むしろ、有能な選手が若い頃から専門的な指導者と環境が整ったクラブチームに所属し、個人技術や戦術や考え方などを学んでいく方が、日本のサッカー界の底上げには望ましい。稲本選手や森本選手はそのもっとも成功した例ではないかと思う。
都内のプールに行くと、よく怒られる。あまりにもよく怒られるので、本が一冊書けるのではないかと思うくらいである。以下に今まで怒られた内容をまとめてみよう。
プールを、長方形に見立てたとき、通常は長いほうの辺が25mにあてられ、それに沿ってレーンが設定される。日本に帰国後、初めて都内のプールに入ろうと、真ん中のレーンからエントリーしようとしたら、監視員に怒られた。両端のレーンからしか入水できないのだそうだ。よく見ると、各レーンの飛び込み台の下に高さ20cmくらいの金属性の板が設置してあり、いかにもここから入るなという感じである。だが、簡単にまたげるので、ここから容易に入水できそうだし、むしろこの板が足をつっかえさせて、怪我をさせそうである。そうしたら、長方形の短辺からは入水できないと全面的に否定されるのだから、ぶったまげてしまった。
もう一年以上使っている水着を相変わらず使い続けて泳いでいた。だいぶ生地が薄くなっているのは気になっていたが、まだまだいけるだろうと思って使い続けていたら、「これでは透けて見えてしまうので、やめてください」と監視員に怒られた。サポーターをしているので、大丈夫だろうと思っていたのだが、それでもだめなようで、ちゃんと擦り切れかかったら新しいものを買わないといけないのだそうだ。
プールに入る際に、チケットを渡される。これに時間が書いてあって、どのくらいプールに滞在しているのかを監視しているらしく、チケットを帰り際に出し忘れると、怒られてしまう。1時間の利用と2時間の利用で料金が異なるから、チケットに打刻された時間でその人がどのくらい使用したかを計っているのだろうが、そういうことを監視する手間が面倒とか、コストがかかるとか言う発想はないのだろうか。そもそも出入り口のところに自動販売機でチケットを売っていて、その上でさらに監視員が一人時間をチェックするだけのために雇われているわけで、無駄が多い気がする。このチェックする人を雇わないで、使用した時間を気にしないというようにできないものだろうか。そうすれば紙を回収する手間も省けるはずだ。
日本のプールでは、なぜか強制的に1時間ごとに10分間の休憩を強制的に取らされ、この間全員が水に入っていてはいけない。(10年ほど前、相模原に住んでいたころ、何でこんな慣習があるのかとある監視員と責任者に聞いてみたが、帰ってきた答えは解せなかった) 監視員が笛を吹くまではプールサイドの水辺から十分離れたところにとどまっていなければならない。
あるとき、監視員が口に笛を加えたのを見て、足を水につけた。多分その1秒後くらいに笛が鳴った。まあこのくらいのタイミングなら、どうってことなかろうと思っていたら、監視員の一人がすぐさまやってきて、怒られた。必ず笛が鳴ってから出ないと入水してはいけないと、言われた。たかだか1秒だけでもこっぴどく注意されてしまう。
昨日、代々木のプールに行って、泳ぎ終わった後プールサイドでペットボトルの水を飲んだら怒られた。プールへ水を持ち込んだらいけないのだそうだ。水を飲むなら、出入り口付近にある備え付けの給水機から飲みなさいということだった。ついでに、ここでも帰り際にチケットを出し忘れて怒られた。
というわけで、運動してストレスを発散しようとしていくプールなのだが、上記のようにいろいろと細かいことで怒られると帰ってストレスがたまってしまう気がする。過去5年以上、住んでいたアメリカや、出張先のドイツでよくプールを利用していて、上記のようなことで怒られたことは一度もなかった。それが、日本に帰ってきて、4ヶ月の間に、こんなにも怒られてしまうと、なんだか自分がプールに行ってはいけない悪者になったような気さえする。しかも、ある一箇所ではなく、複数箇所でこのようなことが起きると、自分がブラックリストに乗っていて、あちこちのプールでの監視員が自分の行動を見張っているかのような気さえする。
まあこうした監視が厳しいからか、日本のプールはアメリカに比べて塩素の臭いが少ない割には透明度がよく、きれいである。そのことは大変高く評価できるのだが、一方でこのようにさまざまなことで注意を受けると、プールの水がきれいなことに対する快適さ以上に、ストレスを作る原因のほうが目に付いてしまう。
ここで突然だが、日本のサービスやソフトウェアがなぜ世界で通用しないかを考えてみた。ゲームやアニメは世界を席巻しているが、ビジネスソフトやサービスで世界に広がっているものはほとんど思いつかない。こじ付けみたいに思われるかもしれないが、これは上記のようなサービス提供側の「ユーザーの行動を提供側の想定範囲内に押さえ込む」という社会習慣に根ざしているのではという気がする。すなわち、ある施設やサービスや装置や器具を使うとき、ユーザー側は提供側の考えたシナリオでしか使ってはいけないのであり、そのシナリオから外れたことをしようとすると、エラーとなったり、怒られたり、特別扱いになったりするという習慣である。よくあることだが、「これはおまじいだと思ってやってね」という言い方があるが、これは日本でなら通じるやり方だが、日本国外では通じない考え方である。歴史や背景や思想や言語が異なる人々が集まったら、その場その場で提供者側の定めたルールを伝えなければならないし、場合によっては「おまじない」という考えをつたえるだけで、かなりの労力を要求されるだろう。
こうした「おまじない」敵考え方に慣れてしまうと、ユーザー側や実行者側いろいろな場面で何も考えずに決められたことをやりさえすればいいという態度ができてしまうし、サービス提供側や管理側は、ユーザーや実行者が自分たちの想定したシナリオ内でしか行動できないようにするというマニュアルを考えてしまう。日本のサービスやソフトウェアが弱いのは、使う上での前提となる条件やシナリオに多様性がなく、限定的なためにちょっとでも外れたことをしようとすると破綻をきたすという仕組みがあるからではないかという気がする。
コンビニなどの店員の対応を見て、マニュアル人間が多くなったと嘆く大人がけっこういるが、実はその原因を作ったのはほかならぬ自分たちではないだろうか。ひとつの目的を達成するのに、さまざまなやり方があっていいはずなのだが、いつの間にかそのやり方の幅が狭まってきているようで、それがために窮屈な社会ができつつあるのかもしれない。
いつものように夕方に近くの 24 Hour Fitness に行ってみたら、驚くほど人が少なかった。まるで開店して間もない10月頃に初めて来たときのような人の少なさだった。いつもなら何人か使っているジャグジーもがら空きで、プールエリアに3人泳いでいるだけである。自分も最初は別な人と共有で一レーンを使っていたが、途中から自分一人で一レーンをつかうことができた。最近ジムに多くの人が来るようになっているので、自分一人で一レーンを使えることはありがたい。
プールから出ると、スーパーボウルが終わる30秒前だった。まあ 24 Hour Fitness で鍛えるような人々は、友達や家族とともにスーパーボウルをみるのが好きな人たちなのだろう。器具を使っている人も驚くほど少なかったのは、スーパーボウルのせいだということがよくわかる。最後の30秒間をみてみたが、Arizona が頑張って逆転を狙おうとしていたものの、最後に Pittsburgh に阻まれていた。
なにげなくネットのニュースを見ていたら、次の記事を見つけた。
ゲブレシラシエが世界新=史上初の2時間3分台突入-マラソン
http://www.jiji.com/jc/c?g=spo_30&k=2008092800257&j1
子供のころは、2時間10分を切るのがよいとされていて、瀬古俊彦や宗兄弟が2時間9分台や8分台を出すと心ときめいたものだが、時代はすでに2時間3分台に突入してしまった。
あと少したつと、42.195 km を2時間をきって走る選手が出る時代も来るのだろうか。