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Archive for the Category "Scuba Diving"

タオ島でのダイビングとゴマモンガラの襲撃〜タイ七日目 7月 08

昨日一日ゆっくりしたお陰で、腹の痛みもなくなり、体力も回復しました。そこでダイビングを再び行うことにしました。朝食をとったあと、7時10分に迎えにきた車に乗り、途中のホテルに寄り、他の日本人の人々4人を拾いました。彼らと一緒にタオ島に行くのかと思ったら、フェリーで彼らは行くということで、港で我々二人を残して4人とも降りていき、我々はおとといと同じ船着き場に行きました。

案内された船に乗り込むと、今日のガイドであるあやこさんという人が挨拶にこられました。「昨日と同じボートですよね」と言われるので、よく見てみるとこの前は左側にあったトイレが右側にあり、この前はヤマハのエンジンだったのが今日はホンダのエンジンになっており、いろいろとちがうところがあります。「この前と違います」と言うと、「あれ、この船に乗って Sail Rock に行ったと聞いているのだけどな」と言うので、「さて本当に大丈夫なサービスなのだろうか」と少しだけ心配になりました。

船には日本人は我々夫婦とガイドのあやこさんの三人だけで、あとはヨーロッパおよびオーストラリアからの人々で総勢20名以上が乗り込んでいました。


スピードボートで一時間半ほど移動して、タオ島につくと、どこかのアミューズメントパークか何かのアトラクションのセットみたいな入り江に船が止まり、しばしその光景に見とれました。ここに停泊して、一本目を潜ります。


ポイント名は、マンゴーベイといい、その名の通り、周囲のマンゴーの木からの由来だそうです。エントリー方法はビーチからで、過去数年間ボートエントリーだった自分にとって、ビーチエントリーは何年かぶりでした。


ビーチエントリーで問題となるのは浮力のコントロールです。自分が20本に満たない頃は、水深1メートルから2メートルくらいが実に難しく、すぐに浮いては誰かに引っ張ってもらうということをしていました。まだ経験本数が20本に満たない妻が浮いてしまわないか心配でしたが、心配無用でした。すぐに水深4メートルくらいのところまで、問題なくたどり着くことができました。


このポイントは比較的透明度がよく、サンゴや魚の種類も多くて、沖縄の海を彷彿とさせます。ヒメスズメダイや、タイワンカマスの群れや、ゴマアイゴ、ヒメアイゴなどを見て入り江の口まで移動しました。


すると、なにやら船の陰のようなものが現れました。親と思ってよく耳を澄ませてもエンジン音は聞こえてきません。しばらくしてその陰がホソヒラアジの大群であることがわかりました。おそらく数千に上る群れが、大群をなして陰を作っていました。これには圧巻され、しばし写真を撮り続けました。


ほかに見えた魚としては、ツキチョウチョウウオ、ヨメヒメジ、ホシカザリハゼなどでした。結局最大水深は 7.3 メートルで、潜水時間は36分、タンク内の残圧も 130 bar と、オープンウォーター取り立ての人みたいなダイビングでしたが、ビーチに上がった後身体への負担が軽いことがわかり、非常に楽で楽しいダイビングでした。妻もこのダイビングが今までの中で一番楽しかったと喜んでいました。


ビーチに戻った後、しばらく沖合に行ってしまった船を待っていました。その間、浜辺で蝶の大群と戯れて遊んでいました。南の島の浜辺で蝶がこのようにひらひらと大量に舞う姿はなんだか幻想的でした。


二本目はお昼ご飯を食べた後、Twin Rocks というポイントで行いました。ここは砂地が多く、ハゼが大量に見られるポイントだということです。


エントリー後、まずゴマモンガラが現れました。このあたりのゴマモンガラは危険だというので、うわーこいつからは逃げないとと思っていると、フィンに思いっきりがつんとゴマモンガラがアタックしてきました。幸い、フィンに衝撃を受けただけで、何の被害もなかったのでそのままガイドのあやこさんについて行きました。


ゴマモンガラから逃げた後、砂地に入り、ハゼのオンパレードです。コガネハゼ、ギンガハゼ、ダテハゼなどが、テッポウエビと共生しているのが見られます。すでに推進は10メートルくらいになっており、一本目に比べて二本目を深く潜るというのは、減圧症をやっている自分の身体にはよくないので、深度に注意しながら砂地に着底し、写真を撮りました。


その途中、トウアカクマノミが生息する場所も通りました。昔だったらトウアカクマノミなどは大して珍しくもないと思ったのですが、今では重宝がられて、彼らの住むイソギンチャクから半径2メートルくらいが石で囲われており、ここに入るなというがごとく、保護されています。


しばらく移動すると、オブジェのようなものが出てきました。イグアナや、タコ、カメが見られます。カメの甲羅には “KAMEZO” と書かれており、明らかに日本人が加わっていることが予想できます。また、ダイバーがちょうどくぐり抜けられやすいような輪も設置してあり、浮力コントロールのための練習の場所として利用されているポイントのようです。

枝サンゴが見事に群生している場所を過ぎると、いよいよ今回のダイビングも終わりです。とおもったところ、またもやゴマモンガラが現れました。今回は妻とガイドのあやこさんにアタックしてきました。あやこさんがスレートに「血出てない?」と書いて、彼女の額のところの確認を求めてきたので、ちょっと確認してみると、出ていないように思えました。出ていてもすぐに水で流れてしまうので、判定はできないですが、だらだらと血が流れているわけではなさそうなので、とりあえず OK サインを出しておきました。


エギジット後、皆の無事を確認し合うと、妻は足に傷跡が、あやこさんはおでこに傷跡が生々しく残っており、ゴマモンガラの強襲のすさまじさを物語っています。妻はウェットスーツが5ミリですが、それでも血がにじみ出ています。彼女はかまれた後しばらくは何が起きたかわからず、ショックだったと話してくれました。

ガイドのあやこさんの傷も生々しかったですが、本人は割とケロッとしており、消毒して放っておけばいいというようなノリです。自分のことよりも妻のことを気にしてくれ、帰り際にショップに立ち寄り、消毒剤を幹部にあててくれ、島の水道水はそれほどしんらいできないので、水道の水で洗った後、ペットボトルの飲み水で幹部を洗った方がよいと教えてくれました。


ホテルに帰って、シャワーを浴びた後、しばらく一眠りして休憩した後、日が暮れる前に夕食を食べに行こうということになり、ちょっと調べた後、ボプットビーチ (Bophut Beach) にある Villa Bianca というイタリアンレストランに行くことにしました。ほとんど日本やアメリカで食べる値段と変わらない価格帯でしたが、本格的なイタリア料理を食べることができました。連日の脂っこくて辛いタイ料理からちょっと休憩して、あまり脂っこくないものを食べたかったのですが、そういう意味でも、特にピザがよかったです。ベースの組み合わせに、自分たちの気に入ったトッピングを乗っけてもらうのですが、薄いベースはかりっとしていて胃に負担がこなくて、またトッピングの素材もよく、非常においしくいただけました。


その後デザートにアイスクリームを食べて、ホテルに帰りました。

セイル・ロックでのダイビング〜タイ五日目 7月 06

朝食は7時からだったのですが、ダイビングサービスが7時20分にくるということで、今日もフライング気味に10分前くらいから食べ始め、食べ終わってから迎えにきた車に乗り込みました。


港に着くと、日本人ガイドが二人ほどいて、あとはイギリス人やオーストラリア人を中心に、多国籍な雰囲気を醸し出していました。しのぶさんという方が挨拶に来られ、今日のガイドをしてくださるということです。妻は潜降が難しく、自分は減圧症発病後初めてのダイビングで不安があるということを述べると、しのぶさんは、最大水深を20mにして、ゆっくりとダイビングしようと提案してくれました。


船に乗り込み、スピードボートでセイル・ロック (Sail Rock) というポイントまで、1時間弱で行きました。ここで日本潜ったあと、昼ご飯を食べるということです。ブリーフィング時の注意点としては、

  • ウニのトゲに注意。
  • ゴマモンガラが大型で凶暴なので、特別に警戒を要する。ゴマモンガラ (Trigger Fish) を見たら、手でトリガーの形を作って警告するので、逃げるべきとのこと。
  • 毒を持ったオコゼが岩と同化した色でたたずんでいることがあるので、岩を触るときは注意すること。

といったことが指摘されました。


一本目は半時計回りにセイル・ロックの周りを回りました。潜降後、洞窟をくぐり抜け、しばらくは透明度の悪い状態が続きましたが 、入水したところを6時とすると、ちょうど12時のところに来たくらいで透明度が良くなり、魚影も濃くなりました。クマザサハナムロ、タカサゴ、ユメウメイロ、ツバメウオ、ギンガメアジ、ホソカマスなどの群れが充実しています。また、ハナビラクマノミやツキチョウチョウウオ、ヒメアイゴ、オニハタタテダイなども見られました。


一本目を終えて、船の上で水面休息していると、横揺れが激しく、このために妻が酔ってしまいました。大体こういうときは、自分の経験から言うと水中に入ってしまった方が酔いが収まるので、エントリーを勧めましたが、船尾からエントリーしたあと、船の先にあるロープにたどり着くまでの水面移動で断念し、彼女は今回は潜らないことにしました。


潜降後、今度は時計回りにぐるりと岩を回りました。一本目に見た魚以外にも、ウツボの幼魚、ヒメアイゴ、カニ、ハリセンボンなどを見ました。

二本目を終えたあと、船上で昼食となりました。昼食はチキンカレーと骨つきチキンです。妻は気持ち悪そうに船で寝ており、結局昼食はとりませんでした。これがあとで運命の分かれ道となりました。


スピードボートで1時間弱で船着き場に戻り、朝集合した場所に戻ると、急に腹の調子が悪くなってきました。トイレに駆け込むと、下痢をしていることがわかりました。そういえば何となく気になっていた腹部の周りの痛みをこの頃から自覚するようになりました。

ホテルに帰ってから、シャワーを浴び、しばらく寝てみましたが、どうも腹の調子はよくありません。再びトイレに駆け込み、お腹の中のものを出しておきました。しかしそうはいっても腹は減るもので、フロントで何かおすすめの料理はこの近くにないかと尋ねると、近くに安くてうまいタイ料理屋があるということでした。

歩いても行ける距離だということなのですが、この頃までにすっかり体力を消耗しており、まだ太陽が明るく照りつける中、どうも歩きにはならず、ピックアップトラックを改造したタクシーに乗り込みました。ところが、このタクシー、直接目的地には行かず、チャウエンビーチを通り、ぐるりと遠回りをしてようやく目的地のタイ料理屋に到着しました。(その後の調べでわかったのですが、どうやらこれ、島の各地を巡回しているバスなんですね)


タイ料理屋に着いたものの、どうもここで食べる気が起こりません。ただでさえ、連日脂っこくて香辛料の利いた料理を食べていて、今になって腹を壊しているところへ、さらに脂っこいタイ料理をなんとなく嫌な予感がするレストランで食べることは、いくら人の進めとはいえ、抵抗があります。ホテルに帰る道すがらもし何か見つかったらそこへ入ろうと思っていると、Krua F. B. という、タイ料理とヨーロッパ料理の両方を出すという店がありました。ここでスパゲティーを食べ、空腹をしのぎました。

帰りがけ、虫除けスプレーを買いに薬局に立ち寄り、ついでに腹が痛くて下痢をしている旨を告げてみました。すると、何か食べた表紙に変なウイルスかなにかに伝染したのに違いないと、教えてくれ、下痢を止める薬と感染した菌を殺す薬をくれました。その上で、鶏肉と魚とオレンジジュースと牛乳はとらない方がよいとアドバイスしてくれたので、しばらくは薬を飲んで彼の指示に従い、安静にすることにしました。ホテルに帰り、シャワーを浴びてさっさと就寝することにしました。

サムイ島への移動〜タイ四日目 7月 05


今日のメインイベントは、サムイ島への移動です。朝6時から朝食のところを、フライング気味に5時50分頃から食べ始め、チェックアウトを済ませたあと、6時20分にホテルを出ました。順調に行けば、7時前には空港につくはずです。ホテルのドアマンが、ハイウェイを使っていいかと尋ねたので、もちろんだといい、タクシーの運転手にその旨を告げてもらいました。

ところが、タクシーはいつまでも下道を走り続けます。最初はハイウェイが混んでいるからわざと下を通っているのかとも思いましたが、どうもそうでもないようなので、6時40分くらいにハイウェイに乗って、すぐに空港につくようにしてくれとお願いしたところ、近くのインターから乗り、7時に空港についてタクシーから降りることができました。

今回利用するのは、Bangkok Airways で、現地の人の評価は非常に高いということで楽しみにしていました。チェックインすると、ゲートの前にラウンジがあるので使っていいよといわれたので、マイレージ会員のエリートクラスでなくてもラウンジを使わせてくれるとはこれはかなり期待ができると思いました。


チェックインをしてセキュリティーを通り抜けて、トイレによったりしながらゲート前までくると、もう7時半を過ぎていました。7時45分には搭乗開始となるので、わずかな時間しかラウンジが使えませんが、広々とした空間に座り心地のよいソファーがしつらえており、食べ物や飲み物も充実しており、とても居心地のよいラウンジでした。Bangkok Airways は、「アジアのブティック航空」と唄っているだけあって、このあたりの充実ぶりは評価できます。


飛行機自体の塗装もしゃれていて、妻がしきりに「かわいい」とほめていました。エアバスの A319 の機体の中は一律エコノミークラスでしたが、座席一つ一つはそんなに狭くもなく、また短時間のフライトであるにもかかわらずサンドイッチがでてきて、とても快適な空の旅が楽しめました。


サムイ空港に到着すると、南国特有の熱気が漂ってきました。飛行機を降りてから到着ゲートまでは、ユニバーサルスタジオなどで見られるトラムに乗っていきます。これがまた遊園地に来たときのような楽しい気分にさせてくれます。ターミナルビルというものはなく、コテージみたいな建物がいくつか連なった感じになっています。トイレには水槽まで設置されているのにはびっくりしました。


空港から、予約してあるホテルまではタクシーで5分ほどで着きました。ここは Tango Beach Resort というホテルで、島の観光客が最もにぎわうチャウエンビーチの北部にあります。チェックインするときに、ここのビーチよりも南の方にある Public Beach の方がいいよ、行くのだったらホテルの車で送迎してあげるよということなので、さっそく荷物を整理したあと、お願いすることにしました。


チェックイン時に Public Beach までは、歩いて20分くらいだといわれましたが、実際には車で15分くらいかかっていました。炎天下の中で歩くともっと時間がかかるに違いありません。ビーチ自体は広々と延々と広がっていて、なるほど、フロントの人がすすめてくれただけのことはあります。


お昼時でちょうどおなかもすいてきたので食事をとることにしました。ちょっと歩いてビーチ沿いの何件かのレストランを見て値段の相場を見極めたあと、最初のレストランにすることにし、パッドタイや春巻き、それにかにチャーハンを食べました。ビーチ沿いで海を見ながらの食事は本当に気持ちがいいものです。


12年前に来たときには3月ということで、ヨーロッパから多くの人々が寒さを逃れてこの地を訪れ、ビーチがやたらと混んでいましたが、今回は人影もまばらです。シーズンが違うからか、この前の暴動のせいなのかはわかりませんが、以前来たときよりも遥かに人の数は減っていると思いました。また、以前来たときはそこら中にトップレスの人々がいたものですが、今回はほとんど皆無だったことも様子が違うなあと思わせる点でした。ビーチを歩きながら、ココナッツドリンクを買って飲みましたが、やはりトウモロコシみたいな味がして、今までのココナッツ味というのは一体なんだったのだろうかという疑念に再び駆られました。レストランの前にあったビーチパラソルつきの椅子に腰掛け、トウモロコシを食べながらしばらく寝そべってくつろぎました。


荷物整理をしているときに、マスクとシュノーケルを忘れたことに気づきました。おそらく最後にアワビとりにいったときに別のバッグに入れて以来、そのままにしておき、忘れているのに違いありません。これから数日間ダイビングをしてマスクとシュノーケルをレンタルするとおそらく買うよりも高くなるだろうし、そもそも自分の顔面に合わないものをつけるのはよくないと思い、チャウエンビーチ沿いの適当なダイブショップで買うことにしました。

一件目に行ったところでは、一点しかなく、試着してみたところマスクのスカート部分がちっとも顔面に合わず、これを買う気にはなりませんでした。二件目に Planet Scuba という店を見つけ、行ってみるとさっき買わなかったのが正解だといわんばかりにたくさんのマスクがそろえられており、多数のマスクを試着した上で、自分の顔面に合うマスクを買うことができました。シュノーケルは、形状を見ながら一番水が入ってこなさそうなものを選びました。


ホテルに帰ってから、ホテル内のプールで身体の火照りをさまし、その後ホテル内のレストランで夕食をとったあと、マッサージをうけて、寝ました。

バヌアツ 7月 13

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昨日、青山の Fiat Caffe にて、南太平洋に浮かぶ島、バヌアツに関する PR パーティーがあったので、いってみた。
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2006年にイギリスの BBC が、「世界で一番幸せな国」に認定して以来、訪問者がうなぎ上りだという。

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スキューバダイビングをする自分としては、オーストラリアの東隣に位置するこの島国が急に魅力的に思えてきた。スライドショーで海の様子を見たが、とにかく透明度が抜群である。そんな海水の中で、サンゴの種類が豊富に育ち、サンゴの周りに群れる魚たちと動物たちが生態系を織りなし、美しい海中世界を繰り広げている。ジュゴンともあえることがあるらしい。

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陸上の生活も魅力的である。訪問した人々の話によると、政府が農薬や化学肥料の使用を禁じており、島で育つ農作物はすべて有機栽培だという。実際畑を見た人によれば、彼らは区画ごとに植える作物を決めておらず、畑に何でもかんでも適当に育てているらしい。害虫駆除は、ばらまけば勝手にやってくれるという草にゆだねているということだ。だが、このやりかたは同じ区画に同じ作物をずっと育て続けると土がやせてしまうという話からすれば、じつに理にかなっている。

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実際、ここで育つ作物を食べているためか、旅行者は一週間も滞在すれば病気が治って元気になってかえっていくという。まあ「世界一幸せ」というだけあって、人々も優しく親切で、その心遣いが心と体の調子を良くしてくれるのかもしれない。

今のところ、バヌアツに行くにはニューカレドニア経由か、オーストラリア経由しかないらしい。しかし直線距離では実はハワイよりも近いということで、直行便のサービスが始まることが期待されている。

こういう観光地に飛ばす飛行機としては、ボーイングが開発中の機体である 787 がまさにうってつけであるが、開発が遅れているので実際に飛ぶことはずいぶん先の話になるだろう。また、成田空港の発着枠に関してもずいぶん込み合っているので、現実的にはバヌアツまでの直行便というのはずいぶん先の話になってしまうかもしれない。

しかしいずれ機会があれば是非訪問してみたい国である。

コズメル12日目 7月 28

朝起きて、再び腕のだるさを感じた。最初は減圧症を患ったときのようなだるさとしびれかと思ったが、目が覚めていくうちにだんだんとそれがやはり昨日感じたのと同じような、筋トレをした後のような感覚に近いということに気づいた。しかし、連日こういう感覚を覚えるのは気分のいいものではない。深呼吸してもう一度寝てみたら、今度はその感覚もなくなった。

昨日の晩、エルネストが届けてくれた診断書を確認してみたら、いくつかまだ間違いが見られた。同時に、とても暖かいメッセージが添えられており、非常に感動的だった。こういうの早いほうがよいと思い、彼が書き置きしてくれたメールアドレスにその点を報告しておいた。

Chedraui で調達したパンと果物を食べ、荷造りをしてから、ふと空港に行く道すがら、病院に立ち寄り、エルネストか Padilla 先生か、誰かに直接直してもらった方がよいのではと考えた。ホテルのロビーまで思い荷物を文字通り背負って引きずりながら運び、チェックアウトをしてタクシーに乗り、病院へと向かった。

病院では、Padilla 先生がちょうどいたので、彼女に診断書を修正してもらい、サインももらった。そのついでに、朝起きた後、腕がちょうど筋肉痛から回復するような感覚になると告げたところ、腕を下にして寝るなどして、血流が悪くなると酸素の供給が悪くなり、そういう感覚 (sensation) を感じることがあると言われた。実際、 さっき荷物を背負っていたからか、今ちょうど腕に朝起きたときとにたような感覚があるのを自覚した。血流に影響するので、バックパックなど、方に背負うものはやめた方がいい、しかしこれによって、直後のフライトをキャンセルするようなものではないという確認をもらって、すっかり安心した。

空港に行き、荷物を預けたあと、機内に乗り込んだ。離陸してからしばらくの間、気圧の低下による体への影響はあるかどうか心配だったが、特に何の影響もなかった。2時間のフライトにも関わらず、サンドイッチが振る舞われたのには驚いた。しかしあまりおいしくなく、空港で買っておいたチキンバーガーを食べた。

ヒューストン空港に何事もなく着き、一安心した。減圧症にかかったという時点で、まともに飛行機に乗れるかが懸念事項だったので、まずは最初のフライトを無事に終えることができて、一安心である。どうせフライトはアメリカ人ばかりだから、アメリカ入国審査はすぐに終わるだろうと思っていたら、まちがっていた。ヨーロッパやほかの国々から来た人々で、非常に混雑しており、結局入国審査が終わるのに1時間以上かかった。

いったん荷物をすべて受け取り、税関を通った後、また荷物を預け、再びセキュリティーチェックである。ここでも多数の人々が並んでいて、げんなりした。次のフライトまで全部で3時間の空き時間があるおかげで、焦らずにすんだが、次のフライトまで時間のない人々には、本当に気の毒になってくる。

セキュリティーを通って一安心すると、おなかがすいてきたので、ゲートに行く途中、Panda Express にて、食事した。ここは学生時代によくお世話になった中華のファーストフードだが、こういうテキサスのど真ん中の空港では非常にありがたい存在である。

定刻通りにサンフランシスコに向かう便が出発し、ほどなくして飲み物とピザが振る舞われた。客に対する客室乗務員の態度も非常によかった。さらにうれしかったのは、エコノミークラスにも関わらず、座席に電源が備わっていたことだ。機体が 737-900 と、最近のモデルだったということもあるだろうが、コンチネンタルのサービスには非常にいい印象を受けた。

サンフランシスコ空港に着き、頼んでおいたリムジンサービスの Bose に拾ってもらい、家まで送り届けてもらった。久しぶりに走る 101 を見ると、ようやくかえってきたという気がした。

コズメル11日目 7月 27

朝起きたら、どうも腕全体が重苦しく、不安になった。身支度を整えてしばらくすると、重苦しさが無くなってきたが、なんだか腕の中からじわーっと熱くなったような感じである。昨日感じた身体全体のだるさはなくなっているが、とにかく腕全体がちょうど筋肉痛のときから回復するときのような、じわーっとほてった感覚がある。しかししばらくするとこの感覚もなくなってきたので、気にしないで様子をみることにした。

Chankanaab 国立公園


10時に Chankanaab 国立公園での Dolphin Swimming を予約していたので、9時半にタクシーに乗っていってみた。3分も経たないうちに着いたが、$5 もとられた。どうも施設が立派で、客の数の割には職員の数が多いなと感じながら、入場券を買うためにチケット売り場に行くと、二人で $34 となった。ずいぶん高い気がしたが、なかなかできる体験ではないので、よかろうと思い、中に入った。


Dolphin Swimming は、飼いならされたイルカたちと、観光客が一緒に泳いだり、ダンスしたりできるというものである。係の人から触っていいところといけないところなどの説明をうけた。彼らによると、生まれてから3ヶ月ほどの乳飲み子の間はトレーニングができないが、乳離れがすぎたあたりからトレーニングを開始し、一人前に客前に出るようになるには1年以上かかるのだという。

妻がイルカと戯れている姿を撮ろうと、彼女についていったら、ある地点から立ち入り禁止となってしまった。彼女にカメラマンとビデオ撮影クルーがついていった。精一杯カメラをズームしても彼女がイルカと遊んでいる姿は点にしか見えない。あとで写真とビデオを高い値段で売ってくるに違いないと思っていたら、セットで $55 という値段だった。せっかくなので、買うことにしたが、ビデオはあの短時間でよくここまでというほど、きっちりと編集されていた。Dolphin Swimming 終了後、10 分後にはもう撮影後のビデオが見られたのにはびっくりした。

Dolphin Swimming 自体は、3手に分かれて、妻は静止しながらイルカと戯れるものだった。イルカが彼女の前を横切ったり、一緒にダンスしたり、彼女の合図にあわせてピーピー泣いたりするものだった。別のグループでは、両足を二匹のイルカが支えて、水面をたったまま移動するものや、イルカと一緒に文字通り泳ぐものもあった。
Dolphin Swimming のあと、高い入場料を払ったのだからと、園内をぶらついてみようと思った。しかし暑い日差しに体が弱りやすくなっている上、確保していた水もなくなったので、いったんホテルに帰ることにした。

San Miguel ダウンタウン

ホテルに帰った後、昨日修正箇所を発見した診断書を持って、病院に行った。到着すると、多くのアメリカ人たちが病院を取り巻いていた。中に入ると、エルネストが忙しそうに多数のアメリカ人を相手にしていた。どうもタイミングが悪かったらしく、いつも丁寧に対応してくれる彼もこのときばかりは “I am super busy” と言うくらい本当に忙しそうだった。一つ一つの間違いをざっと確認した後、今日の午後にまたきてくれればそのときまでに修正しておくということだった。

そろそろお昼時なので、ダウンタウンの中で昼食をとることにした。しかし日曜日だけはクルーズ船が寄港しない日ということで、ダウンタウン内の店やレストランが軒並み閉まっている。時計台のある広場の周りにいくつかの店があり、客引きをしていたので、一番客引きが少ない店に入ったら、そこが Dive House ダウンタウン店の真横だった。おなじみの顔をしたスタッフが入れ替わり出入りしているなと思っていたら、けいこさんが現れた。とりあえず治療からは解放されて、現状はよくなっているということを告げると、彼女も安心したといってくれ、「これからもダイビングを続けてくださいね」と励ましの言葉を投げかけてくれた。その後、出された料理もなかなかおいしかった。ソースの味がとても良く、このような絶妙なソースの味わいを出すメキシコ料理はアメリカではなかなか味わえないと思った。

その後、海岸沿いの道を歩いていると、昨日「タクシーで2時間半の島一周ツアーをやってあげるよ」と誘ってきたにいちゃんに出会った。実はちょうど島の反対側にいってみたいと、彼を捜していたところだったので、ちょうど良いと思い、彼にわかりやすい英語を話すタクシーの運転手を探してもらい、探し出してきた彼にツアーを頼んだ。

島一周ツアー


島の東側は、自然にできた砂浜がいくつかあり、地元の人たちでにぎわっていた。時折ライフルを持った兵士や警官がおり、物々しい雰囲気を醸し出していたが、運転手によると、彼らは夕方以降、人が立ち寄らないように見張りをするのだそうだ。ちょうど5月から8月は、カメの産卵の時期であるので、夕方から朝にかけては、いっさいの人の出入りを禁じているのだそうだ。このような厳格な取り決めをしっかりと施行して、自然を守ろうとするコズメルの人々の思いには本当に敬服する気がした。

東側の波は、海が静かな状態であったにもかかわらず、結構高かった。荒れているときには、8〜9m にも達するということだった。海の透明度は抜群で、白い砂地をこの水が覆うと、エメラルドグリーンの非常に美しい光を放っている。妻が入ってみたいとしきりにつぶやいていたので、入ってみたらと提案すると、タオルを持ってこなかったので、止めておくという。自分も減圧症を患っていなかったら、ぜひ入ってシュノーケルを楽しみたい海だったが、どうも今は、強い日差しにちょっとの時間でもあたると、えらい疲れる気がして、なかなかそういう気にもなれなかった。

いくつかのビーチに止まってもらった後、島の南部にある El Cedral というマヤの遺跡に連れて行ってもらった。ここは毎年5月にお祭りが開かれる場所で、いってみるとカトリックの教会がでーんと建っていた。その横にどことなく申し訳なさそうに、半分崩れたような小さなマヤの遺跡があった。午前中に Chankanaab 国立公園の中をうろついたときに、マヤの遺跡のレプリカを並べたところを通っていたので、「ああこれか」と思える建物の形を認識することができたが、注意しなかったら、見過ごして通り過ぎてしまうようであった。まあ小さいからしょうがないのかもしれないが、今回いけなかった Chichen Itza の遺跡がみられなかったことが本当に悔やまれる。

ダウンタウンに戻り、病院前でおろしてもらい、ツアー料として $70 を運転手に払った。その後病院に入ると、エルネストがまだ診断書の修正を終えていないということで、申し訳なさそうな顔をしていた。彼がものすごく忙しそうだということは、よくわかるので、立場を理解すると言うと、今晩のうちに修正して、ホテルまで届けてくれるという。本当に彼にはありがたい気持ちでいっぱいになる。

Chedraui

病院から、Chedraui まで歩いていき、明日の分の食料を調達した。そのあとで、昨日いった La Isla に妻もいきたいというので、二人でいき、一緒に食事した。昨日自分が注文した6番のセットに彼女も感激し、おいしそうに味わっていた。自分は今度は1番のセットを $6 で食べてみたが、こちらは三つのタコスが豆のスープと、グアカモーレおよびチップのセットと一緒になって出された。これもまた非常においしく、とくにグアカモーレのアボカドとライムがうまく絡んだペーストが、タコスと組み合わせると大変絶妙な味わいとなる。昨日と同じパターンで、アイスクリームを楽しんだ後、ホテルに戻った。

ホテルのプールで夕方、軽く水浴びをした後、シャワーを浴びて寝た。ちょうど寝入った11時頃にホテルのフロントから電話があり、届け物があるので、今からくるという。妻が対応してくれて、届けられたものはエルネストからの診断書だった。本当に彼のまじめな仕事ぶりと、約束を果たす義理には頭が下がる。もっとも、まちがいがなければここまで面倒なことにはならないのだろうが、彼の忙しさからすると本当に気の毒になってくる。

コズメル10日目 7月 26

朝起きた後、体がだるい気がした。昨日はチェンバーに入った後、妙に気持ちが高揚して、すっかり良くなった気分になったが、今日はその反動がきたのか、身体全体が妙に重苦しい。しかし腕の違和感やだるさはない。

予定では、今日がチェックアウトであり、North Carolina 経由サンフランシスコへの帰宅の日である。しかしフライトは少なくとも月曜日まで待たないといけない以上、後二日は滞在していなければならない。今日の予定を立てようにも、10時に医者にあった結果次第では、またチェンバーに入るかもしれないし、そのまま解放してくれるかもしれないし、どうなるかわからないので、計画のたてようがない。

Dive House に、昨日の診断および治療の報告に行ってみると、けいこさんがいたので、今までの経過と今の状態を簡単に述べた。彼女は昨日ほかのスタッフより噂で自分が減圧症にかかったことを聞いたということで、かかった当日のダイビングも問題なかったと、ダイブマスターがいっていたし、けいこさんと一緒に潜っていた連日もきちんと安全停止や浮上ができていたので、問題ないと思っていたので、なんでと思ったと話してくれた。きっといろいろと一つ一つは軽微に思えるが、積み重なることによって、事故につながる結果になったのではないかと自分の感想を述べると、彼女も納得してくれたようで、同情といたわりの言葉を投げかけてくれた。こういうとき、やはり自分の母国語で自身の健康状態をいたわってくれる言葉をいただけるというのは、本当にありがたいことだと思った。

昨日 Chedraui で調達した朝ご飯を食べた後、予約していた10時に医者に行ってみた。病院についてからしばらく待たされたが、なんだかとても緊張していた。ちょうどテストを終えた後、合格発表を待つ間のような感覚だった。「もう一度チェンバーに入ることになったらどうしようか」とか、「たとえ今日診察が終わっても、月曜日に滞りなくサンフランシスコに帰れるのだろうか」とか「通常通りの生活ができるようになるのはいつになるのだろうか」とかいうような思いが頭の中をよぎっていった。

治療終了

Padilla 先生に会い、昨日と違って今日は体全体がなんとなくだるいような気がするということを告げた。初日にやったのと同じ触診による検査や、反射をみる検査では、特に異常が見られず、めでたく診療終了となった。しかし、体の表面上は何ともないように思えても、体内ではまだ治療のプロセスが続いているので、初日に伝えられた指示、すなわち、アルコールやカフェインは取らない、タバコはだめ、炭酸飲料もよくない、直射日光はなるべくさける、熱いシャワーには入らない、激しい運動は避けるべき、たくさん水を飲んだ方がよい、などの注意事項は守った方がいいといわれた。実際に、時折体のあちこちに何かかゆみや痛みや違和感を感じるようであれば、それらは体の内部での治癒のプロセスが表に現れている証拠だ、というようなことを教えられた。帰りのフライトについても、最後のチェンバーでの治療から、およそ 72 時間後ということで、月曜日には飛行機で飛んで問題ないということだった。

エルネストが診断書について説明してくれた。治療が終わったということで、彼らがこれから作成したものを保険会社に渡す訳だが、これに間違いがあるとややこしいことになるので、念入りに確認してほしいという。ふと見ると、自分の誕生日や治療を受けた日付が間違っている。修正をお願いすると、できるのが今日の夕方になるという。

ようやく病院から解放されたという嬉しい思いはあるものの、完全になおった訳ではないからか、晴れ晴れしい気分というわけにはいかなかった。というよりも、休暇全体の疲れからか、今回の減圧症をわずらったというショックからか、昨日の出費のどでかさに気を病んだからか、疲れたという気がした。あまり積極的に体を動かしたり、新しいことをしたいという気分ではなかった。

コズメル博物館

ふと、ダウンタウンにコズメルの博物館があることを思い出した。ここなら冷房も入っているだろうし、そんなに体力を使わなくてかつそれなりに興味深いものがみられるだろうと思い、タクシーで行ってみることにした。なんのことはなく、病院から数ブロック離れたところに博物館はあった。しかし体力の落ちている中、こういったタクシーの使い方もよかろうと思うことにした。

博物館はコズメルの島全体に関する生態系、地形および歴史が学べるようになっている。島の生態系を守るために開発区域とそうでない区域を明確に分け、きっちり自然保護にとりくんでいることや、マヤ文明の紹介、さらには島の東側に沈んだ船の調査のために20世紀はじめに使われた潜水器具の展示など、小さいがそれなりに興味深い展示があった。途中で、地元のメキシコ人の家族から、女の子と写真を撮って欲しいと頼まれた。ちょうど我々も幼い頃、日本であまり見られない人を見ると、珍しがっていた時期があったが、我々夫婦をみて、彼女もそういうようなものを感じたのだろう。

昼食

博物館に行った後、お腹がすいてきたので、前から気になっていた Midori という寿司屋に行きたいと思った。ここは先日 Wyndom のツアーで会った Alex が勧めていた店である。しかしいざ行ってみると、一目でこれは日本人がやっていない寿司屋の典型だということがわかった。赤くけばけばしい看板に怪しいフォントで書かれた Midori という文字、それに出前用のバイクには変な顔をして足にサポーターをはめた力士がどんぶりに箸のようなものが刺さった絵が描かれている。とりあえず写真だけとって、その場を去り、すぐ近くにあったメキシコ料理屋に行った。メキシコ人も入っていたので、そこそこいけるかと思っていたが、まあまあの味だった。

予約変更

ホテルに帰り、なるべく早いうちにと思い、Continental のコズメル事務所に電話して帰りの航空券の手配をしようとした。あいにく当初予定していた US Airways の North Carolina 経由の便は、土日しか飛んでいない。そこで、単に当初のフライトの変更で収まる話ではなく、新たにチケットを購入しなければならないということだった。それならばネットで安いものを選んだ方がいいと思い、ロビーに行ってネットに接続して最安値の便を探そうとしたが、結局さっき電話で紹介された Continental の便が一番安くてかつ搭乗時間が細小になるので、二人分の片道切符を買い、さらにその場でホテルの再延長の予約を行った。今度は Orbitz の値段が $83 から $110 になっており、ホテル側の通常価格とかわらない。他をあたると Travelocity が $83 の値段を出していたので、これを購入した。

ビンゴゲーム

購入が終わるや否や、ビンゴゲームがプールサイドで始まるところだった。まあその場にいたついでにやってみるかと参加してみたところ、思わず自分が一等になり、Chankanaab 国立公園での Dolphin Swimming のチケットがあたった。さっそくこのことを部屋に帰って妻に知らせると、やってみたいとのことだった。そこで、明日の10時のものを予約した。

買い物・夕食

予約した後、疲れたので少し昼寝をしたら、夕方になって空腹になった。妻は食欲がないという。ちょうど診断書の修正結果が気になるし、ホテル以外で何か食べたいという気がしたし、明日朝食に食べるものがないので買い物した方がいいと思ったので、一人でダウンタウンに行くことにした。まず修正された診断書を病院で受け取り、次に Chedraui に行く途中でなにかうまそうなレストランが見つかったら入ろうと思った。実際には見つからず、Chedraui にそのまま着いてしまった。例によってパンと果物と水を調達し、前から気になっていた Chedraui の奥の方にいってみることにした。

Chedraui の奥には、映画館があり、ちょっとしたショッピングモールのような形になっている。一通りの店を眺めた後、地元メキシコの料理を出すという閑散とした La Isla という店を選んでみた。ここで、6番の、セットを頼んだ。ゆでたジャガイモの上にチーズと豚肉を刻んだものがまぶしてあり、それにグアカモーレとチップが添えて出てきた。これが非常においしく、まさに自分が目指していたものだとおもった。値段も $4 ときわめて庶民的で、コズメルにきて以来、初めて安くて庶民的でかつおいしい料理に出会った気がした。しかし残念ながら、その隣の Burger King の方に人があふれていたのはいただけない気持ちがした。ドイツに行ってもメキシコに行っても、地元のおいしい料理を出す店には人が集まらず、アメリカ産の大しておいしくないチェーン店がはやるのを見るのは悲しい思いがする。

この調子ならと思い、近くにあったアイスクリーム屋にも挑戦してみた。ここで $2 のバニラアイスを食べてみたが、これがまたおいしかった。本当にコズメルにきてから、事前のチェックなしで入った店がどこもおいしいものを出してくれるのは本当にうれしい。スーパーで何気なく買うお菓子もおいしく、少なくとも食の充実度に関しては、平均的なアメリカの都市よりもコズメルの方が遥かにレベルが高いと思った。

ホテルに帰った後、診断書を確認してみると、結構間違いが多かった、日付が July ではなく、January になっていたり、自分の体重が 90kg と記載されていたり、ダイブプロファイルが間違っていたりと、ひょっとして過去の誰かのデータを修正し忘れているのではと思われるところが多数あった。こんなにたくさん修正箇所があると、電話やメールでは伝えられないので、明日直接病院に行って、修正してもらった方がいいと考え、今日は寝ることにした。

コズメル9日目 7月 25

朝起きて両腕の状態を確かめてみたが、なんとなくくすぐったいような誰かが何か触っているようなそんな気がした。しかし、この状態が長く続く訳でもなく、あるときは全く問題ない。まだ窒素が中にはいってるのだろうか。

昨日の経過を一応 Dive House に知らせておかねばと思い、Dive House にいた一人に自分が減圧症と診断されたこと、チェンバーに5時間はいってきたこと、今日もう一度診察を受けなければいけないことなどを伝えた。けいこさんが日本人ダイバーたちにいろいろと説明をしていて、忙しそうだったので、このときに挨拶するのはタイミング的に悪かろうと思い、そのままかえることにした。

いったんホテルの部屋にかえって、さっさと朝ご飯を食べなければいけないと10時の予約に間に合わないことに気づき、きた道を引き返した。途中でホテルのプールサイドのところでプール実習のためにひかえていた Dive House のスタッフの一人から、「お前が減圧症になったと聞いた、大丈夫か」と聞いてきた。どうやら Dive House のスタッフの間で自分が減圧症にかかったことが広まっているようだ。とりあえず今のところは大丈夫だが、もう一度今日医者にあってみてもらわないと何ともいえないというと、彼が「チェンバーの中は飛行機の中みたいだと思わないか」と聞いてきた。どうやら彼も入ったことがあるらしい。実際に、チェンバーの中は飲み物と映画リストがふるまわれるし、むしろ飛行機よりも一人当たりの占有スペースは広いくらいで待遇はいいといえる。たしかにそうだが、自分はむしろ潜水艦や宇宙ステーションみたいだと思ったと返し、彼にチェンバーに入ったときの様子を聞いてみた。彼の場合は、肩の関節がおかしくなったらしく、全部で4回チェンバーに入り、今では何ともなくなっている、請求書の額に圧倒されたが、プロのダイバーとして保険が利いたので、彼が払った額は60ドルくらいですんだということなどを教えてくれた。

朝ご飯を Dive House 横のレストランで食べた後、タクシーに乗り、病院へ向かった。病院に入ると昨日のウォリーがいた。彼はピンピンしている。彼は元気そうに彼の治療は終わったといい、今保険会社との手続きをしているところだという。彼に昨日のチェンバーは2回目だったのかと聞くと、そうだと答え、自分に対してどのくらい伝えたらよいのかわからなかったので、あまり多くを語らなかったのだという。

診察室に入り、昨日から今日の様子を先生に伝えると、昨日と同様な器具を使った触診を行った。昨日よりはだいぶよくなっているが、まだチェンバーに入った方がよいということになり、ちょうど急患が運ばれてくるところなので、その人と一緒にチェンバーに入るようにといわれた。

自分が木綿の服に着替えている間に、その急患が運ばれてきたようだった。そういえば、行きのタクシーの中で、救急車が南下していくのが見えた。それだったのだろうか。とにかく彼女の嘔吐の音が聞こえてきて、それを聞くだけでこちらも気分が悪くなってくる。先生にそのことを告げると、彼女はチェンバーに入って酸素を吸えばよくなるはずだと教えてくれた。

チェンバーに入ると、すでに急患の人が昨日自分がいた位置に横たわっていた。苦しそうにもがいているのが見えるとこっちも気分が悪くなってくるので、彼女のことは一緒に入っているファニータに任せて、自分は体育座りをして急患の彼女の頭と対角の位置に座るようにした。自分が腰掛けるや否や、ファニータが早速扉を閉めた。彼女は昨日が初めてのチェンバー入りということだったが、今日は任せろといわんばかりに落ち着いて積極的に動いている。急患の彼女が嘔吐したものをてきぱきと処理したり、酸素マスクをいつでも装着できるような位置においたり、自分の座る位置を毛布や枕で整えてくれたりと、黙って黙々と仕事をこなしている。

60フィート、すなわち18mの水深と同じ圧力まで空気圧が高まったところで早速酸素を吸入するように促された。昨日一度行っているので、要領はわかっているとはいえども、息をするたびにスターウォーズのダースベーダーのようなスーハースーハーいう音は、やはり聞いていて気分のよいものではない。しかし、慣れたせいか、酸素を吸った後の気持ち悪さはもうなくなった。20分間の吸入の後、5分休み、再び20分間の吸入に入ったかと思うと、今度は早くも別の部屋に移動するという。二日連続で5時間尾チェンバー入りということはなく、5時間行った翌日は、その半分くらいで済むということを昨日ネットで調べて確認していたので、なるほどとおもい、はやる心を落ち着けてひたすら酸素の呼吸を繰り返した。二回目の酸素吸入のときに、今までスイッチが入っていなかったプロジェクターの映像が、昨日と同じようにチェンバー内に映し出されたが、例によってどうも映像を見る気にはならなかった。

2回目の吸入が終わらないうちに、扉が開いて、入り口に近い方の部屋に移動することができた。今度はここでイサベルが控えていて、彼女が酸素マスクや、耳のプロテクターの装着の手伝いをしてくれる。彼女はファニータよりも経験があるので、マスクやプロテクターの装着が短時間で確実に行える。自分の方もここまでくると慣れてきたので、チェンバー内で足をくんだり伸ばしたり好き勝手な格好をして、くつろげるようになった。2回目の吸入が終わったところで彼女が話しかけてきて、何歳だと尋ねるので、自分の年を述べると、なんと彼女も同い年だという。イサベルは15歳で結婚し、16歳で第一子の娘さんを生み、現在上から20歳、17歳、14歳、7歳の娘さんたちがいるのだという。昼間はこうやって、Paramedic の仕事をし、夜中は 12 時から 7 時までイルカと泳げるプールでの警備の仕事をしているのだそうだ。彼女のパワーと陽気さにはまったく敬服する思いがして、自分が幼く思えてきた。

そうこうするうちに、3回目の吸入もおわり、4回目はイサベルも酸素吸入を行った。こうなるともうすぐ終わりが近いということである。こちらの部屋は映画の上映も何もないのだが、気分的にはもうすぐ終わるという期待感からか、居心地はよく思えた。

やがて吸入が終了して、扉が開くと妻とオペレーターのエルネストが立っていた。治療が終わって、この二人に会うととても心が安らぐ。昨日と違って、今日の気分はとてもよく、なんだか体内から力がわいてくるような気がした。腕の違和感もなくなり、なんだか通常の体に戻ったような感じがした。

着替え終わった後、昨日の Padilla 先生はいなかったので、別の Garcia 先生にみてもらった。彼曰く、今日からもうアクティブに活動してよい、お酒も飲んでいいというアドバイスをもらった。ところが診察室から出たところで、Padilla 先生に会い、今日は気分がいい、今 Garcia 先生に今日はもうちょっと活動的になってよく、運動もしていいといわれたというと、「ほどほどにしなさいね」と言われた。この辺のアドバイスは、医者によって異なるということだろうか。

エルネストとともに、チェンバーの操作を行うフリオが、保険屋と DAN にかけあってくれていたのだが、どうも保険屋は病院側に直接お金を払わないと主張しているらしい。同じ Blue Cross の保険といえども、テキサスとカリフォルニアでは扱いが違うらしく、テキサスの方では保険会社側が病院に払って、必要とあれば患者が足りない分のお金を保険会社に払うということができるが、カリフォルニアの場合はそれができず、患者が全額をまず払い、必要な資料 (請求書、レシート、医者の診断書)を集め、申込書とともにそれらを提出し、その申請が許可されたら、患者にお金が戻ってくる、もしそのお金が全額でない場合には、差額を DAN が払うように手配しなければならないのだという。

フリオが提示した請求額を見て、ある程度の覚悟をしていたが、かなりびっくりした。百万円には届かなかったが、レートが悪ければそのくらい行きそうなくらいの額である。その場にあった電話を借りて、銀行のカスタマーサービスに電話して、銀行側に「今かなりの額の取引が行われるので、承認してほしい」と頼み、「今から2時間以内の取引を承認するようにする」としてくれたので、支払いはひとまず終えることができた。しかし今の時点では明日チェンバーに再び入るかもしれないので、出費がこれで終わるかどうかはわからない。

病院を出てから、Chedraui に買い物に行った。ここでバナナとぶどうとパンと水を買っておき、明日の朝食にすることにした。ホテルでのビュッフェスタイルの食事は最初のうちはよかったが、だんだん飽きてきた上、朝食でさえも一人当たり12ドルほどするので、結構な出費になってしまう。Chedraui で買い物すれば、いくらパンを買っても $2 から $3 くらいですんでしまうので、とてもありがたい。先ほど巨額の出費があったばかりなので、こういうところから工面していかなくてはならない。幸い、このスーパーで買うものは、果物をのぞいてどれも普通のアメリカの店で買うものよりもおいしいので、安心して安いものが買える。果物に関してはやはり新鮮なカリフォルニアのものに慣れてしまっているのか、さすがにオレンジやメロンはあまりおいしくなかった。しかしバナナはさすがにおいしい。

ホテルに帰ると、Garcia 先生に少しアクティブに活動した方がいいといわれたものの、なんだか疲れた気がした。少しくつろいだ後、ホテルのプールで水浴び程度に過ごすことにして、夕刻どきを涼んだ。

少しだけだが泳いだせいか、空腹感を覚えてきたので、何かきちんとしたものを食べたいと思った。しかしプールサイドでやっているビュッフェでは元が取れるほどたくさん食べられる自信がない。ホテルの二階にレストランがあることを思い出し、そこでスパゲティーを食べることにした。ミートソーススパゲティーが、チップも含めて $10 というリーズナブルな値段で食べられた上、味もなかなかよく、満足のいく食事ができた。

食事の後、ロビーでメールをチェックして、寝ることにした。

コズメル8日目 7月 24

朝起きて、だいぶ腕のだるい感じは抜けたような気がしたが、でもまだ違和感を感じていた。ゆったりとビーチで休めばよいかと思い、レンタカーを借りて島の東側を訪ねてみることにした。借りたレンタカーは Fiat のセダンのマニュアル車で、最後にマニュアルに乗ったのは何年前かわからないほど運転を忘れていたが、駐車場付近を軽く走り、2,3回エンジンストップを繰り返して徐々にクラッチ操作に慣れてきて、その後まずは南に向かおうとした。

途中で白い豪華なホテルがあるところでいかにもアメリカ人という感じのおばさんが手を振っている。車を止めると、ここ Wyndom ホテルは自分たちの泊まっている Fiesta Americana よりも安くあがるよと熱心にガイドツアーをすすめてくる。これからビーチに行ったり、遺跡をみたり、博物館をみたいから時間がないといってみたが、それだったら遺跡への入場料をプレゼントしようという。まあガイドについていって、話を聞いて、その上入場料をくれるのならよかろうと思い、車を止めて彼女についていくことにした。

受付で簡単な説明を受けたあと、ガイドの Alex が現れた。彼はダイブマスターで、コズメルで 600 本以上潜っているという。そこで、自分は今日は腕がだるく感じられるので、ダイビングは休んで陸上でゆっくりくつろぐことにしたと告げた。

彼が豪華な作りのペントハウスや様々なタイプの部屋を見せる中、どうもしっくりこない印象を受けた。これがロサンゼルスとか、ハワイのリゾート地なら、いいのだろうが、コズメルというメキシコの隅っこにある島にきて、ここまで豪華に建物を造り、屋上にプールを作り、映画館や会員専用施設を作るのはどうかと感じた。ツアーの最後で、Alex が Wyndom ホテルグループの会員にならないかと詰め寄ってくるが、こんな豪華な設備を作り、こうして我々を1時間ほどガイドする人を雇った上、さらにお金までくれるというのは絶対に裏に何かあるに違いないと思い、かたくなに彼の申し出を断った。そうすると Alex も折れたが、最後に捨て台詞のように「お前はその状態なら、すぐにでも Dive House にいって、必要とあれば医者にみてもらった方がいい。土曜日にかえるといっていたが、それは無理だろう」と言った。

受付の場所に戻り、約束通り入場料をもらったが、どうもAlex のいったことが気になる。だんだん心配になってきたので、島巡りは中止することにして、レンタカーをホテルに戻し、Dive House にいった。

減圧症

Dive House で両腕の感覚が鈍っていると告げると、すぐに島内の病院に電話してくれ、ここに今すぐ行けといわれた。こういうときの Dive House の対応の早さと段取りのよさは本当に頼もしい。病院の名刺をもらい、タクシーを拾って病院まで走ってもらい、さっそく先生の診察を受けた。先生が裁縫のときに使うギザギザしたローラーで、両腕、胴体の左右の側、および両足の皮膚表面をローラーで転がすのだが、どうも左の方が鈍っているような気がする。英語で “Same” とか “About the same” とかいうと、「その about とはどういうことか」と聞かれるので、なんとなく左の感覚が鈍っていることを伝えた。また、先生の両手のひらをこちらから向こう側に押したり、上に押したり、下に押したり、さらには拳を作ってそれを自分の目の前にくっつけ先生が両肘を引っ張って離そうとしたり、肘を持ち上げるのを自分が動かないようにしたり、逆にしたに押し下げるのを動かないようにしたりするというような検査をした。さらに、床のタイルとタイルの間の線に沿って、靴の片側のつま先ともう片方のかかとをくっつけながら歩くということもしてみた。どうも左右のバランスがとれていないようで、力を確かめる検査では先生が左側が弱くなっていると感じたらしいし、歩行の検査も動きが何となくぎこちなく、感覚がおかしくなっていると認められた。彼女は「麻痺したような感覚 (numbness) と、何かがはうようなチクチクする感覚 (tingling sense) はまさに減圧症であることを示している。あなたはただちに高圧チェンバー (hyperbaric chamber) に入って治療を受けなければならない」といわれた。US Navy が作ったテーブル6と呼ばれるものに従って、5時間チェンバーの中に入らなくてはならないのだそうだ。パスポートや保険のカードなど必要な書類の何点かはホテルの部屋の金庫に入れてあるので、妻にいったんホテルに帰って5時間後に持ってきてほしいと頼んだ。その間、書ける範囲で自分の個人情報や DAN Japan の情報などを書類に書いておいた。

木綿製のいかにも患者というような服に着替えると、もう一人の患者であるウォリーという老人を紹介された。彼はどことなく落ち着いていて、当初患者ではなく医者なのかと思った。そうしたら、もう二人、一緒にチェンバーに入る人々ということで、イサベルとファニータを紹介された。彼女たちは看護婦として自分たちがチェンバーに入っている間、いろいろと面倒を見てくれるのだそうだ。


チェンバーは、2段構造になっていて、入り口付近の部屋の直径は 2 m ほどで、奥側の部屋は直径が 3m ほどになっている。その二つの部分を、よく潜水艦や宇宙ステーションなどで使われる円形扉に車のハンドルのでかくなったようなハンドルが着いたものが仕切っている。奥側の部屋に4人が入ると看護婦の一人がハンドルを回して扉を閉めた。自分は簡易ベッドみたいなものに横たわり、ウォリーは椅子に座った。イサベルとファニータは飲み物が欲しかったら遠慮なくどうぞと言ってくれたが、なんとなく炭酸の入ったものは飲む気がしなく、水を頼んだ。また、内部では外のプロジェクターからテレビが白い壁に対して照射され、映画のリストの中から1,2本頼むことができる。典型的なハリウッドのアクション映画ばかりが並んでいるが、どうも銃で人を殺したり、血を流したりするような殺人場面の入ったものは見たくない。”Speed” というタイトルが目に入り、これなら懐かしいロサンゼルスの町並みがみられるし、たしか殺人シーンもなかったはずだから安心だろうと思って、これを選んだ。そうこうするうちに、チェンバー内の気圧が高まっていき、18m (60 フィート) の潜降と同様の状態となった。当然耳抜きをして、普通のダイビングと同じような対応をしなければいけないのだが、このときにプロテクター、すなわちヘッドホーンをつけさせてくれる。潜降が終わると、今度は酸素マスクをつけることになった。これは、100% 濃度の酸素を体内に取り込んで、窒素の対外への放出を助けようとするもので、20分行った後、5分休憩というセットを3回繰り返し、その後 40 分酸素吸入した後、少し休み、9m (30 フィート) まで気圧を低くしながら今度は60分間酸素吸入を続け、最後にさらに水面付近まで上昇しながら、酸素吸入を続けるという構成になっている。最初の吸入をした後、過酸素状態になったのか、気分が悪くなり、ネガティブな思考がわいてきた。ちょうどそのときに上映されていた Speed でハラハラするようなアクションシーンや殺人シーンがでてきて、まともに映画が見られなくなった。寝てしまおうと思ったが、看護婦たちにそれはだめだといわれ、うつろな瞳でどこということもなく、宇宙ステーションのようなチェンバー内を眺めていた。まあとにかく今ある状態を素直に受け入れるしかないと思い、休憩後再びマスクをして酸素をすった。今度は両腕が内部からじわじわと刺激されているような感覚がきた。2本目の酸素吸入の後で両腕をぶらぶらしていると、通信機を通して外部で内部の状態をモニターしている診療師から、「状態はどうだ」と聞かれた。麻痺したような鈍い感覚がなくなり、じわじわとした感覚がわき起こってきたと伝えようとしたが、どうも向こうも英語が母国語ではないメキシコ人なので、感覚が通じていないようだ。するとウォリーが “He says that numbness is gone and it’s changing to tingling” と見事に自分の状態を伝えてくれた。後でわかったことだが、彼は既に前日チェンバーに入っていて、今日が2回目だったので、より場慣れしていてこういうことが言えたらしい。

3回目の吸入セッションくらいで、ウォリーが出て行くことになった。彼は半分の時間でいいのだそうだ。イサベルとともに入り口に近い狭い方の部屋に出て行き、室内は自分とファニータだけになった。彼女は年は40代から50代くらいだろうか、チェンバーに入るのは今日が初めてだというのだが、看護婦としての経験からか、どっしりとした存在感があり、頼もしく思える。しかし英語自体はほんの少し必要最小限話せる程度なので、会話自体はできない。彼女とはほとんどしゃべらなかったが、酸素マスクをつけるときや、耳のプロテクターをつけるときや、水が欲しいときなど、適切に対応してくれてありがたかった。

5時間というのは本当に長い、幸いトイレにはいかないで済んだが、途中で気持ち悪くなったときになんとなくトイレに駆け込みたいような気分にもなった。しかし、通常のダイビングと同じように、深呼吸をしてリラックスしようと心がけ、なんとか落ち着くことができた。

最終吸入は、ファニータも一緒に行った。これは彼女も圧縮された空気を吸っていたので、彼女自身が体内に窒素をためている可能性があるための配慮だろう。実際に US Navy Table 6 には、最終段階では、介添者も酸素を吸うように指示がされている。ようやく地上の空気圧に戻り、チェンバーから出ると、さっきとは違うメンツのスタッフと妻が立っていた。このときに妻の顔を見られて本当にうれしかった。なぜかチェンバーの前で撮影をしたいとそのスタッフの一人が申し出て、なんだかよくわからないままチェンバーの前に立った。昼ご飯も食べずに5時間もチェンバーにいたからなのか、治療のせいなのか、何かよくわからなかったが、とにかく体が弱くなっていて、むしろチェンバーに入る前よりも体調が悪くなっている気さえした。

ほどなくして、チェンバー内にいたときにいろいろと指示を送っていたというエルネストという人が自己紹介してきた。彼の英語は聞き取りやすく、かつ非常に頼もしく安心感がある。彼がチェンバーに入ったときの典型的な例として、高濃度の酸素のために身体が反応して気持ち悪くなることがあるということや、入った後でも酸素が体内の窒素と結合する過程で体の節々に違和感を感じることがあるということを教えてくれ、そういうものかと納得した。彼は同時に保険会社の Blue Cross や DAN の事務所にも連絡してくれていて、なるべく自分が直接病院に支払いをするのではなく、まず保険会社が病院に払って、あとから Blue Cross が必要な額を自分に請求するような手はずを整えるように交渉してくれた。本当にこの島にいる人々は親切でとても安心できる。彼はとにかく食事をして、元気になった方がいいとアドバイスをくれて、病院を出ていいよと告げてくれた。明日10時にまた先生に診てもらうようにともいわれた。

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コズメル7日目 7月 23

今日は水曜日なので、土曜日の出発および金曜日にチチェン・イツァ遺跡にいくことを考えると、木曜日にもう一日潜ってもよいのであるが、なんとなく初心者である妻のことを考えて、キャンセルしたいような気がしてきた。とりあえず2本潜ってから考えることにした。

Columbia

ボート上で、ガイドの Luis と David が、どこに潜りたいかとアメリカ人たちに尋ねると、Columbia という答えが返ってきた。なるほど、確かにここは彼らが喜びそうなポイントである。地形が複雑に入り組んでいて、洞窟を何回か通り抜けた。洞窟を怖がっていた妻も、これまで連日一緒に潜っていた Luis が先導になっていたので、彼に引き続いて次から次へと洞窟をくぐり抜けていた。

Punta Tunich

一本目と異なり、平坦な砂地に時折根がたっているポイント。潜降時にダイブコンピューターを忘れたことに気づき、不安になるがまあ何とかなると思ってそのままダイビングを続けた。また、ガイドの David が、レギュレーターのホースから空気が漏れていることを指摘した。これらがあとで災いの元となったとおもわれる。

このポイントは生物が豊富で、コズメルでみたいものは一通りみられた。カメ二匹に、2m以上あるかと思われるネムリブカ、バラクーダ、Sourthern Stingray、カリブ海でおなじみの French Angelfish や Gray Angelfish や Queen Angelfish のほか、エビ、そしてコズメル固有種である Splendid Toadfish も見た。ただ、二本目にも関わらず、水深が19m付近のところにこれらの生物がいるのが気になった。

30分ほど経った頃、ガイドの David が妻と自分に向かって浮上するように指示した。そこで勘に頼って水深計をみながら少しずつ浮上し、水深5〜6m のところで安全停止しようとした。しかしまだ浮力調整のが十分にできない妻にとってはここにとどまるのが至難の業である。シグナルフロートのロープにつかまっていたが、このロープも流されれば水面に限りなく平行になっていき、だんだん水深が浅くなってしまう。その一方で、水深計をみながら、自分自身と妻の体を沈めるというのは大変に困難な作業だった。実際、なんとなくレギュレーターからの呼吸が苦しかった。

感覚的に十分な時間が経たないうちに David が浮上しろというサインを出していた。実際、水深 2m くらいのところに既にいて、あと少しで水面というところにいた。もうちょっと安全停止したいと思ったが、あれよあれよという間に水面に達してしまった。

ボートにあがると、David がお前のレギュレーターのホースは後 2, 3 回で破裂するぞといわれた。自分はダイブコンピューターを忘れて潜ってしまったというと、妻と一緒にダイブテーブルに従って 35 分で浮上したからおそらく大丈夫だろうとのことだった。しかしボートに乗ってから両腕が鈍くなったような、麻痺したような、そんな気がしていた。

ひとまず休んだ方がいいと思い、翌日のダイビングはキャンセルして、ゆっくりくつろぐことにした。

午後はスーパーで買いだめしておいたお菓子とフルーツを昼食に食べた後、再び Chedraui のスーパーに行き、水とパンとお菓子を買っておいた。



そこからしばらく歩いて、ダウンタウンにいき、ショッピングモールで催されていたマヤのダンスを少しみて休憩した。


その後、早めの夕食を Sorrisi というイタリアンレストランで食べた。ここはコズメルにあるとは思えないほど立派な建物の作りで、ちょうどワインセラーのような雰囲気を醸し出している。ガーリックブレッドとカラマリとパスタとリゾットを頼んだが、どれもすばらしく、妻は「大阪城が崩れるほどおいしい」という表現をしていた。

その後ホテルに戻り、プールサイドでくつろぐことにした。この間も腕のしびれ感は続いており、ひとまず寝てみて様子を見ようと思って寝ることにした。