ニューヨーク・タイムズで、震災後の福島第一原発の事故があったにもかかわらず、過疎の町での原発依存の体質は改まらないという報道がされています。
In Japan, a Culture That Promotes Nuclear Dependency
http://www.nytimes.com/2011/05/31/world/asia/31japan.html?_r=1
島根や青森などのかつての漁村や過疎の町が、原発建設に伴う補助金や公共施設などの箱モノや、原発での雇用といった経済的な恩恵にあやかろうと決断したために、70年代や80年代には原発建設反対を訴えていた人々も、周囲がそうしてお金で意見を封じ込まれるうちにだんだんと原発賛成派に変わっていき、最後まで原発反対を唱えていた人は逆に白い目で見られるというようなことが起きているのだそうです。
ネットでの議論や通勤途中で見る新聞や雑誌の記事を見る限りにおいては、一見日本全国が原発建設反対の様相を呈しているように思えてきます。しかし、実際にこうした地方の町が現実としてこれまで原発がないと行政や生活が成り立たなくなるほど、原発への依存体質ができあがってしまったことを考えると、このニューヨーク・タイムズの記事は真実味があると思います。
記事で紹介されている元島根県八束郡鹿島町は、現在では松江市になっており、これにより松江市は47都道府県で唯一県庁所在地に原発がある市になっています。ここで町長を目指した中村氏は、
“They call it a nuclear power plant, but it should actually be called a political power plant,” Mr. Nakamura joked.
というように、原発のことを英語で言う Nuclear Power Plant ではなく、Political Power Plant すなわち政治力推進所とでも呼ぶべきだと言っているくらいです。
ここでも明治時代以来の中央集権化のひずみが見られていると思います。明治時代からバブル崩壊まで、中央集権のもと、東京でいったん集めたお金を地方へばらまくという図式で、明治時代の富国強兵や戦後の高度成長が実現できましたが、もはや国としてそうした成長曲線が描けなくなっている今、統治体制も変わるべきだと思います。すなわち、中央での権力と財力を徹底的に地方にゆだねるようにし、地方独自でそれぞれの発展を目指すのです。島根県の過疎の町と青森県の過疎の町が同様な発展を目指そうとするのはそもそも無理があり、その土地独特の歴史や風土や郷土文化や、地理的な特性を生かした経済発展が考えられるはずです。そのためには、大前研一氏が主張する道州制のように、全国を現在の都道府県よりももっと大きい単位で区切り、その核道や州で独自の発展や安全政策を目指す体制を作ることが必要で、今こそまさにそうしたグランドデザインを考えるにふさわしい時期だと思います。
今からでも遅くないので、伝統の漁業や特産品を生かした経済発展をもう一度考え直してほしいと思います。普段都会に住む人々が、実際に人口数千人の町を訪れて期待するのはおいしい空気と水と料理であり、場違いな体育館やテニスコートやサッカー場は見たくありません。また、そうしたあるがままの自然と伝統的な文化遺産こそが、日本として世界中の人々を引き付ける観光名物になるということを、人々は自覚してほしいと思います。
ただ、東京の人ですら、日本が世界に誇るブランド観光名物である、築地市場を移転するということに、大した議論が起きないくらいなので、やはりこの国は全体として鎖国しながら自滅していくしかないのでしょうか。
一方で、もし国として本当に原発が必要であるという判断を下すのなら、以前にも書いているように原子力の基礎的な知識は義務教育での必修とし、人々が原発に対して賛成だとか反対だとか言いながら思考停止に陥るのを防ぎ、現在稼働中の原発の安全性をいかに高めるかの技術的および組織的体制を強化するとともに、使用済み核燃料の処理方法、および原発の次に来るべきエネルギー政策をきちんと考えたいものです。