池上彰、加藤陽子両氏による対談が日経 BP のサイトで連載されていますが、今週もなかなか興味深い視点が出ています。
リスクとコストを天秤にかけ、コストをかけてでもリスクを想定内におくことで、もっと大きなコストがかかるのを防げるという議論の後、コストと資産の区別について、加藤氏が
なぜ日本人はリスクマネジメントができないのか?
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20110824/222247/?P=1
において、こんなことを述べられています。
満州事変期以降の日本軍も、人口増加の圧力が非常に高かったという、当時の時代的制約もありますが、コストと資産といった区別など、できていなかったと思います。
軍は、特に南太平洋での戦況が悪化した1943年以降、兵士を「資産」というよりは「コスト」、あるいは「消耗品」とみなしていたとしか思えないことをやりました。
この見方、なるほどと思いました。日本と外国とくに欧米社会とで、人への接し方に大きな違いがあると感じるからです。たとえば、アメリカ企業ですと、明日にでも首を切られたり、自ら職場を去ったりというような一見冷徹な感じがする個人と企業の関係ですが、実は日本に比べてアメリカ企業の社員に対する環境構築は雲泥の差といってもいいくらい異なります。たとえば、日本でも国内企業と外資系企業を比べればわかりますが、個人一人当たりのスペース、すなわち机の大きさが圧倒的に違います。また、総じて外資系企業の方が日本企業よりも給料がいいという傾向があります。また、各社員への権限の委譲と信頼およびプロフェッショナルとして求められる仕事のレベルの高さは、海外企業の方が遥かに上と言えます。
一方、日本企業の場合は狭い部屋に狭い机が当てられ、特にプロフェッショナルな専門知識を要求される仕事に就く人々の給与を比べると、諸外国とくらべてあまりいいとは言えません。なかには、事務所や事業所の所々に「廊下を歩く時は右側を」「横断歩道を渡る前は右左見て」「携帯電話を話しながら歩きません」「ポケットに手を入れたまま歩きません」といったような小学生向けのような標語が掲げられていて、社員を一人前の大人というよりも大人しく話を聞くべき子供のような扱いをしているところが多数見られます。
実際に、上記の記事の2ページ目において、加藤氏は
一人ひとりの人間を大切にして、教育に手間をかけて、その人材の持つ潜在的な価値を最大化する、これがいちばん合理的なはずです。戦前期の日本の教育は子供たちに、イギリスやアメリカなど、民主主義国家を、「放恣」「我慢強くない」「軟弱」といったイメージをすり込もうとしていたと思います。しかし、民主主義というのは国民の自発性を最も喚起しやすい体制ですから、強いわけです。
と述べています。すなわち、各自の持つ力を最大限自発的に発揮できる体制が民主主義であるのに対し、そうした体制を戦前期の日本は否定していたということです。そのような思想が未だにはびこっているからかもしれませんが、日本の組織の職場は、一人一人が潜在的な価値や力を100%発揮できる体制になっているとは、まだまだ言えないと日々感じています。
とくにマネージメントレベルになると、人に我慢を強いることが得意 (?) な日本政府や日本企業は、所属員の個々の才能を発揮できるような仕組みや体制をつくっていないので、突然の変化や突発的な事態に対応できず、今回の震災で露呈した日本政府のように右往左往してしまいます。実際には、震災に対して日本企業はよく対応しているようですが、同時に忘れてならないことが、世界的な規模で起きている市場環境の変化にそうした企業組織が必ずしもついていっておらず、次から次へと他の特に新興企業からの追い上げに、やすやすとそれまでの座を明け渡すことが起きてしまっているということです。
残念ながら、日本企業の場合は、長期の雇用を前提とした就業体制であるがために、かえって人が資産よりもコストとして扱われるケースが多くなってしまい、そのために本来なら資産としていかされるべき人材が埋もれてしまっているのではという気がします。






