かつて、日産自動車のラシーンという車のコマーシャルにおいて、ドラえもんとどこでもドアが登場していました。ラシーンをどこでもドアに見立てて、どこへでも連れて行ってくれるというコンセプトのもと、コマーシャルにドラえもんが登場してました。ただ、ドラえもんは一言もしゃべらず控えめな感じで出ていて、長年のドラえもんファンの印象を壊さないような配慮もされていました。藤本宏先生もご存命だった当時ですから、ある程度のイメージに沿ったコマーシャルづくりがされていたのかもしれません。
一方、つい最近別の会社のコマーシャルで、ドラえもんが使われ始めましたが、これはとても残念なできばえで、落胆と怒りと憔悴と憤りと悲しみの念が一瞬にして同時並行でこみ上げてきました。
元々の藤子 F 先生のストーリーでは、のび太は20代で結婚しており、結婚前日にはジャイアンに結婚を祝福され、いつまでも仲の良い幼なじみという展開になっています。
一方、このコマーシャルでは元のストーリーに大幅に改変がなされてしまっています。30歳で独身で、あいかわらずジャイアンにいびられており、もう見ていられない思いがしました。藤子 F 先生がもしご存命だったら、果たしてこのようなコマーシャルができただろうかと思うと、大変複雑な気持ちになり、上述のような思いがしました。
勝手にドラえもんのストーリーを考えるというのは今に始まったことではありません。よくあるのはドラえもんの最終回であり、たとえば下記の有名な「最終回」を田嶋・T・安恵氏が創作しています。
ドラえもん 最終話/田嶋・T・安恵
http://garakuta.rash.jp/up/070530final_dora.html
ただこの時はこの「最終回」の出来が余りにも良かったためか、各方面に影響が出て、最終的に小学館が訴えることになり、田嶋氏が二度とこのようなことはしないというような書面を提出することになりました。
まあいろいろと事情はあるのでしょうが、大手自動車会社がストーリーを勝手につくっても何も起きず、個人が勝手にストーリーを考えると訴えられるというのは、なんだか納得がいきません。
他にもいろいろと残念な点はあるのですが、あまり考えたくないので、ただ一点、上記のポイント、つまり個人と巨大組織の行動に対する世間の反応の違いについて、注目して書いてみました。





