大学時代の友人から、下記のようなリンクを教えてもらいました。野口悠紀雄が日本の IT の状況を中央集権的でメインフレームみたいだと評しています。
日本のITは20年間進化していない──野口悠紀雄が語る
http://ascii.jp/elem/000/000/151/151210/
この記事は2008年7月のものですが、それから3年が経った今でも十分に通じる議論だと思います。日本の社会構造が未だに中央集権的であり、この20年の間に「地方分権」や「道州制」といった言葉が現れてはいるものの、結果的には地方の過疎化が進み、東京都の特に23区内の人口が増えるという現象が起きているという結果は、分散化が進むよりもむしろ中央集権化がかえって進んでいるということなのかもしれません。その間に中央集権体制でトップダウンの指示のもと、巨額な投資を行ってきた液晶テレビや携帯電話のメーカーが市場から撤退するという結果もでてしまっています。
この中央集権体制は日本の様々な組織や社会構造にも存在しており、政治体制はもちろん、著名な大企業をトップとする系列構造や、大学の序列や、マスコミの体制など、随所に見られます。残念ながら意思決定メカニズムもこの中央集権体制になってしまっており、記事にもあるように新しい IT 関連の支出を決めるのは年をとった中央の役人や企業トップであり、彼らが理解できない、または若者の下克上を恐れるために、最新のハードウェアやソフトウェアへの投資が遅れてしまい、さらに日本企業の競争力が海外の企業に比べて弱まってしまうという結果につながっています。
日本企業の IT 化というのは思ったより進んでいません。メインフレームや PC があるならまだまともな方で、業務を紙で行っているところが無数にあります。たとえば、企業を訪問して、最初に訪れるのが受付ですが、欧米や韓国でそれなりに著名な企業を訪問すれば、受付の人たちは端末で訪問者を照合し、必要とあればパスポートや ID カードの提示を求め、それから入館のためのバッジやカードを渡してくれます。ところが日本企業でこうした体制をとっている会社は、皆無と言っていいくらいです。
各業務も紙で印刷したものが正として扱われ、PC はその紙の印刷物を作成するためのツールとして使われてしまっています。本来ならそこまでできればあとはそのデータをネットワークでつなぎ、サーバー・クライアント環境が構築できるはずです。事実、つながっている部署がほとんどです。しかしながら、最後の承認や稟議にハンコがいるために紙ベースの仕事になってしまうということがよく起きています。記事でもあるように、IT が、電気や水道と同じように一般化して誰でも使えるインフラとしての汎用技術 (ジェネラルパーパス・テクノロジー: General Purpose Technology) になっていない側面です。
電気と言えば、震災の時に「想定外」という言葉が頻繁に出ましたが、これは裏を返せば普段よく考えていなかったということで、中央集権体制の弊害だったのかもしれません。何でもかんでも組織のトップ、ピラミッド構造の上の方のお伺いを立てなければ行動できないという考え方に慣れきってしまったがための言葉なのかもしれません。それを象徴的に表すのが、野口氏の次の言葉です。
「政府がどうしたらよいか」という発想自体がおかしいと、私は思います。それは、個々の企業が考えればよいことで、政府が考えて旗をふってやる話ではない。こういう問題を議論していると、必ず「みんなで力をあわせて」という話になる。そうした発想から抜け出せないと、日本に未来はありません。
こうした発想は要するに思考停止であり、自分で何も考えていないと同じです。
この年、2008年から始まったとされる不景気の原因が、「リーマンショック」とされていますが、日本では2008年9月に突然リーマンショックという現象が起きて、それから急に景気が悪くなり今に至るという見方がされがちです。ところが実際にはアメリカの景気はこの時までにかなり悪くなっていて、2007年に明確化してきたサブプライムローン問題が住宅バブルをはじけさせ、消費活動が低迷し、企業の業績も悪化していました。分散型の社会構造ができていれば、各ノード (下部組織) からの情報をもとに適切な対応がとられていたのかもしれません。しかし、中央集権的な日本社会ではそういった現象がとらえられず、結果的に市場や現場で起きていることをトップが適切に把握し、判断することができずに、「ショックだ」と一斉に慌てふためくことになりました。
「クラウド」という言葉も当時は今ほど使われていませんでしたが、この記事の後編ではちゃんとでてきています。「ソーシャル」という言葉はないものの、今では日本でもだいぶ会員数が増えている Facebook のことにも触れられており、今から読んでみると時代を先取りしていたお二方の対談だったのだと改めて感じます。
中央集権と分散の考え方の延長で言うと、クラウドというのはいつでもどこでも自分が欲しい情報や自分で編集した途中経過でさえにもアクセスできるという点において、より民主的で、開放的です。すなわち、中央集権体制下の免許更新であれば、役所に出向いて免許を更新しなければなりませんが、ある程度分散されてサーバー・クライアント型の環境であれば、各拠点に出向いて免許更新ができるはずですし、(この点、電気やガスや水道の支払いはコンビニでできるので、分散型と言えるのかもしれません) もしこれがクラウド環境であれば、自分の持っている PC やスマートフォンで、免許情報をもっておいて、いつでもどこでも簡単に更新できるということになるのかもしれません。もっとも、免許やパスポートのような重要書類をここまで開放してしまうと、セキュリティー上の弊害が出るのであまり積極的に進んでほしくない気もします。
しかし、情報の把握、管理、編集、リリースなどをすべて個人に任せるという点を考えてみると、クラウド環境というのは、個人の自主性と自己管理能力と責任能力を問われるという点において、よりいっそう進んだ考え方であり、中央集権体制とはあまりなじまない環境であるというと言えます。そう考えると、今後クラウド環境の構築が進む分野は、役所の規制や監視がうるさくない分野であり、自主性や自己管理能力が求められる自由放任的な職場職場ではないかと予想されます。すなわちこれは、旧来の伝統と規律を重んじる日本企業では扱いづらいものなのかもしれないという気もします。