ニューヨーク・タイムズに、話す言語に酔って人々の思考が変わるかという興味深い記事が出ています。
Does Your Language Shape How You Think?
http://www.nytimes.com/2010/08/29/magazine/29language-t.html?_r=1
古くは20世紀の初めに MIT の構内誌に記載されて一時期話題になったトピックですが、その後そんなことはないと、話題にも上がらなくなっていたようです。ところが最近の調査の進展により、意外にそうかもしれないということが言われ始めているようです。
実は文部科学省というのは、政策として日本人が英語を使えなくしているのではないかという指摘です。
文部省は日本人の英語不能化政策の解除をしてみてはどうだろうか?
http://blog.livedoor.jp/kazu_fujisawa/archives/51554830.html
確かに明治時代から、続く外国の書物を訳して学ぶというやり方はこの時代になっても変わっていません。それどころか、漢文を返り点などをつけて読んでいた歴史を考えると、1000年以上の長きに渡って日本人は外国語をまともに学ぼうとしてこなかったことがわかります。
日本語という壁を利用して、日本の内と外の人の流れを戦略的に押さえ込むことによって、鎖国を維持していると考えると、なんで日本人が英語ができないかがよくわかります。
ここのブログで述べられていることは、何となく自分の感覚と通じると思います。すなわち、音を聞き分けられるかどうかというのは、脳内の処理によってしまうところがあり、一度 ‘L’ と ‘R’ などの二つの音が同一とみなされるようになると、ほぼ永久的にそれら二つは聞き分けられなくなるという感覚です。
英語を聞けば聞くほど英語の音が聞き分けられなくなるリスク
http://blog.listen-it.com/2010/04/brain_malleability.html#more
自分でいくら訓練しても、’L’ と ‘R’ の区別ができるようにならないので、もうあきらめた方がいいかもと、納得できます。
最近よく見かけるようになったと思う表現の一つに、”NG” というのがある。文脈から考えると、「だめ」とか「よくない」とか「使えない」という意味なのだと思うが、素直にダメといわずに NG というのはどうだろうかとおもう。そもそも PC 上にて、ローマ字入力しているときにいったん英数字入力モードにしなくては行けない手間を考えると、そのまま「ダメ」と打った方が、「NG」と打つよりも速いと思う。わざわざ手間をかけてアルファベットを使うのはいかがなものかと思うが、それだけよく使われるということは、受けがいいのだろうか。
元々は、「NG 特集」というように、放送業界での収録に失敗したときにしか使われなかったと記憶している。だが、最近ではやたらといろいろなところに使われるようになってきていて、中にはビジネスシーンで PowerPoint の英語でのプレゼンテーションに使われていたりするのを見かける。
もし、英語環境において、本来の意味である “no good” という意図を伝えるために使うのであれば、省略せずに “no good” とそのまま言った方がいい。ビジネス文書で、次世代機の話をしていたりして、”NG” などとしていると、”Next Generation” の略とも思えるし、文脈によっては他の略語にもなる。そもそも “no good” という表現自体、たとえば、バスケである選手がシュートしようとしたら外してしまい、アナウンサーが “No good!” と残念そうに言うようなシーンではよく聞かれるが、書き言葉として使われているのはあまり見たことがない。使われるシーンから想像するに、おそらく “no good” は口語的な表現なのではないかと思う。
さらに文脈によっては人の名前にもなる。ベトナム系の人では名字が NG という綴りの人も結構いる。そうすると、”NG IS NG” なんていう文が出てきてしまう可能性もあり、こうなるとわけがわからない。
一般的に日本語で出回っているカタカナやアルファベットは英語においてそのまま使えると思うと間違いであることが多い。”NG” は、それほど間違いとはいえないが、あまり使うべきではないと思う。特に英語において使うときは、せめて、”no good” にするか、もしくは、”not good” とか、”not appropriate” のほうが適切な気がする。
皆様、どう思われますか。
ちょっと前のニューヨーク・タイムズの記事に、昼食に弁当をとる人が増えているという報告がある。
Bento Boxes Win Lunch Fans
http://www.nytimes.com/2009/09/09/dining/09bento.html?scp=1&sq=bento&st=cse
なんだか、”Bento” という言葉はいつの間にかアメリカ英語に浸透しているようで、サンフランシスコベイエリアのスーパーやちょっとしたお店で “bento box” と表示されて、弁当が売られている。
やはり不景気だと、外で食べるよりも自分でつくったものを食べて安くあげようと言う発想は、どこも変わらないのかもしれない。
とはいえ、もともと、bento という言葉が浸透する前から、アメリカにも自分でつくった昼食を箱に入れて持ってきて食べるという概念は存在していた訳で、なぜこんなにも “bento” という固有名詞が受け入れられるのかと思って記事を読むと、どうやら日本の文化を積極的にとりいれたいという一人の男性の発言が見える。しかしこれをもって全ての現象を説明できるとも思えない。
ただ、見た目にこだわったり、量をコントロールしてダイエットに励んだり、お金を節約したりという、弁当にこだわる動機そのものは、記事全体でアメリカ人にも浸透している様子がうかがえる。そういう意味では、単なる lunch box よりも、そういった背景事情を鑑みた意味で bento という言葉が受け入れられているのかもしれない。これは、ちょうどアメリカ人(というか、この場合はヨーロッパでも同じなのだろうが)animation とか、cartoon とかいわずに “manga” とあえてこだわって呼ぶところと同様の状況なのかもしれない。
次のリンクからは、実際にアメリカ人の作ったいろいろな弁当が見られておもしろい。
http://www.nytimes.com/slideshow/2009/09/08/dining/20090909-bento-slideshow_index.html
マンガと弁当の接点ということで言えば、下記のサイトがすごい。ここまで作り上げるアメリカ人がいたら、弁当ブームも本物と言えるかもしれない。
なつかしアニメをキャラ弁で
http://blogs.yahoo.co.jp/ymisako0405
金持ち父さん貧乏父さん
を読んだ。今まで読んでいなかったのが悔やまれるくらい、もっと早く読んでおくべき本だと思った。お金に関して学ぶ事の必要性が全編を通じて説かれているが、確かにその通りだと思った。キャッシュフローに気をつける事とか、資産を殖やして負債を増やすなとか、お金に関して非常にためになる事が書かれている。ただ、この本に書いてある事をそのまま実践しようとするわけにはいかないだろう。あくまで、ここで書かれている考え方、思想を参考にすべきだと思った。
気がついてみれば、お金に関して知らない事というのは本当に多い。その最大の理由は、世間的にお金について語るのはよくない事という観念があるからだろう。自分が生まれ育った日本でもそうだし、この本がベストセラーになっているほとんどの国でもそうなのかもしれない。
最後の「実践の書」という章の記述は特に参考になる。自分の今後の参考のためにも、キーワードを箇条書きにしておきたい。
資産を殖やすことができないという人にとっての大きな障害:
- お金を失う事に対する恐怖心
- 悪い方にばかり考えて臆病になる
- 忙しい事を理由に怠ける
- 自分への支払いを後回しにする悪い習慣
- 無知を隠すために傲慢になる
もっとも、これらの5つの点は、何をするにあたっても重要な心構えである。
お金に関する才能を目覚めさせるための10のステップも抑えておきたい。
- 強い目的意識を持つ — 精神の力
- 毎日自分で道を選ぶ — 選択する力
- 友人を慎重に選ぶ — 協力の力
- 新しいやり方を次々と仕入れる — 速習の力
- 自分に対する支払いをまず済ませる — 自制の力
とくに自分自身のビジネスを始めるために必要な管理能力
- キャッシュフローの管理
- 人の管理
- 自分の時間の管理
- ブローカーにたっぷり払う — 忠告の力
- もとはかならず取り戻す — ただで何かを手に入れる力
- ぜいたく品は資産に買わせる — 焦点を絞る事の力
- ヒーローを持つ — 神話の力
- 教える事で得る — 与える事の力
これらのポイントのいくつかも考えてみればお金持ちになるだけでなく、何かに成功するためにも使える考え方である。
最近の Time 誌では、ロバート・キヨサキ氏に対する10の質問が載っている。その様子はビデオでも見られる。本に書いてある事と繰り返しになる部分もあるが、ここでも様々な点が学び取れる。できる人と行動するようにすること、人々を貧しくさせる4つの要素 (税金、借金、インフレ、退職後の計画) のこと、キヨサキ氏は1400のアパートを持ち、8つの油田を持っているという事、貧富の差が激しくなり、アメリカが第三世界に近づいているという事、自信をつけるには規律と訓練が必要だという事、彼は海兵隊で心理的、情緒的、肉体的、そして精神的に強くなれた事、戦争中彼のために他の人が死んでいったことにより途中でものごとを投げ出せなくなった事、多くの人は臆病であること、そして最後に富を築くには、腰を上げて師を求め賢くなる事だ、不屈の念と規律とで自分を駆り立てる事だと述べている。
Google で彼の事を調べるといろいろ出てくるが、こんなサイトでいろいろな関連グッズや情報をうっている事もわかる。抜け目ないなあと感じた。ただ、このサイト内に映っている彼の姿がそれぞれ別人のように見えるのは自分の気のせいだろうか。
町を歩いていて交通標語のようなものをよく見かけるが、どこまで費用対効果があるのかわからない。車を運転していてかえって注意をそらしたり、気分を損なわせたりして、それこそ事故につながるのではないかと思わせるものもある。

ここにあるように、「ストップザ」というのもよく見かけるのだが本当に気分が悪くなるので即刻やめてもらいたい。○○の一つ覚えなのだろうか、何かにつけこの形式を使うのはみてて腹立たしい気分になるし、そもそもこういう立て看板がおいてあるだけでただでさえ雑然として汚らしい東京の町並みがいっそう見苦しくなる。自分が運転をしていたら、こういう立て看板に気をとらわれて、しばらく運転に集中できなくなり、それこそ事故に巻き込まれそうになる気がする。
文法的にはこの文脈で the は不要であり、もし本当に stop the deadly accident と the をつけるならば、たとえば、
She could have stopped the deadly accident if she had not drunk alcohol.
「彼女はお酒を飲んでいなければ、その事故を止められたかもしれない」
という言い方で使えるかもしれない。でも本来言葉の意味から考えて、事故を止めるということは不可能であり、事故を防ぐことなら可能である。なぜなら事故は起きるか起きないかのきわめてデジタルなものであり、途中で止まるものでは決してない。だから、上記の文も正しくなく、正確には、
She could have prevented the deadly accident if she had not drunk alcohol.
「彼女はお酒を飲んでいなければ、その事故を防げたかもしれない」
と書くべきである。実際、Google で、”stopped the deadly accident” と検索すると、そのフレーズがマッチする検索結果は皆無である。”prevented the deadly accident” なら、複数の事例が出てくる。すなわち、そもそも stop という単語は、accident に大して概念的に使えないはずである。
こういう言葉の使い方を全く吟味せずに、なんでもかんでも「ストップザ」の後に何かをくっつければ、その何かを止めたり防いだりできるような錯覚は、いろいろな意味で悲しくなる。すなわち、こうした安直なフレーズが
- 言葉の使い方が間違っている
- 日本の公権が間違った言葉の使い方を例示している
- 費用対効果が考えられていない
- 町の景観を損なっている
ということを物語っており、見ただけで頭の中をよぎってしまうので、不快な気分になる。

ちなみに、この後六本木の交差点に行ってみたら、待ち合わせによく使われていたアマンドが消えてなくなっていてショックを受けた。

不況といわれても、東京はどこかしら工事していて、変化が激しい。日枝神社にいったら、工事中のビルがにょきにょきとはえて出てきているのにびっくりした。
週末の夜、アパートのトイレの流れが悪くなってしまった。そこで管理人に例の「すっぽん」と詰まりをとるために、先にゴムでできたお椀みたいな形状がついた棒を借りようと思った。ただ、この道具の日本語名がわからず、ましてや英語名もわからない。前回これが必要だったときは、昼間だったので近くの店に買いにいくことができたが、それはもう捨ててしまっていて、かつ、今は夜でもう店も閉まっている。
グーグルで、「トイレ」と「吸引」というような単語を調べれば、何か出てくるだろうと思って、“toilet” と “suction” という単語を検索してみたら、いろいろとそれらしい議論がなされているページが出てくる。それらをみると、どうも例の道具は “toilet plunger” というらしい。確かめるために、”toilet plunger” と入力してみると、以下のような便利なビデオ解説をしてくれているサイトも出てくる。
How to Unclog a Toilet | eHow.com
http://www.ehow.com/video_383_unclog-toilet.html
(ちなみに、「トイレ」と「吸引」という日本語を、”toilet” と “sucking” と思ってグーグル検索すると、とんでもない結果がかえってきてしまうので、21歳未満の人は特に間違えてはいけない)
確かめた後、管理人に toilet plunger を借りにいき、plunger を使用して水の流れが良くなり、問題解決となった。
最後に toilet plunger は、日本語でなんというのかと思って調べてみたら、「吸引具」とか「排水管用掃除用具」とか、「プランジャー」とかいう用語があてがわれているらしいが、どうもなじみがない。試しにグーグルで「吸引具」を調べてみると、全く関係のない器具が検索結果に出てくる。結局自分は小さい頃から「トイレで詰まりをとる例のスッポン」という言い方をしてきた訳だが、これからもそういう言い方をせざるを得ないのだろうか。
今日調べてみて初めてわかったのだが、internationalization は、i18n と、localization は、L10n と略すのだそうだ。
Internationalization and localization
http://en.wikipedia.org/wiki/Internationalization_and_localization
i18n の 18 というのは、internationalization の最初の i と最後の n の間に18文字入っているからで、L10n というのは、localization の最初の l と最後の n の間に10文字入っているからだそうだ。ただ、l と i は間違えやすいので、識別するために大文字の L を使うのだそうだ。
ちなみに数字を使って略語を表すやり方を numeronym というのだそうだ。