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  • 新宿歴史博物館

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    昨日、四谷から品川に行く予定だったのだが、ちょっと時間が空いたのでしばらく四谷三丁目付近を散歩してみた。すると、新宿歴史博物館なるものがあることを発見した。大学時代にもこの辺りをうろついたはずなのだが、全く知らなかった。1989年1月に設立されていたということなので、大学在籍時には既に存在していたはずだが、まったく気づかなかった。

    展示内容は、旧石器時代から昭和初期までで、閑静な住宅地にある割には意外にも充実した内容となっている。新宿付近で発掘された縄文式土器や弥生式土器がけっこう展示してあるのだが、中世になると資料が極端に少なくなる。もそもと新宿区内で残っているものや発掘されたものがすくないためのようだ。

    「新宿」という地名は、17世紀末におかれた甲州街道の宿場町である「内藤新宿」から来ているということで、結構な栄えぶりだったようで、それを物語るかのように江戸時代以降の展示は充実していた。「内藤」というのは、新宿御苑周辺にすんでいた内藤家という大名からきていて、宿場自体は、現在の四谷四丁目交差点から新宿三丁目交差点まで広がっていたらしい。その宿場の模型を展示してあるのだが、これが精巧によくできていて驚かされる。当時は今の新宿三丁目の交差点から新宿駅に向かう方面はなにもなかったため、模型自体がカバーするのは今の伊勢丹から三越の間までである。新宿駅周辺が栄えだしたのは、1885年に日本鉄道 (現在の山手線) が開通して新宿駅が開業してからのことだそうだ。

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    蔵造りと呼ばれる建物の展示もあった。漆喰で壁をあつく塗っているので、防火建築となるとされていたらしく、商家が建てていたらしいのだが、関東大震災でこの建築が地震に弱いことが判明し、以後急速に都内から姿を消していったということだ。

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    急速に姿をなくしているといえば、床の間付きの和室である。最近は元和室の部屋でも畳を敷かずに床に置き換える傾向があるので、畳自体が少なくなってきている上、床の間自体もあまりみられなくなってきた。というか、そもそも床の間をたてるほどの一軒家がもはや都心に存在しなくなってきていると言った方がよいかもしれない。この写真にあるような和室というのは小さい頃よく慣れ親しんだものだったが、こうして次第に博物館でしかみられなくなっていくのかと思うと、自分がえらく年を取ったように思えた。

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    明治以降昭和にかけての展示も興味深い。多くの文学者が住んでいたということで、彼らに関する展示が多いが、特に夏目漱石は新宿区内で生まれて亡くなったということで、気合いの入りようがうかがえる。草枕の草稿などは非常に興味深かった。また、この時期に走っていたチンチン電車の模型もある。

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    電気、ガス、水道が完備された「文化住宅」の模型の展示もある。土間や和室以外にもしゃれた洋間があり、今考えるとよくこのような狭い空間に多くの要素を詰め込んだものだなあと感心させられる。この、「狭い空間に多くの要素を詰め込む」という気質は都市構造にも伺える気がするのだが、これはまた別途書きたい。

    昭和の新宿になると、東口付近のにぎわいぶりが伺える展示が見受けられる。個人的には高層ビルが建つ前の淀川浄水場のあたりの展示がないかと期待していたのだが、残念ながらそれはなかった。ただ、大学入学時に架け替えられていた四谷見附の古い橋の一部が展示されていたのは感慨深かった。

  • ネアンデルタール人

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    今月号の National Geographic では、ネアンデルタール人についての特集が組まれているが、非常に興味深い。最近の化石調査や遺伝子情報の研究をもとに、彼らの生態や生活について、かなり詳しく書かれている。

    ヨーロッパで見つかっている化石をみると、明らかに人間の手で傷つけられた傷が骨に残っているケースが結構あるのだという。このことから、ネアンデルタール人の間でカンニバリズム(人食い)の習慣があったと考えられている。しかし、肉をはいだのは同じネアンデルタール人ではなく、現世人類の祖先だったかもしれない。化石自体はヨーロッパ全域からシベリアにかけて多く見つかっており、彼らがユーラシア大陸の広大な部分を占めていたことがわかる。しかし全盛期でもヨーロッパには全部で総勢1万5千人ほどしかいなかったらしい。

    ほかにも見つかっている化石からは、大きな肺を有していたことから吸った空気が冷たくても体内で暖めることができたということ、脚が短いのは寒い地域に対応するためと考えられること、大人の男子でだいたい 150cm くらいまで成長したこと、しかし体重は 90kg くらいに達し、結構がっしりした体格だったこと、その体格を養うため、一日5000カロリーくらいの食料を必要としていたのではないかということがわかるそうだ。

    解読された DNA によれば、ネアンデルタール人は白い肌と赤い毛をもっていたそうだ。さらに言語をつかさどる能力も持っていたという。

    また、昨日のニューヨークタイムズによれば、ネアンデルタール人が住んでいた地域からムール貝や回遊魚の残骸が見つかっており、彼らがシーフードを楽しんでいたこともわかったという。

    科学が進むにつれて、こうした消えてしまった「別の人類」の姿が浮かび上がってくるのは非常におもしろい。

  • 癒しの場だったストーンヘンジ

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    すでに National Geographic などで、報じられているが、ストーンヘンジが癒しの場であったということが、下記の記事で述べられている。

    Stonehenge birthdate discovered by archaeologists
    http://www.telegraph.co.uk/news/3046095/Stonehenge-birthdate-discovered-by-archaeologists.html

    記事では、オックスフォード大学での炭素14年代測定法により、ストーンヘンジの最初の石が紀元前2300年に建てられたということがわかったと、書かれている。ここではこれまでに発見されたことがうまく要約されており、まとめると、次のようになる。

    すなわち、ストーンヘンジの周りの墓から異常な数のたくさんの骨が見つかり、かつ、歯を調べてみると、それらは地元の人々のものではないことから、多くの人々がはるばる遠方からやってきて、治癒にきたのではということである。非常に興味深い。

  • ストーンヘンジはかつて治療の場所だった?!

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    ストーンヘンジで発掘調査が現在行われているが、早くも新しい解釈がでてきているらしい。

    ‘Breakthrough’ at Stonehenge dig

    http://news.bbc.co.uk/2/hi/science/nature/7337292.stm

    によると、いつも見慣れている大きな石の内部にはかつてブルーストーンが並んでおり、これらの石は 250km 先のウェールズからわざわざ運ばれてきたのだという。新石器時代の人々は、この地を治療のために使ったのではないかという解釈が、この発掘からでているそうだ。

    ストーンヘンジには去年のイギリス出張の際に行ってきたが、この空間が周りの平原と異なる何か独特の雰囲気を持っていた。ここでは、赤くて触ると暖かい石もおかれており、人々はこの赤さを血と関連づけていたという。もし、そうだとすれば、この地が治療のために使われたという説は非常にもっともらしく思える。