下記サイトにおいて、ちきりんさんが日本の商品がオーバースペックになりがちな理由を考察しており、大変興味深いです。
日本商品がやたらとオーバースペックである理由
http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1008/02/news009.html
一言で言えば、イノベーションが起こせないために既存商品や既存技術に頼った延長線上でしか、開発が進まなくなってしまっているという指摘です。
これは、もっともな指摘だと思います。
製造業の現場でよく見られるのが、既存製品をベースにして、バージョンアップやグレードアップがなされていると言うことです。設計データや図面データは過去に作ったものを「流用」して、品質をよくするか、機能を加えるかという「製品開発」がすすみます。このやり方では、革新的な製品を世に送るという課程が欠けてしまっています。
また、通常はある商品が売れるとわかると、複数のベンダーがこぞって似たような商品を出すようになり、競って付加価値と称していろいろな機能がごてごてとついてしまい、オーバースペックになり、レッドオーシャンでの血みどろの戦いが生じ、最終的には価格競争に陥るというパターンも典型化しています。最近では、 3D テレビの価格が下がってきたという現象がその例でしょう。
このオーバースペック化のプロセスですが、実は製造業以外でも見られるというちきりんさんの指摘は鋭いです。
特に、次のまとめが印象深いです。
「イノベーションが起こせないから、旧態依然とした既存の仕事を延々細々と改善し続ける」という事態は、商品開発だけでなく日本のあらゆる組織、場面で行われています。
本当にこれは同意できます。「出る杭は打たれる」という慣習がある中、尖ったことを言ったり、奇妙な行動を起こしたりすると、「空気が読めない」と判断され、煙たがられるという傾向は、ここ最近さらに強まっているのではないかと思います。KY なる言葉ができて、しかももてはやされ頻繁に使われるというのは、一方で突飛なことや異質なことを嫌う精神性の表れともいえるでしょう。
その上、過去の成功体験があると、なおさら旧態依然とした既存のやり方から抜け出ることができず、既存の仕事を延々と細かにやり続けるという傾向はますます強まるばかりです。こうなると、いい加減途中で放棄して投げ出すということができなくなってしまいます。悪い例が、先の大戦で、原爆を落とされるまで日本人の手で自ら戦争を終わらすことができなかったということがあります。「一億総玉砕」とか「ほしがりません勝つまでは」といった言葉の元で、みんなで破滅の道に向かってしまった当時の状況は、日清戦争や日露戦争の勝利を覚えている人々にとっては、その成功体験の延長上で、自然ななりゆきとなったのかもしれません。
仕事や思考が定型化してしまうと言うことは、裏を返せば時代の流れについて行けなくなることで、自らの没落の道に入り込む可能性を秘めているといえます。
こう考えると、DVD やカーナビや、太陽光発電や、リチウムイオン電池など、日本が世界に先駆けて発明した製品が次から次へと世界市場でのシェアを失い、日本の製造業全体の収益度が下がってくる構造が見えてきますが、それはまた別の機会に書きたいと思います。