JETRO 主催による、“Why Only Nintendo? Challenges Facing the Japanese Software Industry” というプレゼンテーションをみてきた。
三菱電機の伏見信也氏が自身のソフトウェア開発の経験や、スタンフォードでの研究をもとに、次のような仮説を立てていた。
まず、日本のソフトウェアに対する立場が、きわめて技術指向であり、それはハードウェアであれば市場から評価されるのだが、ソフトウェアでは必ずしもそうでないということである。たとえば人々がプリウスを買うときは、そのハイブリッドエンジンに着目するが、人々がマイクロソフトの Word を買うときは、中のソフトの技術がどうなっているかは全く問わない。また、拡販資料などを見ると、アメリカのソフト会社のものはきわめてシンプルな説明であるのに対して、日本のベンダーが出すものは非常に細かい機能やダイアグラムが描かれるのが典型である。このようなアプローチは、ハードウェアなら歓迎されるが、ソフトウェアに関しては、あまり効果的ではなく、むしろ技術的な完成度を求めるあまり、機を逸してしまう可能性がある。
日米での特許取得数の違いもおもしろい。日本では、各社非常に高い件数の特許が登録されているが、この数字に匹敵する米国企業は IBM や HP くらいなものである。
品質に対するこだわりも挙げられていた。MIT のクスマノ教授のある調べによれば、日本のソフトのバグ数はアメリカに比べて 1/20 になるそうである。日本のソフトウェア開発に対して、あたかもハードウェア製造の 6 シグマの技法がソフトウェアでも適用されているかのようなたとえがなされていた。これに対してアメリカのソフトウェア企業はあくまで市場を見た製品開発が行われる。そのため技術的に完成度が低くても、機を逸しまいと、すぐに製品を出し、市場の要望に応じてソフトを進化させていく。この点、日本のソフトウェア開発は、ハードの完成品製作と似ていて、製品としての完成度を高めるばかり、市場への投入が遅れてしまうことがよくある。
スケールメリットについても重要である。日本のソフトウェアベンダーが日々の売り上げを達成するべく、カスタマイズを中心として日銭を養っていくのに対して、アメリカの典型的なベンチャーのやり方は、まずは製品をタダ同然で配布し、それに伴う別の製品やサービスで売り上げを確保していくというやり方である。このため、いったん成長したアメリカのソフトウェアベンダーは、勢いが非常に強力になり、やがては日本のソフトウェアをも駆逐していくというのが典型的なパターンである。
ハードウェアとの違いでもう一つあがっていたのが、人々と同じものを使うという意識である。すなわち、周りの人が使っているから、自分も Word を使うという感覚が、さらなる Word の売り上げを促す。一方、車ならどれを選ぶかは個人の自由だし、Wii などはまだまだ数が出回っている訳ではないので、持っている人がいたら、その人が敵扱いされてしまいそうなくらいな違いがある。
日本のベンダーが垂直統合型のアプローチでソフト開発を進めるのに対し、アメリカのベンダーが様々な要素が組合わさるようになるエコシステムを築くという指摘も面白い。すなわち、日本のベンダーが典型的にやるのは、グループ企業が使っているシステムなりアプリなりを自社が開発しているハードウェアにのせるようなパターンである。これに対してアメリカ企業は、OS ならマイクロソフト、データベースなら Oracle 、画像処理なら Adobe というように、役割分担が決まっていて、それぞれが個性を発揮した強みをきわめていく。
ハードウェアとソフトウェアでの値段のつけ方にも着目されていた。例えば1 CPU 向けにつき、1000 ドルのソフトが 32 CPU 向けには $100,000 といった、ハードウェアでは考えられないような値段のつけ方ができてしまうが、日本のベンダーはあくまでハードウェア的な値段の付け方にとらえられすぎて、柔軟な価格付けができていない。
以上、数々の思い当たる節をかいま見たプレゼンテーションだった。最後に伏見氏が提案していたのは、ハードウェアの思考を強みとして日本企業が活躍できそうな、ハードウェアを制御する組み込みソフトなどの開発である。しかし、日本の携帯電話事業がますます弱くなっていきそうな現在、この氏の指摘もあまり説得力がないように思えてしまった。



