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  • 日本の道路と制度疲労

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    日本の道路は非常に歩きづらいと感じます。特に東京周辺には、江戸時代からの道をそのままアスファルトをしいて近代化を図り、カーブや幅は昔と変わっていないというものがたくさんあります。そんな道路はたいてい歩道もなく、車も自転車も人も全て通行可でしかも両方向通行可となっており、こういう道路は安心して歩くことができません。個人的には外国の危ないとされている道路よりも、日本のこうした道路の方がよっぽど危ないと感じます。すなわち、外国の道路でしたらたいてい車道と歩道が分かれており、歩いていて脇をタクシーや自転車が走っていくのをヒヤヒヤしながら目にするということはなく、治安に気をつけていれさえすればよいわけです。一方、昔ながらの日本の狭い道路というのは、塀に囲まれた家々が密集していることが多く、見通しが悪いため、常にどこからか車や自転車が迫ってくるかもしれず、さらには歩行者が煙草を吸っていることも多いので、いろいろな危険物がありとあらゆる方向から押し寄せてきます。それらを巧みにかわさなければならないという点で、非常に緊張感を強いられます。

    実はこの構図は、様々な社会システムに共通してみられることではないかと気づきました。日本でサービスや製造の現場における人々の働きぶりにはずいぶんと感心することが多いのですが、それは個人個人が一生懸命にその場その場で頑張っているからであり、制度やシステムとしては矛盾したものや余分なものがあるにせよ、個人のがんばりのお陰でなんとか世の中がうまく回っているように見えています。これはちょうど、狭い道をうまいこと車も自転車も歩行者も車いすも無理矢理共存して、個々のがんばりのお陰で事故が起こらないようにしている構図と重なって見えます。共通しているのは、人々の中に「しかたがない」と現状をそのまま無批判に受け入れてしまう消極性があるのではと思います。

    生まれたときからずっと日本に住み、こうした状況をあるがままに受け入れてきた人々にはそれが当たり前のこととなり、何の問題点も感じられないのかもしれません。ただ、こうした社会システムやインフラに日本の独自性が極まっていってしまうと、既に携帯電話や工業製品に見られているガラパゴス化が個々でも見られるようになってくるかと思います。いや、ひょっとすると、そもそも社会の制度や慣習や文化、インフラが既に特殊だからこそ、世界の他の地域では歯が立たない製品や考え方が生まれてしまうのかもしれません。

    インターネットや携帯電話が発達し、物流の流れに国境が感じられなくなっている現在、日本にいるとそうした流れがなんとなく遠い世界のように感じられてしまうことに、危機感を覚えてしまいます。

    • ものすごく同意します。
      なんか非常に危ういバランスの上で高い品質や性能が成り立っていて、少しでもバランスが崩れると「安全神話崩壊」が生じるのもそこに原因があるのだと感じています。
      #そもそも「安全」が「神話」で成り立っている時点で危ういんですが・・・。

      開発・製造現場では阿吽の呼吸というんでしょうか、百言わなくても分かるだろう、という風潮が蔓延していて、それが分からない外国人に対しては「やつらは分かってない」という言い方をします。
      また、プロジェクトのスケジュールが異常に短縮可能なのもマイルストーンのチェック(承認)をきっちりとやっておらず、後で誰かが帳尻を合わせて先に進むというやり方をしているからでしょう。人はそれを「有機的に」とか「臨機応変に」という言い方をします。

      こういうやり方がグローバルに通用しないのは当然ですが、日本人は「外国人のやり方が劣っている」という風に捉えるんですよね。

    • > じょー。さん

      木を見て森を見ず葉っぱを見ている日本人にとっては、葉っぱの見方や加工の仕方ばかりとらわれて、阿吽の呼吸ができてしまうのですが、それによって、危ういバランスの上に「安全神話」が生まれてしまいますね。風速40m/sでも飛ばされない葉っぱの形状をつくったと得意げになっていても、木の植わっている土地そのものがわるくなって、「想定外」だと叫ぶ様子が思い起こせます。

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