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  • ソウル観光

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    本当は土曜日に羽田に帰りたかったのですが、なぜかこの週末はフライトがものすごく込んでいて、日曜日に飛ぶ分しかとれませんでした。よって、観光をすることにしました。前回訪問時は東大門、南大門、明洞などを観光したので、違うところに行ってみたいと思って地図を眺めてみると、そういえばまだ景福宮にいっておらず、また前回勧められた仁寺洞にも行っていません。ということで、それらの地に行ってみることにしました。


    景福宮に着いてから案内パンフレットを見ると、この宮殿は文禄の役の際に日本軍に破壊され、19世紀前半に復元されたものの、その後日本の占領時に日本総督府によって破壊されたということです。これを素直に読むと、日本というのはとんでもないなという気になってきます。しかし、明治時代、政府は「脱亞入欧」と称して日本古来の古いものを西洋の近代的なものに取り替える作業をしていて、たとえば日本各地にあった城を片っ端から壊していったということがありますので、その一環として、景福宮も壊してしまったのでしょう。また、この敷地内の光化門が朝鮮戦争のときの爆撃で破壊されていると言うことで、いずれにせよ、戦争と言うものはなるべくなくなってほしいものですし、人類史上何度かあった、過去の遺産を破壊すると言う行為もなるべく起きてほしくないものです。


    しばらく景福宮内をうろうろした後、11時から始まる英語での無料ツアーに参加してみました。解説を聞いてみると、結構興味深いことが学べました。当時の王様は大変な激務をこなさなければならず、基本的に休みはなし、起床は朝の4時ごろで就寝は夜中の12時ごろ、そのためか歴代の王の平均寿命は46歳ということだそうです。南北に大きな通路が設けられていて、真ん中が王様など偉い人が通る道、右側が文官の通る道、左側が軍人の通る道だったということで、これを破ったものは100たたきの計にあったそうです。建物の配置は陰陽五行と十二子を考慮してなされており、王を守るように、王の長寿を祈るように守護神の像がおかれているということです。(その割には、王が短命がちで、何度もこの王宮が破壊されていると言うのは皮肉といわざるをえません)


    各宮殿は廊下で結ばれていたのですが、日本政府によって破壊されてしまい、以後少しずつ各建物が復旧されていてもいまだにつながっていないと言うことです。また、王が普段生活する建物にはオンドルが供えてあり、床に座って執務をこなすことが多かったようです。


    オンドルは建物の下に石で作った通路を設け、建物の脇から火をおこし、その通路を暖かい空気が流れるようにしていたそうで、建物の横の方には煙を逃がす煙突のようなものもありました。


    1時間くらいのツアーのあと、博物館に行き、朝鮮半島の歴史について勉強してみました。特に印象深かったのがグーテンベルグよりも先に活版印刷が行われていたと言うことで、展示してあった印刷器具や印刷物でした。最初は木版ですっていたものがやがて金属に変わっていく様子のほか、その後世宋によって作られたハングルと漢字を両方印刷して、当時の人々にハングルの普及を促した印刷物などは大変興味深いものでした。


    博物館をでて、仁寺洞に行き、石焼ビビンバを昼食にたべました。その後歩行者天国となった仁寺洞のとおりをうろうろし、適当に目に付いた食べ物を食べていきました。900ウォンのお菓子や、くるみとあんこの入ったお菓子や、かぼちゃのおかゆを食べたりしました。


    が、これが裏目に出たのか、徐々に胃の調子が悪くなって、自分の体が弱まっていくのがわかりました。そういえば昨日、ホテルの近くのマッサージ屋で受けたマッサージが痛かったので、体にダメージを食らっているためか、体の節々が痛くなってくるのか、それとも食あたりがおきて、体に変化が現れているのかわからなくなり、気分も悪くなってきたのでホテルに帰って寝ることにしました。調子に乗っていた罰が当たったのでしょう。

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