オバマ大統領が今年のノーベル平和賞を受賞することになったとのことだが、どうも腑に落ちない。就任してまだ9ヶ月であり、これといった実績が出ている訳ではない。むしろ、今はまだ種をまいている段階で、これから芽が出てきて花が咲くのはもっと先という感がある。世界中の国々を自分たちの味方か、さもなくば敵だと割り切っていた前大統領と違って、対話により各国と友好関係を結ぼうとしている姿勢や、核兵器の削減に取り組む姿勢、および環境対策に真摯に立ち向かっていこうとしている点は評価できるものの、全て今始まったばかりの段階であり、結果が出て評価が出せるのは先の話である。
と思っていたら、アメリカ人も同じことを思っているようで、現時点での TIME 誌のオンライン投票では、賛成票と反対票がきっちりと 50% 対 50% になっている。
物理や化学と行った分野でさえも、ノーベル賞の選考には時々首を傾げるものがあるが、経済や平和の分野になると、ますます客観性よりも主観とか将来性のようなものが入ってくる気がする。今回はその典型例とでも言えるだろうか。





odakker
10月 10th, 2009 03:40
所詮「人が人を評価する」システムですから、そんなものだろうと思っています。厳密な客観性など期待できない。それをやろうとすると「ノーベル章の選考者を評価する」委員会、それをまた評価する委員会、…という具合に「無限に評価する」システムが必要になるのではないかと。
ノーベル賞のすごさを挙げるとしたら、賞をもらっている方ではなく賞を授けている側の人間をノーベルの没後何十年と供出し続けていることかなあ、と思います。「いい仕事をする」人を育てるのも大変ですが、「いい仕事してますね~」と言わしめる「目利き」を育てるのはさらに大変。
ついでと言っては難ですが、我が国の物理や化学などの自然科学の分野で、「今後何十年かの間にノーベル賞受賞者を何人輩出させる」とかいう目標を立てるのは全くばかげていると思います。なぜなら自分たちで自分たちを評価することを放棄しているから。せめて「今後何十年かの間に京都賞受賞者を何人輩出させる」にして欲しい、と思っています。
Shuji
10月 10th, 2009 05:52
> odakker さん
おっしゃるとおりですね。権威とブランドイメージを壊すことなく、「目利き」としての役割を続けるのは大変なことですね。
「自分たちで自分たちを評価することを放棄」という部分も同感です。政府機関がノーベル賞受賞者にこだわるというのはなんだか情けない気がしてきます。ただ、彼らの性質からいって、民間の稲盛さんが創設された京都賞を基準に考えるということもなさそうだなとは思いますが。